第16話 接客スキルが皆無なメイド
それから一時間ほど経過してピーク帯を乗り切った頃合いになると、店内の落ち着きが取り戻しつつあった。
「「またのご来店お待ちしております」」
「ねぇ佐倉さん、いい加減どうにかならないわけ?」
「比良咲どうしたんだ?」
「いやあのさ、この子、あまりにも接客に向いてないと思うんだけど……
「あ〜、なるほど、その話か」
比良咲が言わんとする愚痴を俺は何となく察してしまった。
「確かに娘の言う通りだな。私も指摘しようか迷ってたところだよ」
比良咲の母親もどうやら薄々と気付いていたらしい。
改めて俺は思い返してみると、有無を言わさずまさにその正論だと思った。
胡桃は常に相変わらずの無表情で接客をしていたのだ。普段から一切表情を変えないのだから仕方ない気もするが、笑顔を作らず、愛想を振りまく事なく、淡々と注文を受け取っていく。無愛想。接客業において、それは店の評価にも繋がる欠点である。
まぁ、見ていてあからさまに態度が素っ気ないというか、やる気がなさそうな感じだったからな。本人は意図してないはずだろうが、周りの目にはそう映ってるって事だ。
「せめて笑顔くらいしたらどう?」
「笑顔……」
比良咲は自分の口の両端を手で触り、分かりやすくジェスチャーで笑顔を擬似的に作る。
「こんな感じ?」
すると胡桃は素直にその意見を受け入れ、自分の意思で笑みを浮かべた。ニヤリ。しかし比良咲が接客中に向ける可愛らしい笑みとは違い、ぎこちない笑み。睨んでいるとさえ錯覚してしまうほど、不器用な仕草だった。
「お前、それで笑ってるつもりなのか?」
俺が話し掛けると、平常の運転の胡桃に戻る。
「出来てた?」
「出来てるわけないでしょ。不自然にもほどがあるわ」
「アッハハハ、やっぱり胡桃ちゃんは面白いね。雇って正解だったよ」
「お母さん、佐倉さんを甘やかさないでくれる? ちゃんと指摘しないと今後ずっとこのままかもしれないのよ?」
「別にそのままでいいんじゃないか? 早々人ってもんは変わらないし、胡桃ちゃんのこういうところが好きなファンも少なからずいるわよ。……ね、根岸くん?」
比良咲親子の論争に巻き込まれる。
比良咲にはあんたはどっちの味方なのよと言わんばかりの尖った眼で凝視された。
「店長がそういうならいいんじゃないか? 今のところ何か問題が起きてるわけでもない」
「問題が起きたら手遅れなの分かってる? もしそういう場面が起こったとしても、私守ってあげないわよ」
勘違いしてもらいたくないのだが、決して胡桃を
実際、もの静かな胡桃を推すこの店の客もいる。ましてや胡桃がその性格を簡単に変えられるとは考えられない。さっきみたいな不細工な笑顔を見せるくらいだったら、これからも同じように接客するほうが良いに決まっている。
「そんなことより、私一旦休憩してくるから後のことはお願いね。もし根岸くんが作れない種類のコーヒーを注文されたら、いつも通り胡桃ちゃんに頼みなさい」
「分かりました」
比良咲の母親は俺たちにそう言い残し、エプロンを脱ぎながら店の裏手に向かってキッチンから離れた。
ピーク帯を過ぎた後くらいになると、比良咲の母親は店番を俺たちに任せ、休憩を取る。
サクラ喫茶の開店は朝の十一時、閉店は夜の一時。深夜帯は洒落た大人たちが通うバーテンダーになるようだが、昼間から働き続きのため、体力回復に務めているらしい。比良咲の祖父がこの場にいないのもそれが理由である。
カランコロン。そんな会話をしているうちに店長と入れ替わるかのように、来客が入店してきた。
「あ、おじいちゃんおかえり」
比良咲がキッチンをぐるっと回り、駆け寄っていく先には白いワイシャツに黒いズボンを着た老人がこちらに向けて手を振っている。渋い髭を生やしている比良咲の祖父だった。
「莉奈お疲れ。それに根岸くんも佐倉さんもいつもありがとうね」
「マスターおかえりなさい。今コーヒー淹れましょうか?」
「ありがとう。お願いしてもいいかな?」
比良咲に続いて俺も挨拶し、胡桃が小さくお辞儀すると、比良咲の祖父はカウンター席に腰を下ろす。
「じゃあ私接客してくる」
胡桃は比良咲に配慮したのか、片付け終わっていないテーブルへ移動。俺たちの元を離れた。
そしてバイトを通して何度も作ったカップの上にクレマと呼ばれる泡の層が生まれる──エスプレッソというコーヒーを作り上げ、比良咲の祖父に提供する。
「美味しい。流石上達が早いね」
優しく微笑みながら俺が作ったエスプレッソを飲んでくれる比良咲の祖父。それだけ俺は感極まりそう。
「マスターのおかげですよ。他の店員は変な人たちばかりなんで、いつも助かってます」
比良咲の母親を店長と呼び、比良咲の祖父をマスターと呼ぶ。店長は義務的な感じだが、マスターに関しては尊敬の意を込めている。
マスターは俺の師匠。この喫茶店で唯一俺に対して優しく接してくれる良い人、神様だ。
「なによそれ、その言い方だと私たちが頭おかしい人みたいじゃない」
「メイド服に着なれた奴には言われたくない」
「あんたのせいだって言ったでしょ⁉︎ 私だって好きで着てるんじゃないんだから!」
俺は顔を真っ赤にする比良咲の肩を
「安心しろ。クラスのみんなには秘密にしておいてやる」
「そんなの当たり前よ。言い広めてみなさい。もしそうなったらあんたの将来私が終わらせるから」
比良咲は憎悪に膨らんだ眼差しを押し付けてくる。
学校では真面目な学級委員長として立場があるから、そこら辺の事情を気にしているのだろう。単純に見られて恥ずかしいってだけかもしれんが……。
「けど、君たちがこの店で働き始めてからすっかり店の雰囲気は変わった。昔ながらの伝統が今は少し恋しい気もするよ」
マスターは良き思い出を頭に浮かべるかのように寂しさが際立つ言葉を放った。
「マスター、これで良かったんですか? 店長──比良咲のお母さんが好き勝手やってやっぱり不満とかあります?」
「あの子は昔からあんな感じだからもう慣れっこだよ。それに──店の雰囲気が変わったとしても客の雰囲気は変わっていない。みんな楽しそうに来店してくれて、美味しそうに口に入れてくれる。……そもそもこの店の常連さんにも好評なんだ。特に莉奈のメイド服が見れて嬉しいと、口を揃えて言っている」
チラッと比良咲を伺うと、彼女の頬はピンク色に染まっていた。
今日を含めて合計四回しか俺はこの店で働いていない。だから誰が常連さんなのか、さっぱり分からない。けれどきっと比良咲はその人たちと相当仲が良いのだろう。また、その人たちから愛されているのだろう。今はメイド喫茶店のアイドルだが、比良咲は昔から地元の喫茶店のアイドルだったのだ。
なんだが良い話が聞けた。身も心もほっこりしてしまい、サクラ喫茶が良い店だということを再認識させられる。
しかし突然、その空気をぶち壊すように──。
「調子乗ってんのか⁉︎」
そんな若い男の荒声とテーブルを蹴りつける音が店内に響き渡った。
ん? なんの騒ぎだ?
他の客の会話も途切れ、全員の視線が一つの場所に集まる。
元凶となる声元では大学生くらいの男が椅子に踏ん反り返っていた。ガチガチに金寄りの茶髪をワックスで硬め、ネックレスやブレスレットを身に付ける。見た目からしてチャラそうな青年。ここでは仮名としてイキリ野郎と呼んでおこう。
話を戻し、そんなイキリ野郎の近くには平然として態度で居座る胡桃が立っていた。
「もう一回説明しましょうか? あんたが横を通り掛かったせいで飲み物が
「先程言いましたが、私はあなたと接触した記憶はありません」
「じゃあ何? 俺が嘘を付いてるとでも言うわけ? こっちは客。謝罪、弁償。当たり前なんじゃないんすか?」
そのやさぐれた態度は、明らかに難癖付ける社会のゴミだった。
マスターが良い話した直後にこれかよ。テンプレ的な厄介クレマーだな。胡桃の言い分を信じるのは当たり前として、もしあの人の言い分が正しかったとしても暇なのか? こういう人たちを見てると、本当に哀れに思う。日々の
どっちが正論かは後回しにして、側から見れば睨み付けるイキリ野郎の方が悪役に見える。おそらく俺以外の閲覧者も同じ意見なのだろう。
「なにその無表情……言いたいことがあるならさっさと言ったらどうだ?」
「……私はやってません」
イキリ野郎に指摘されると、胡桃は無表情をどうにかしようと試みたのか、数十分前に見せたあの不気味な笑みを浮かべた。
「おちょくってんのか」
案の定、イキリ野郎の反感を得て、不機嫌になってしまう。
あのバカ! さっき言われたからって余計なことするなよ!
流石に止めなければと思い、俺はキッチンを飛び出して助けようとしたが──。
「根岸くん、大丈夫。見てなさい」
安心し切った表情でカップを口に運ぶ比良咲の祖父に止められた。
「どうして止めるんですか?」
「うちの看板娘がどうにかしてくるからさ」
ヒールで床を歩く足音がやけに耳に入ってくる。胡桃に集中しているうちにさっきまで側にいた比良咲が、いつの間にか水を注いだグラスを片手に現場へ急行していた。
「まぁとりあえずこの礼は身体で払ってもらうか」
ビシャ。
そしてイキリ野郎が嫌らしい視線と手付きで胡桃の太ももに手を伸ばそうとした次の瞬間、比良咲は間髪入れずに彼の頭の上から水をぶっかけた。
イキリ野郎の身体から水滴が滴れる。突然の出来事にイキリ野郎の思考は一時停止してしまう。
「すいません手が滑ってしまいました。でも構いませんよね? これでその汚れも落とせるんですから」
比良咲は向日葵のように明るい笑顔を向けながら両手を合わせて謝罪する。
ただし内心では目くじらを立てていると、誰もがそう直感した。
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