第14話 母親の思いやり
「出来ました」
俺と
向かい合うカウンター席に比良咲親子、それから店に入った際に出迎えてくれた老父が並んで座っている。テーブルの上にそれぞれコーヒーを二つずつ運んだ。
「まず胡桃ちゃんの方からいただこうか」
胡桃が淹れたコーヒーの中心には泡のように膨らむミルクが模様として浮かぶ。コーヒーについて詳しくない俺でも見たことあるような、ザ・コーヒーというイメージがあり、バリスタなんかがよくアートを描くような種類だった。
「すごい。これほんとにあんたが作ったの?」
味がどうとかの問題ではなく、比良咲を筆頭に審査員の三人はその見た目だけで圧倒されていた。
「エスプレッソマキアート。まさかこれが出てくるとは思わなかった。他にも何か作れる?」
比良咲の母親は柄が悪い態度を取っていたにも関わらず、関心を示すように胡桃に問う。
「フラットホワイト、カフェモカなど、一通りの種類はなんでも作れます」
訳の分からない単語が飛び合う中、比良咲の母親と老父は意味を理解したようで一段と驚愕した。
兎にも角にも味を確かめなければ始まらないと思ったのか、三人は一斉にカップに口をつける。
「うんっま」
「お父さん、この味……」
表情でも上手いと感想を述べている比良咲をよそに、比良咲の母親と老父はまた二段と大きく目を開けた。
「佐倉さんと言ったかな? この作り方、誰に教えてもらったのかい?」
お父さん──つまり比良咲の祖父に当たる老父が思わず話しかける。
「私の祖母の家には昔から雇っているメイドがいて、その人に教えてもらいました。バリスタの資格を持っている女性の方です」
「……そうかい。偶然というのは恐ろしいものだね」
老父は何処か寂しくも懐かし気な顔をしながら再びカップに手を付けた。相当味が美味だったらしく、満足した余韻を残している。
胡桃は流石だな。てか、毎回思うんだが、こいつを育てたメイドって優秀過ぎだろ。……この後に自分のやつ飲まれるのすごい嫌なんだけど。
「じゃあ次は根岸くんのを……」
到頭自分の番が回ってきた。
俺が作ったコーヒーは胡桃のように見栄えする代物ではなく、ペーパードリップで淹れた単なるコーヒー。焦茶色の液体がカップの上で揺れている。
「普通だね」
「普通。極めて普通」
娘、母親の順番で伝えられた感想はそれだけだった。
「せっかくこの子が淹れてくれたんだ。もう少し美味しそうに飲んだらどうだい? 私は素人に上出来だと思うよ」
老父が優しく声を掛けてくれると、比良咲の母親は悔しそうに眉間に皺を寄せながらコーヒーを全て飲み込む。
「チッ、分かってるわよ。クソ不味いって言おうとしたのに悔しいけど、君センスある。まぁそれなりに飲めるってだけだけどね」
「お母さんも素直じゃないね〜」
「あんたにだけは言われたくない」
「いてっ」
比良咲の母親が娘の額をペシっとデコピンを入れる。その平和な家族を眺めている俺にもその矛先は向けられた。
「普段自分で淹れたりしてるの?」
「たまにですけどね。この子みたいにプロ級な腕前は持ってませんが……」
最近は胡桃や真由美さんに頼りっぱなしだが、昔は父親の代わりに俺がコーヒーを淹れていた。それも専用マシンではなく、本格的な細かい器具で作る。キッチンにある器具を何の説明もされずとも使いこなせたのはそのためだった。
「そうね……」
比良咲の母親は胸元で腕を組み、ん〜と頭を悩ませる。最終決断を考えているのだろうか。ついでにタバコ中毒者のようにポケットからココアシガレットを一本出して口に咥えた。
「……よし、決めた。合格よ」
その結果を否定する人は誰もいなかった。バリスタの資格を持っているであろう比良咲の祖父でさえ納得の頷きをしている。
「特に胡桃ちゃんに関しては将来ここのスタッフとして働いてほしいくらいだ。どうかな? うちで働いてみないか?」
比良咲の母親は再度胡桃に気持ちを聞く。
「ごめんなさい。やっぱり私は和音くんがいないとその提案を受け入れる事は出来ません」
しかし胡桃は丁寧に頭を下げ、キッパリと断った。
「要するに──この男が一緒になら良いってことだね?」
ダメ出しを食らったというのに、比良咲の母親が不敵な笑みを浮かべながら俺を目視する。何を考えているのか、手に取るように分かってしまった。
「まさか自分も働けと?」
「そうだ」
「ちょっと待ってください。元々僕はバイトする気なかったですし、さっき言ってましたよね? 無能な人間を雇えるほど余裕はないって」
「誰が一人しか雇えないと言った? さっきも言ったろ? 君にはセンスがある。だから無能な人間ではないと判断した」
「そのお言葉は嬉しいんですけど……」
いきなりの急展開過ぎて、俺は脳裏の思考が追い付いていなかった。今日は仲介人としてこの場にいるという心構えで足を運んでいる。この流れは想定していない。
「そもそもの話、君は胡桃ちゃん一人に押し付けて可哀想だと思わないのか? 誘った本人がやらないとか、男としてダサいぞ。それとも何かい? こんな店じゃ働けないってか?」
「いえいえ! 素晴らしいお店です!」
「じゃあ文句ないよな?」
殺意剥き出しの視線が俺に突き刺さる。断りでもしたら息の根を止められてしまいかねないと思わせるほど、首を絞められている感覚に襲われた。
「もし和音くんがいるなら、私は働いても構いません」
「一人でも大丈夫だと言ってくれ。俺はそのつもりじゃなかったんだ」
「事前に説明してくれたらこんなことにはならなかった。その報い」
胡桃の真っ当な言葉に俺は何も言い返せない。
「
比良咲は自分の母親から遠回しでとある意味を受け取ったのか、口元を締める。そしてカウンター席から立ち上がると、ビシッと人差し指を俺に向けてきた。
「そうよ! 私は最初から根岸くんだと思ってたんだから! 約束通り、バイトとして働きなさい! そうしないならあんたの目的に私は付き合わない!」
「お前まで何言い出すんだよ! さっきは協力してくれるって言ってたじゃないか!」
「元はと言えば、根岸くんが騙すのがいけないんでしょ⁉︎ 私に文句言う権利なんてないはずよ!」
完璧なまでに俺はどんどん四方塞がれた壁に押し寄せられていく。唯一の救いだと思った比良咲の祖父に頼みの綱を繋げようとしたものの、本人は何事もなかったかのように店の裏に姿を消した。
「もう一度質問してやる。君ら、この『サクラ喫茶』でバイトとして働いてみないか?」
三方向からそれぞれ違った期待の眼差しを向けられる。ある者は冷淡で、ある者は好意的で、ある者は面白半分で、俺の発言を待ち侘びていた。
「……分かりました。時給高くしてくださいね」
俺が吐き出した不満の溜息は、比良咲親子の歓喜によって時間とともに薄れていくのだった。
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