第17話 友達(借)として

 ビシャ。


「すいません手が滑ってしまいました。でも構いませんよね? これでその汚れも落とせるんですから」


「えぇそうですか……って、済むわけねぇだろ!」


 イキリ野郎は比良咲の胸ぐらを掴もうと立ち上がり、前へ一歩踏み出す。しかし隙を縫うような正確さで比良咲がその足を引っ掛け、大分激しく転倒してしまった。


「てめぇ、いきなり何してくれてんだ!」


「お代は結構ですから、店の迷惑になりますのでご退店していただきませんか?」


 呆れた様子で比良咲はイキリ野郎を上から見下ろす。


「ここの店長はどんな教えをしてるんだ。こっちは客だぞ。こんなことしたらどうなるか分かってんのか?」


「客だからなんですか? まずうちの店にあなたのような非常識な人はお断りなので」


 比良咲がはっきりと人格否定をすると、イキリ野郎の余裕の態度は何処へやら、明らかにひよった挙動を見せる。


「は? 元はと言えば、そいつが俺の服に……」


「まだそんなことを……。遠くで話聞いてましたけど、あなたが嘘を付いてることくらいバレバレですから。こんな広い通路を歩いていて当たるわけないですよ」


「当たらないっていう確証はどこにもないだろ」


「防犯カメラで確認しても良いですよ?」


 店内に設置されているカメラを指差しながら怒涛の言葉攻めをする比良咲。着実に言い包められていくイキリ野郎の顔色は、次第にただの野郎と化していた。


「そ、そもそもそこのお前といい、さっきからその態度はなんだ。自分が可愛いからなんでも許されるって勘違いしてんのか? メイド服なんか着ちゃって、喫茶店なのに色気使うとかキャバクラかよ」


「……はい? 優しく接客してるのを良いことに適当な事をペラペラと」


 暴言を吐き散らすイキリ野郎に対して、比良咲はじわじわと拳を握り締めた。彼女の身体からドス黒い怒りのオーラが漂い始める。明るい対応で接客の建前をいたものの、ついに我慢の限界が訪れたらしい。


「いいから、早く出て行けって言ってるの」


 バンッと地面を踏み鳴らしながら本心を剥き出す比良咲。怯えるイキリ野郎に鋭利で容赦がない眼差しで見下した。


「この状況を見て、自分が煙たがれているとまだ理解出来ないわけ? 立派な大人がこんな迷惑行為して恥ずかしくないの? イキリたいのか普段のストレスが溜まってるのかは知らないけど、あんた今ダサいわよ」


 イキリ野郎は比良咲の本音の嵐に圧倒され、悔しみを込めて下唇を噛み締める。


「……最悪な店だって言い広めてやる」


「別に良いけど? 自分の目で確かめもしないでそんなデマ信じる客はこっちから願い下げよ。もちろん、私の大切なに迷惑を掛けたあんたみたいな社会のクズもね」


 評判を気にして客に屈服する店もあるだろう。しかし比良咲は自分なりの信念、もしかしたら母親である店長の信念なのかもしれないが、イキリ野郎に反抗心剥き出し続ける。予想外の言葉にイキリ野郎は反論を出来ず、アウェーな空気に飲まれていた。

 周囲の客から微笑が漏れる。醜態を晒す格好の的であった。


「クソッ、覚えてやがれ」


 自分の立場に恥じらいを覚えたのか、イキリ野郎は圧倒的な負け犬セリフを言い残し、逃げるように店を飛び出した。

 すると他の客から称賛の拍手が巻き起こる。

 我に帰った比良咲は頬を赤く染めながら頭を掻く。ライブを終えたアイドルかのように小さく頭を下げ、丁寧に謝罪と感謝を繰り返した。


「比良咲さん、私……」


「はいはいこの話はまた後で。とりあえず拭くもの持ってきて。仕事中よ」


 比良咲は胡桃の言葉を遮って、後処理作業を始めていく。いつもは無愛想な胡桃だったが、比良咲を見る表情は申し訳なさそうにしていた。両手で持つトレイをぎゅっと抱き締める。

 と、そんな一連の騒動を俺は蚊帳の外で見守ることしか出来なかった。


「ほら予想通り。大丈夫だった」


「……えぇ、そうですね」


 見直したと言うべきか、そもそも比良咲を過小評価しているつもりはなかったが、素直に感心してしまう。

 店のためなのか、それとも彼女の言う通り『友達』のためなのか。

 どちらにせよ、比良咲は良い奴で度胸が据わっている人間なのだと、俺は改めて痛感させられた。


 ***


 バイトを終えて店の外に出ると、空は夕闇を通り越して、雲の隙間から月の光が差し込んでいた。まばらに散らばる星々が煌めき合い、夜の冷たさがどこか心地良く肌に触れる。バイトをしていなければ、味わえない感覚だ。


「二人とも今日もお疲れ。根岸くん、これ頼まれてたやつ」


 俺とメイド服を着たまま帰宅するつもりの胡桃を見送りに来てくれた比良咲から、紙袋を渡される。中には数種類のコーヒー豆と長方形のチーズケーキが入っていた。


「悪りぃな、母さんがここのコーヒー気に入っちゃって。でも本当にお金払わなくていいのか? それにチーズケーキまで」


「お母さんが、チーズケーキ今日廃棄だからついでに持ってけって。コーヒーに関しては基本店員にはタダで提供してるじゃない。まぁ、いわゆるまかないってやつよ」

  

 こんなに良い職場なんて他にあるのだろうか。斗真を筆頭にクラスメイトにバレでもしたらまたおかしなことになりそうだ。胡桃と比良咲のメイド服を一眼見たいという一心で、常連が大勢増えるかもしれない。


「比良咲さん──」


「佐倉さんの分も一応入れておいたから、もし良かったら持って帰りなさい。勘違いしないで。ついでよついでよ」


 胡桃の発言を予想し、比良咲は先回りしてツンデレ感を出す。

 頼んだのは俺だけなのに、随分と気前がいいもんだ。とはいえ、俺と胡桃は同じ家住んでるから正直余分なんだよな。口が裂けても言えねぇーけど。

 だが、胡桃の表情がパッとしない。平常運転の無表情。しかし四六時中隣にいる俺には分かった。無表情の中にも微かにバツが悪い要素が混じっているということを。どうやら胡桃が言おうとしていた内容とは本格的に違ったらしい。


「その……比良咲さん、私のせいで仕事中に問題を起こしてごめんなさい」


 スクールバックの取手を握り締めながら胡桃は改めて頭を下げた。目を開け閉めして戸惑う比良咲。反応的な態度ばかりされてきた胡桃に頭を下げられるとは思っていなかったようだ。


「私に何かお礼させて」


「いらない」


「余計な迷惑掛けたのだから必要」


「まだそんなこと言ってるの? あんなの気にする必要ないわ。佐倉さんが悪いって誰も思ってない。思い出しただけでイライラする。次来た時はこてんぱんにしてやるんだから……」


 比良咲は相当根に持っているらしく、憎たらしさを込めて拳を強く握る。


「私はあの時、何も出来なかった。自分で解決すべきだったはずなのに、何も言い返せなかった。比良咲さんに迷惑をかけてしまった。私の責任なのに……」


 こんなに落ち込む胡桃を俺は初めて見た気がする。ましてやあのイキリ野郎に胡桃が何も言い返せないとも思っていなかった。いつだって完璧にこなすエリートメイド。比良咲がしたように正論をぶつけて、ギャフンと言わせてしまう。そんな気がしていたのに、胡桃はあの時おどおどしていた。人見知り、コミ症、口下手だからなのか、上手く対応出来ていなかったのだ。


「あのね佐倉さん、迷惑掛けない人間なんていないのよ。完璧な人間でも何かしらの欠点が必ずある。だからこそみんな手を取り合って、欠点を補っているの」


「なら比良咲さんにも何か欠点が?」


「……そうね、あるわよ。忘れたくても忘れられない事がね」


 比良咲は沈んだ表情で意味深にボソッと呟く。しかし数秒でその仕草を取っ払い、いつもの明るく棘らしい比良咲莉奈りなに戻った。


「それに私たち友達でしょ? 友達なら迷惑掛けるのは当然よ。そこの男が私にどんだけ迷惑掛けてると思ってるわけ?」


「確かに俺は比良咲にお世話になりっぱなしだな。男の嫉妬を収めてくれたり、先生から押し付けられた仕事を手伝ってくれたり、そりゃたくさん。これからも頼りにしてるぜ!」


「べ、別にあんたのためじゃないわよ。学級委員長として当たり前のことをしてるだけなんだから」


「素直じゃねぇな〜」


「うるさいうるさい!」


 トマトのように顔を真っ赤に染める比良咲。俺を特別意識しているわけではないだろうが、やはり比良咲を弄ぶのは何度やっても面白い。


「……私と比良咲さんが友達?」


「私はそのつもりでいたけど? 言い合ったり喧嘩したりすることもあるけど、同じ職場で働いて、同じ目標を求めてる」


 比良咲はチラッと俺と視線を合わせる。


「だから最近、案外佐倉さんとは気が合うと思ったりもするの。……佐倉さんはどう?」


「私は……」


 胡桃は比良咲の問いに黙り込んでしまう。毎度の如く、友達というキーワードに弱い。狼狽えるように声のトーンを低くした。


「なぁ胡桃、どうしてお前そこまで友達を作ろうとしないんだ?」


「それは……」


「もしかしてそれって、お前が小学生の頃不登校だった理由と関係してるのか?」


 正しいと言わんばかりに胡桃は身体をピクリと動かす。

 ずっと俺は考えていた。どうして胡桃は友達を作ろうとしないのか、どうして小学生の頃不登校だったのか。当時の俺は気にもしないでほったらかしにしていたけれど、俺も成長している。きっとそこに何かあるのだと、薄々勘付いていた。

 

「分かった。包み隠さず全部話す」


 俺と比良咲は決意表明をする胡桃にゾッとしながらも、その核心にようやく振られて内心ソワソワしてしまった。

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