第32話 出来損ないのヒーロー

「根岸くん、なんで……」


 公園に到着してまず目に入ったのは今にも泣きそうで情けない比良咲ひらざきの崩れ顔だった。

 

 なんつー表情してんだ。そこまで弱ってるとは俺も思ってなかったぞ。


 常に俺を叱ってくる凛々しい比良咲の姿はもはやそこにはない。切ない心を引き締められ、完璧に弱り切った悲劇のお姫様がいた。


「探し回ってる時に思い出したんだ。この辺で話せる場所はこの公園しかないってな。バイト終わり、胡桃も入れて三人で話し合った事忘れたのか?」


 サクラ喫茶を飛び出した後、俺は少しの間闇雲に街中を走っていた。けれど道中でキリがないと判断し、冷静になって考えた結果、可能性が高そうな場所を思い出したのだ。住宅に囲まれた小さな公園。サクラ喫茶からも遠くなく、話し込める唯一のスポット。

 そして案の定、その公園で比良咲、ついでに予想通りの四人組メンツを発見し、今に至るというわけだ。


「私が言ってるのはそういうことじゃなくて──」


「ちょっと芋っ子の彼氏さん、私たち無視するとかひどくない〜」


 比良咲の言葉を遮って、明るい茶髪のギャルが俺に突っかかってきた。王道ギャルで、比良咲の元クラスメイト。おそらくこの状況を生み出した原因の人物である。


「いや〜、すいません。世間のゴミだと思って、すっかり存在忘れてました〜」


 わざと挑発するように俺は王道ギャルに言い返す。


「誰が世間のゴミだって?」


 柄が悪い陽キャ代表と言ってイキリ野郎が反応してくる。もちろん、王道ギャルもいかつい苛立ちをぶつけてきた。自分が貶されると腹を立てる。やはり喫茶店での迷惑行為、ショッピングモールでのマウント同様に性格がクズさが露呈している。


「イキリ野郎と王道ギャル。おめぇーら二人に言ってんだよ」


 今度は高圧的な態度を取りながら俺は標的と向かい合う。決意表明。宣戦布告。なんでも良い。ただじゃおかねぇーぞという敵対意識さえ伝われば、それで構わない。


「それって私たちのこと?」


「他に誰がいるんってんだ。自分が全て、正しいと思い込んでる人間。自分が可愛いと誤解してる悪口しか言えない人間。ピッタリなあだ名だろ?」


「全然ピッタリじゃないんですけど。今すぐ訂正してくれない?」


「──だったら、比良咲を芋っ子呼ばわりをしたことを謝罪してもらうか」


 ショッピングモールで言いそびれた内容を俺はようやく口に出来た。あだ名にはあだ名で返す。付けられた気持ちを分かっていただけただろうか。


「は? あんたが付けたあだ名はでたらめ。けど、私が付けたのは事実でしょ? 比良咲さんはどこをどう見ても芋っ子よね?」


「そっちこそでたらめじゃないか? 彼女のどこが芋っ子なんだ」


「この子から聞いてないの? 今でこそまともになってるけど、昔はメガネで三つ編みで、ちょー性格が暗い女だったのよ?」


「それがどうした? 単なる昔の話だろ? 今の比良咲は性格も、外見も、よっぽどあんたより可愛い」


 比良咲はクラスのアイドル、喫茶店のアイドルだ。心が淀み、汚れている王道ギャルなんかとは比べられないほど可愛い。それだけ天地が変わっても揺らぐはずがないのだ。

 微かに頬を赤く染める比良咲をチラッと視界に入れる王道ギャル。


「何それ? のろけ? でもね、あんた騙されてるわよ。可愛くなったのは認めてあげる。その代わり外見が変わっただけでこの子の中身は空っぽ。何にも変わってない。だよね、比良咲さん?」


 王道ギャルが比良咲に同調を求める。思い込ませるような言い聞かせに近い強迫だった。


「そ、それは……」


 その影響なのか、元々そう思っていたのか、比良咲は言葉に詰まる。


「いいや、変わってるさ」


 俺は比良咲の背中を押すように反論した。


「お前、比良咲が学校でどんな立ち位置にいるか知ってるか? 学級委員長。クラスの中心人物だよ。頼りにされて、尊敬されて、誰とも仲良く接することが出来る生徒だ」


 比良咲がいなければ、俺たちのクラスじゃなくなる。それくらい目を引く存在で。


「しかもそれだけじゃない。とにかく気が強いんだ。俺が何度彼女に叱られたことか」


 しかし幾度となく彼女に叱られた俺の身体には、その憤怒の中にも優しさがあることを知ってる。理由もなく怒らない。そんな優しい女の子で。


「そこのイキリ野郎も経験してるだろ。醜態を晒して、みっともなく追い返されたんじゃねぇーか?」


 胡桃を守るために自ら接客を引き受けた。たとえ自分に被害が起ころうとしても、信念を曲げなかった。


「俺はあんたの言う芋っ子の比良咲を知らない。だけど、今の彼女は芋っ子じゃない。いい加減、俺の大切な人をバカにするのはやめろ」


 表面的な威嚇をしながら俺は論破する。

 的確な発言に王道ギャルが下唇を噛み締めた。ギャルという種族はろくな語彙力ないことで有名だ。言い包められて何も返す言葉がないらしい。

 比良咲がついに涙を頬を垂れ流した。けれど悲しみの涙ではない。歓喜によって生まれた柔らかい涙だった。


 胸を張れ。お前はそんなことで立ち止まっちゃいけない奴なんだ。


「てめぇこそいい加減にしろ。この状況を見て分かって言ってんのか?」


 残す相手はイキリ野郎。ただ一人。


「お前はどうしてここに来た? ギャルの案内だけってわけじゃないんだろ?」


「あぁ、あたりめぇーだろ。昔話をするだけじゃつまらない。大学のサークル合宿で連行して、酷い目に遭わせようかなって思ってたところだぜ」


 あえて濁しているのかもしれないが、イキリ野郎の気色が悪い微笑みで大方想像が付いてしまう。ヤリサーなんていう語言もあるくらいだ。言わずもがな、そういうことなんだろう。


「連れて行かせると思うか?」


「止めれるもんならやってみろ。に一人で何が出来るってんだ」

 

 ──ガシッ。


 殴り合いが勃発しようとした次の瞬間、俺の背後に何者が忍び寄る。両脇を捕らえられ、硬く腕を拘束された。

 その正体は先程まで大人しく俺たちを遠くで見守っていた大柄な男。イキリ野郎のお仲間である。


 いつの間に!


 筋肉付きが体格だけあって、ものすごい力で締め付けられる。抜け出そうにも抜け出せる自信がなかった。


「卑怯だぞ!」


「……、……何が卑怯だって⁉︎」


 イキリ野郎はそう言いながら取り押さえられている俺の腹に膝蹴りを繰り出した。ぐにゅ。蹴られた音とは思えない内臓が潰れたような効果音が身体を巡った。

 

「根岸くん!」


 思わず俺は膝から地面に倒れ込む。全身が麻痺したように身動きが取れなかった。


「てめぇはそこで大人しく見とけ!」


 俺を助けようと近寄ってくる比良咲の動きをイキリ野郎は止める。


「大丈夫、お前は手を出すな。ここで暴力を振るったらこいつらと同等のクズ野郎に成れ果てるぞ。それでもいいのか?」


 まともに食らった。クソいてぇ。内臓吐き出しそう。


「相変わらず容赦ねぇな」


「うるせぇ、お前こそウキウキに拘束してたじゃねぇーか」


「そりゃあ、見てて俺もこいつがうざかったからな。一発お見舞いしてやりたい気分だったわ」


「邪魔するんじゃねぇーぞ。今回は俺がやるんだから」


 イキリ野郎は俯きになって倒れ込む俺の背中に踏ん反り返った。


「彼女のためにカッコいいー。それでも王子様気取りで登場した割にはみっともないけどな」


「へっ、群れることしか脳がないゴミ虫が。一人じゃなんも出来ねぇ奴に言われたくないね」


「一人で何も出来ないよりからましだろ」


 弱い奴ほどよく吠え、よく群れる。イキリ野郎が仲間を引き連れてやり返してきた時点で、卑怯な人間なのは間違いない。


「そういや、あのメイドは今日いないのか?」


 胡桃のことか。


「いるわけないだろ。あんたにまた変なことされたらたまったもんじゃない」


「そりゃあ残念。ついでに持って帰ろうとしてたんだけどな。ああいう女は意外とビッチなんだぜ?」


「適当なことを言うな……あいつは物じゃねぇんだぞ!」


 頭に血が上った俺は拳を握り締め、勢いよく起き上がる。イキリ野郎は体制を崩しながらもよっと俺の側から離れた。


「細身の割には案外タフだな」


「おい、今の言葉取り消せよ」


 俺は腹に溜まった痛みを味わい、イキリ野郎を睨み付ける。


「自分のメイドの悪口言われて怒ったのか? まぁ、自分の道具が貶されたら当然の反応だよな?」


「道具ってなんだ」


「道具は道具だよ。ロボットみてーな表情しやがって、やらせてくれって頼んだら快く承諾してくれそうじゃねぇーか。メイド服だって、みんなに自分のいやらしい身体を見てほしいっていうアピールなんだろ? じゃなきゃ、あんな街中でメイド服を着るわけねぇーもんな!」


 俺の怒りの感情が煮えたぎってくる。関係を無くしたとはいえ、比良咲と同様に胡桃は俺にとって大切な人だ。大切な人をバカにされることが俺は何よりも許せなかった。


「あいつを何も知らないあんたにそんなこと言う資格なんてない。少し変わってるところもあるが、あいつはどこにでもいる不器用な女の子だ。友達の作り方を分からなくて、本当の恋心を知らなくて、彼女なりのトラウマに悩んでいる。そんな普通の女の子だ」


 胡桃と離れて、今になって彼女の大切さに気付いた。あいつのおかけで俺の毎日はめちゃくちゃになったけれど、その分楽しいものになっていた。真由美さん、比良咲、店長、マスター。胡桃のおかげで俺はたくさんの人と結ばれた。


「それがどうした?」


「──だから、今すぐその言葉取り消せって言ってんだよ!」


 俺は血管が浮き出るほど拳を握る。そう、拳を握るだけ。ここで手を出したらイキリ野郎と同じになってしまう。


「うるせぇな。……さっきからいちいちうるせぇんだよ!」


 対してイキリ野郎は暴力を振るうことに躊躇いを抱いていないのか、一切迷わず俺の頬、みぞおちの順番で何度もグーパンを連打した。


「お願い……もうやめて……」


 点々とした激痛に襲われる最中、比良咲の泣き崩れる顔が視界に入る。

 

 比良咲、そんな顔するな。俺がやられ続ければ済む話だ。耐えて耐えて耐えまくる。だから泣くな。可愛い顔が台無しじゃねぇーか。


 俺はヒーローになりたかった。情けない方法でもいい。どんなに惨めな姿になってもいい。比良咲、そして胡桃も守れるようなヒーローに……。

 意識がぐらっと立ち眩み、足がもつれる。集中して自我を保たないと昇天してしまいそう。


 やべぇ、そろそろ限界かもしれん。


 針に糸が出たり入ったりするような感覚で視界がぼやけている。

 目に見えている明かりが一瞬暗闇に包まれる。するとその時、俺の左横を何者かが通過した風が巻き起こる。疾風。

 そして瞼を開けると、目の前にいるはずのイキリ野郎が低空飛行で吹き飛ばれていた。


「……ッ⁉︎」


 さらにイキリ野郎に向けて足を蹴り上げている思い掛けない少女が立っていた。

 黒髪で長めのボブヘアー。引き込まれてしまいそうな奥が深い眼差しに、平然としている無表情。真っ白い肌。人形みたいに整った容姿をしている美少女。


「どうしてお前がここに……」


「別に驚くことじゃない。だって私あなたのこと──ずっとストーキングしていたから」


 そこには俺の幼馴染で、義妹である胡桃の姿があった。

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