第27話 メイドの悩み
黄土色の光が街中に注がれている時間帯。
俺はすぐに階段を登り、自室に移動。閉じこもるように扉を閉めた。
そして紙袋の中から比良咲に貰ったマグカップを取り出し、机の上に畳んであるバイトのエプロンの隣にそっと置いた。
「ややこしいことになったな」
そんな独り言を呟きながら、なだれ落ちるような勢いでベッドに倒れ込んだ。
改めて思う。
──比良咲のあんな顔、初めて見た。
彼女の今にも溢れ出しそうな瞳の水滴が、俺の頭から離れない。震えていた声音さえも、鮮明に覚えていた。
俺は比良咲が弱音を吐くような女の子じゃない。そう、勝手に決め付けていたのだ。真面目で、周りにも自分にも厳しい模範的な優等生。だから弱いところなんて一ミリもないと判断していた。
けど、実際は比良咲もちゃんとした女の子だった。心が脆く、簡単に涙を流してしまうような女の子だった。
今思えば、比良咲が
無口で無表情ゆえにつまらないと言われ、いじめを受けていた胡桃。
地味な見た目ゆえにバカにされて、いじめを受けていた比良咲。
しかし二人には決定的に違う点がある。
だって比良咲は自分を変えようとして高校デビューした。要するに同じ経験を味わないように努力したのだ。
あの王道ギャルにバカにされていいはずがない。
なんてことを天井を見上げながら考えていると、扉をコンコンと叩く音が耳に入る。
「和音くん、今いい?」
扉を開けて中に入ってきたのはメイド服を身に纏う胡桃。何か話したいことがあるみたいだが、それは確かめなくても分かることだ。
「比良咲のことだろ?」
身体を起こしながら聞く体制を整えると、胡桃は小さく頷き、俺の真横にちょこんと座る。あまりに近すぎるため、俺は一人分くらいのスペースを空けるものの、胡桃は距離を詰めてきた。
比良咲と口喧嘩したというに胡桃の強情はいつも通りだった。
「どうした? やっぱりあんなこと言ったの後悔してるのか?」
「……分からない」
「分からない?」
「莉奈を傷付けるつもりはなかった。もし莉緒が元々芋っ子だとしたら、彼女は変わった。だから自分を信じてと伝えたかっただけだった」
「まぁ、あの時は二人とも感情が昂ってたし、比良咲も余計な捉え方してたんじゃないか?」
胡桃の思い詰めた声色は確実に本心なのだろう。やはり胡桃も比良咲と自分が似ていると思っていたのか、尊敬の意が込められた言葉に聞こえる。
「それで、これからどうするんだ?」
真意を探ろうと、俺は早速物語の核心に触れていく。
「……それも分からない」
胡桃は一層想いを磨きながら膝の上で両手を握った。
「こんな気持ち、初めて。ごめんなさい。言葉でも説明出来ないくらい、自分でも分からないの。胸の中がモヤッとして、すっぽり何かが抜けたような虚しい感覚が今私を襲っている」
その言葉を聞いて、俺は不覚にも喜びの感情が奥から湧き出る。
「胡桃、なんでお前がそんな感覚に襲われているのか教えてやろうか?」
俺は胡桃が首を傾げると同時に真実を突き付けた。
「それはな──お前にとって比良咲が失いたくない大切な友達だからだよ」
友達という心を開く事が出来る相手を作るという、当初俺が掲げていた目標を達成する瞬間だった。
「いいえ、そういうじゃない。私にとって大切な存在はあなたしかいない。あなたしか考えられない。だってあなたは私にずっと寄り添ってくれた。だからそんな想いは……あり得るはずがない」
胡桃は苦渋の決断を強いられるような強張った表情をしながらそう言い切る。
まだ胡桃は囚われているんだ。肝心なことを忘れていた。
俺は元々胡桃が提案してきた専属メイドという関係をどうにかするために、色々な試行錯誤を繰り返していのだ。
そこで選んだのが、第一次メイド解放計画。
比良咲と友達になってもらい、俺に対する依存度を極限まで低下させる。
しかしそれでは一歩足りなかったと今思うと断言出来る。
忘れたのか。
胡桃は井の中の蛙状態。
周囲に根岸和音という幼馴染しか関わる人がいなかったために、俺への想いが美化された恋心として変化した。俺しかない。俺しか考えられない。まさにその言葉通り、周りを見向きもしていないのだ。
だから俺はきっと見据える目標を間違えていたんだ。
専属メイドをどうにかするというよりも、彼女の偽物の想い、固定概念を無くすことが何より最優先だった。
あー、そうか。遠回りせず、初めからこうしとけば良かったんだ。
ふと、とある行為が頭を過る。それは最後の手段としての効力が凄まじい反面、その代償が大き過ぎる諸刃の剣。
けど胡桃のためを思うなら──。
「なぁ胡桃、再会したあの日、メイドとして
「言った。いきなりどうしたの?」
「だったらもう俺に仕える必要はないんじゃねぇーか?」
俺のその唐突な発言に胡桃はきょとんと首を傾げる。
「どうして? 私は和音くんのこと誰よりも愛している」
無意識に自分自身が口に出すことを恐れているのか、心臓の音が鳴り響く。急に喉がカラカラになり、唾を飲み込んでからその諸刃の剣に手を出した。
「いいや、いい加減気付け。それはお前の本当の気持ちじゃない。紛い物の恋心だ」
「紛い物の恋心?」
胡桃は珍しく目を尖らせて眉を顰める。自分の気持ちを否定されたのだから、当然と言えば当然と言える。
「あぁ、昔よく遊んでた同い年が俺だけだったから幻想を見てるんだよ。催眠術のようなものさ。お前は俺を好きだと錯覚しているに過ぎない」
「そんなことはない」
「そんなことあるんだよ! お前自身が気付いてないだけで、実際はそうなってるんだ!」
揺るぎない意志を持って俺は大きく声を荒げる。
「俺を中心に世界が回ってることが何よりの証拠だろ?」
「それは私にとってあなたが全てだから……」
「そういうところだ。お前は俺しか頭にない。だから比良咲に対する感情もあやふやになって、分からなくなってる」
そして俺はここで震えた声音で最後の締めに取り掛かっていく。
「そもそも、お前の想いはうんざりなんだよ。機嫌を損ねないように束縛を受け入れて、学校でも大変な目にあって。……はっきり言うが、迷惑だ」
胡桃の想いを否定し、胡桃の存在すらも否定する。絶縁状況にしてしまう。
それが最後の手段だった。
「──小学校の頃、俺がどうしてお前のそばに居たか分かるか? へっぽこな奴だと見下してたからだ。 ──昔からずっと思ってた。好きでもなんでもない奴からベタベタくっつかれて、気持ち悪い。吐き気がしてた。──ましてや俺には愛を誓った女性がいる。お前よりも何倍も可愛くて、魅力的な人がな」
少々飛躍しているかもしれないが、言っているうちに俺の心を何かがぐさぐさと
今自分の顔を見たら、醜い顔をしているのだろう。心も体も悪役に染まっている感覚を俺は味わっている。
拍子抜けに手元に落ちていた視線を胡桃に向けると、彼女は酷く驚いた表情をしていた。見ていられず、すぐに視界から胡桃を外す。それでも俺は心を鬼にし、胡桃を突き放す言葉を止めなかった。
「だから俺は──お前と幼馴染になったこと、それから義理の兄妹になったことが人生最大の不幸だった」
目一杯の想いを込めて、諸刃の剣の着地点に降りる。
その後、しばらく膝を抱え込むように俯いていると、胡桃は無言で俺の部屋を立ち去った。何も言い返してこないところが不自然過ぎて怖い。
「ふぅ、これで解放だ。専属メイドともようやくおさらば出来る」
ベッドから立ち上がりながら俺はぎゅーっと身体を天井に伸ばす。息苦しかった空気が、まるで森の中にいるような新鮮さに変わっていた。
「……くそっ‼︎」
反射的に俺は机に畳んでいたバイトのエプロンを床に投げ捨てる。自分の身体ではないように無意識だった。
「さて、これからどうしたもんか」
今後の行動を思い描き、窓から差し込む夕陽を眺める。
これが正しい選択だったという確証はない。だけど俺が最低限出来ることはこれ以外に考えられなかった。
まるで心に穴が空いたような感覚が俺を襲う。
そして静まり返ったこの空間は、虚無感に包まれていたのだった。
次回 最終章 解決編
連れ子の少女は無口で無表情なメイド
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