第三章 喫茶店の看板メイドは事情を抱えている
第19話 友達が出来ても変わらないメイド
「頭撫でて」
「昨日言ったろ? あれは冗談だ。それに、比良咲に知られたら間違いなく殺される」
「……
「バイトを通して、色々思った。和音くんと莉奈は友達以上の関係に近いくらい仲が良い。改めて、莉奈とはどういう関係?」
「ただのクラスメイトだよ。お前が思ってるような関係じゃない」
「つまり私の方が大切ってこと? ならしてくれても異論はないはず。まず前提として、約束は守るべき」
胡桃は自分の頭を傾けて、髪を撫でられる構えを取る。上品で愛らしいポーズにときめきそうだったが、俺は途端に恥じらいを覚えた。
「やらんもんはやらん!」
俺は逃げるように家を飛び出した。そして学校目指して一目散に全力疾走で道路を駆け抜けていく。
冗談が通じない奴だとは思っていたが、まさかここまで押し倒してくるとは思わなかった! 大概にしてくれ! 俺の気持ちにもなってほしい! 恥ずかしくて死にそうなんだが!
でも、先に学校に着けばこっちのものだ。あいつはまだ準備を終えていなかった。家の鍵閉めもある。到底追い付きはしないはず。
昨日は俺が頭を撫でる事を条件に胡桃は比良咲の申し出を受け入れたような気がするが、そんな事はただの口約束に過ぎない。そもそもあの申し出以前に、二人は既に友達になっていたと思うのだ。言い合いしてばかりだが、喧嘩するほど仲が良いという言葉があるではないか。いつの間にか、友達に入っている。これは常識の範疇だ。
しかし安心したのも束の間、しばらくすると、後方からタッタッタッと徐々に距離を詰めてくる駆け足が聞こえてくる。
恐る恐る背後を振り返ると、平然とした表情で走ってくる胡桃の姿があった。しかもそのまま跡を追ってきたわけではなさそうで、しっかりスクールバックを肩に掛けている。
「おいあいつ速過ぎだろ! どんな身体してんだよ!」
なまはげに追いかけられている気分だった。俺は男。胡桃は女の子。それなのにどんどんその差が減り続けていく。
「クソ! こうなったら!」
このままでは体力がジリ貧になり、勝機がないと判断した俺は高校までの最短ルートから外れた。住宅街の路地に方向を変える。細かい道をくねくねと曲がり、適当な壁裏に隠れた。
「よし、ここまで来れば……」
ハラハラドキドキ。ゾンビの街に放り込まれた気分で、心臓が高速に振動する。極力呼吸音を控えながら、周囲を警戒した。
瞬間、スッと俺の首元にカッターの刃が唐突に現れながら誰かに抱き付かれる。さらに細い左腕が俺の首を閉め、程よい胸の感触が背中を襲った。
「物騒だな〜。危ないからしまってほしいな〜……なんちゃって」
確認しなくてもこの矛槍を向けているのが胡桃だって事は即座に察せる。いつの間にか、気配を消していた胡桃に背後を取られてしまったのだ。
「どうして逃げるの?」
ASMRのような感覚で耳に囁かれる。
「いくらなんでも怖すぎるんですけど……。家の鍵はちゃんと閉めたのか?」
「もちろん閉めた。……で、どうして逃げるの? 私何かした?」
今まさにしてるじゃないですか!
「胸当たってるんですけど……」
「和音くんのエッチ」
「仕方ないだろ! とりあえず危ないからそのカッター閉まってくれます……?」
「逃げない?」
「逃げない」
息詰まって掠れた訴えと忠誠を胡桃はすんなりと受け入れてくれ、俺を解放してくれる。
あぁ、ヤベェ。心と身体が昇天しそうだった。変な意味じゃないからね。
すると胡桃は無言で先程と同じように頭を突き出してきた。目的はやはり頭を撫でてほしいという、どこまでも真っ直ぐな要望だった。
これには参ったと言わざるを得ないように、俺は呆然の溜息を口から漏らす。そっと胡桃の艶々な黒髪に手を添え、なでなで手を動かした。どういう感情をすれば良いか複雑で、何も言わずに十回ほど撫で回す。
「これで満足か?」
今俺の顔を鏡で映したら、耳先まで真っ赤に染まっている事だろう。
「うん、満足」
対してくしゃくしゃになった髪を直す胡桃の顔は至って平常。反応が分かりやすい比良咲と違って、白い綺麗な肌は何色にも変化していなかった。
「胡桃、せめて一週間に一回にしてくれないか? 恥ずかしくて死にそうだ」
「してくれるならそれでも構わない」
週に三回は胡桃が作った弁当を食べるという約束に引き続き、また新たな胡桃との習慣が生まれた。
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