第26話 別れ道

 俺たちはショッピングモールを去り、自宅へ向けて歩いていた。

 その間、沈黙が続いている。ショッピングモールから駅、電車の中、自宅の最寄りからここまで。誰一人として言葉を放つ者はいなかった。

 言わずもがな、その原因は比良咲ひらざき。重い足取りで、暗い表情をしながら俺と胡桃くるみの前を歩いている。

 ギャルたちとイキリ野郎の遭遇したからというのももちろんある。実際深掘りしていいのか悩んだ結果、何も声を掛けられなかったから。

 けれどこういう場面でもいつもの比良咲なら、きっと雰囲気を壊さないように笑って誤魔化すと思うのだ。周囲の気持ちを汲み取って、何もなかったと錯覚させるように話を晒す。

 比良咲莉奈りなとは、そういう女の子だ。


「じゃあ、私こっちだから」


 比良咲と別れる分岐点に差し掛かり、比良咲は見え切った笑みを浮かべながら振り返った。

 ここが最後のチャンス。俺は事情を聞こうと口を開けるものの、言葉が喉を通らない。息詰まった苦しさが胸を打ち付けてきた。


「待って。まだ何も説明されていない。さっきの女の人とは一体どういう関係?」

 

 しかしそう言って俺の真横に並んで比良咲を見つめる胡桃のおかげで、なんとか固まった身体がほぐれる。


「彼女も言ってたでしょ。中学の同級生よ。それ以上でもそれ以下でもない」


「だったらどうしてあんなに怯えていた?」


「……胡桃には関係ないことよ」


 比良咲は真っ直ぐ伝える胡桃から逃げるように視線を外した。


「関係ある。和音くんをバカにした。許せない」


「ほんとあんたは根岸くんしか脳がないのね。だったらもういいでしょ」


「けど、それだけじゃない。──あなたがあまりにも情けなかったから見ていられない」


 何とも酷く、現実を叩きつける発言だった。


「私が情けない?」


 その影響でついに比良咲が顔を上げる。不満が溜まりに溜まった目付きで眉を顰めた。


「どうして悪口を言われても何も言い返さなかった? ──何しょうもない発言を真に受けているのよ。──あなたらしくない。私の昔の話をした時、あなたが私に言ったこの言葉を覚えているの?」


「そんなこともあったわね。でもだからなに? それと何が関係あるわけ?」


「私はその言葉をそのまま返す。今の莉奈は、莉奈らしくない」


 真実を突き付けるように胡桃は言い切る。そこには揺るぎない想いが込められていて、胡桃にしてはやけに感情を表に出していた。

 比良咲の心に響き渡ったのか、俯きながら彼女は黙り込んだ。ブーメランで返ってきた言葉ほど、情けないものはない。


「……らしいって何?」


 すると比良咲は小さな声量でまず呟き──。


「私らしいってなによ!」


 そして怒りの気持ちを秘めながら大声を吐き出した。

 

「勘違いしないで! 私はあなたみたい強くない! ──あの人の言う通り、私は根っからの芋っ子! 弱虫で意気地無しで臆病な女なのよ!」


 ブーメランをもろともせず、清々しいくらいに開き直る比良咲。


「違う。あなたはそんな人じゃない」


「分かったような口しないで!」


 張り上げた声音は明らかに不慣れで、微かに震えている。

 ふと自らの傲慢に気が付いたのか、比良咲は我を取り戻しながら再び続けた。


「私のことを何にも知らないくせに、そんな適当なこと言われたくないッ」


「二人とも少しは冷静になれ。……ほら、この前みたいに公園で休憩するか?」


 流石に危機を感じたため落ち着かせようとするが、当然俺の言葉に耳を貸すわけもなく。


「確かに私はあなたのことをよく知らない。好きな食べ物だって、好きな趣味だって知らない。──けど、今のあなたはとても醜く見える。何故はっきり言い返さない? 何故自ら負けを認める? 私にはとても理解出来ない」


 比良咲は下唇を噛み締める。


「あんたのそういう、理屈だけを通して正論のように話すところ。心底嫌い」


「安心して。私もあなたの本音を決して吐き出さないところ嫌いだから」


 胡桃が突き放すように言い返すと、比良咲は一歩後ろに足を引きずった。図星なのか、なかなか新しい言葉が出てこない。


「どうせあんたたち、本当のこと知って、そうやって私を見下してんでしょ? ダサいって。……特に根岸くんはいいわよね。みんなから好かれて、幸せな日常を送ってて」


 ──バチンッ。


 次の瞬間、胡桃は饒舌に語る比良咲の頬を平手で引っ叩いた。比良咲の頬が赤く腫れる。唐突な行為に比良咲の思考も追い付いていないようで、大きな瞳を開けた。


「私の悪口を言うのは構わない。でも、和音くんのことを言うのは誰であっても許さない」


 胡桃のその平手打ちと叱責しっせきはどんな発言よりも重く、心に突き刺さるような言い方をしていた。


「……分かった。絶交よ。うちの店でのバイトも今後来ないで」


 比良咲は自分の帰路に振り返りながら俺たちの元を去っていく。

 その目にはうっすらと涙が浮かぶ。落ち始めた夕陽によって光り輝いているところを俺は見逃さなかった。

 おそらく声を掛けて、呼び止めるべきだったのだろう。

 しかしやはり俺はそんな大層な言葉を伝えられるほど、有能な人間ではなく。

 ただ、悲しみに暮れた背中を見届けることしか出来なかった。

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