第二章 二人のメイドはあべこべで交わらない
第10話 それでも俺から離れないメイド
六月中旬、
案外平和なもので、あっという間に時間が過ぎていく。
「…………」
男女問わずクラスメイトが俺に向ける嫉妬の念は少しずつ薄れていた。俺と胡桃では釣り合わない、そういう関係ではないという認識が広まりつつあるのか、転校初日以降は元の日常に元通り。逆に紹介してくれと言われるくらい、俺は目にもされていない。
俺に義理の妹がいる点も、やはり妹という関係性故に音沙汰なく水に流された。
「…………」
本来の目的である胡桃にも女子の友達が出来た。休み時間には仲良く会話を楽しみ、昼休みは教室でご飯を囲む。不登校だったとは思えないコミ力が高いスキルで、すっかり人気者に成り果てた。異性から告白されてたりもして、青春を謳歌しているという、もはや無双状態。
「…………」
そして俺に対する依存も無くなり、専属メイドはこれにておさらば! 多少寂しい気もするが、ようやく俺の平和で普通な生活が戻ってきた!
………なんていうのが、俺が当初思い描いていたストーリー。
「いつまでそこにいる気なんだ?」
体育の授業中、俺は体育館のコートで行われている男子のバレーの試合を眺めながら、そんな被害妄想をしていると、やけに浴びる視線が気になった。
「気にしないで」
そう言って左隣に座っているジャージ姿の胡桃がこちらを見つめている。胡桃もどうやら別コートで行われている女子のバスケ試合の休憩中のようだが、特に何も用事がないらしく、ただじっとそこにいるだけだった。
「そうもいかないだろ。四六時中側にいられたらツッコまざるを得ない」
現実から目を逸らすのはもうやめよう。
酷な話だが、胡桃の依存は何の因果か日に日に悪化していた。
どこに行くにしろ、彼女はメイドのように常に俺の後ろを張り付いてくる。登校中、移動教室、昼休み、そして十分間しかない休み時間でさえも半径一メートル以内には必ずいる。席が離れる授業中やトイレ中という、ルール的に縛られた状況下でなければ、ほとんど付きっきりレベルだ。
ちなみにこれは依存どうこうの話ではないが、どんなに早く帰宅しても胡桃が玄関で迎えてくれる日々がここ最近続いている。
転校初日の帰宅。
「和音くんおかえり」
転校初日から一日後の帰宅。
「和音くんおかえり」
転校初日から二日後の帰宅。
そこで違和感に気付き、その日はなるべく早歩きで下校した。
「和音くんおかえり」
そして次の日は正門を抜けてから全力ダッシュ。
「和音くんおかえり」
また次の日──金曜日はホームルームが終わった瞬間から見事なスタートを決める。
「和音くんおかえり」
しかし家の扉を開けると、メイド服を身に纏った胡桃が既に玄関で立っているのだ。
こいつどんな方法使ってんだよ。
誰よりも教室を真っ先に飛び出し、家までの最短ルートを走っているにも関わらずこの結果だった。もはや瞬間移動をしていると思わざるを得ない状況を胡桃は披露した。
「ほんと和音は羨ましいな〜」
俺の右方に座っていた丸眼鏡の
「古島さん、昨日の写真ありがとうございました」
「いいってことよ。
間髪入れずに俺は斗真の額を悪意に満ちた手でガシッと掴んだ。
「おい斗真、写真ってなんの話だ?」
「そんな怖い顔するなって。カッコいい容姿が台無しだぞ⭐︎」
キランとウィンクする斗真は全く悪びれた様子もなく、本気で穴に埋めてやろうかと思った。
「古島さんとは昨日、連絡先を交換して中学時代の和音くんの写真を送ってもらった。感謝してもしたりないくらい」
「佐倉さんのお願いならばいつでも……って、痛い痛い! そこまで怒る必要ないだろ⁉︎」
俺は無意識に斗真の頭蓋骨を砕こうとするくらいの力を入れてしまう。胡桃も大概だが、元凶は斗真である自信しかない。彼はそういう人間なんだから。
「というかお前、胡桃と仲良くなり過ぎだろ」
「あれ〜、もしかして嫉妬してるのかい?」
今度こそ俺は斗真の頭に拳骨を叩きつけた。衝動が抑えられず、武力を行使してしまうとは自分が情けない。けど流石に今回は仕方ないよな? 正当防衛だ。
「悪かったよ。でもな、毎日毎日教室でイチャイチャされる身にもなってみろ。これでも俺は良心的じゃないか?」
「別にイチャイチャはしてないだろ」
全面的に否定すると、斗真は呆れた色の吐息を付く。
「お前も知っての通り、佐倉さんは基本的にお前としか話さない。俺だってまともに話したのは昨日が初めてなんだぜ? しかもそのきっかけがお前なわけだし……」
「あぁ、そのおかげでクラスメイトの視線がとにかく痛いよ」
クラスの雰囲気は相変わらず殺伐としている。
けれど初日とはベクトルが変化した。転校初日は男女問わず刺々しい圧を送られていた。男子は羨ましい、女子も羨ましい。美しい外見ゆえの注目を浴びていた。
対して三日経った現在は男子は殺意、女子は成長を見守るように暖かい目で俺たちを観察するようになった。
男子の目はもはや人間じゃない。好感度を意識しているからなのか、胡桃には見えないところで明確な殺人衝動を抱いている。
女子も女子で面倒臭い事に微笑ましいカップルと認知するようになったのか、俺と胡桃がまるでハッピーセットかのような扱いをしている。
その勢いは留まらず、俺を陥れようとする男子と蚊帳の外で見守ろうとする女子が何故かそこで対立する始末。
胡桃の転校がきっかけにクラスの環境が変化していることだけは確かだろう。
「なぁ胡桃、初日は他の女子たちと昼飯食べるくらい仲良くしてたじゃねぇーか。どうしてその次の日から話そうとしないんだよ」
「忘れたの? 私は友達を作るつもりはない」
「じゃあこいつはなんだよ」
隣でピースを掲げる斗真を俺は指差した。
「古島さんは私の協力者。友達とは少し違う」
「そ、そんな……俺はてっきり友達になれたと思ってた」
斗真は愕然と肩を撫で下ろし、悲しい現実を垣間見る。俺も二人の会話を聞いて友達になったのかと思ったけれど、やはり胡桃は心を開いていなかった。
可哀想な奴だなと心の中で呟くと、無表情の胡桃は俺に擦り寄ってきて、腕に抱き付いてきた。微かに柔らかい感触が腕に当たり、甘い香りがスッと鼻に入る。同じ屋根の下に住んでいるのだから洗剤は同じなはずなのに、その匂いだけ心を撃ち抜かれそうになった。
「だから学校でも私は和音くんの側にいる」
「……勘弁してくれ」
そうこうしているうちに体育館に試合終了のブザーが鳴り響いた。コートで走る生徒たちは一斉に足を止め、次の試合と入れ替わるために体育館の橋に移動し始める。
するとそこへ俺たちに歩み寄ってくる足音が一つあった。
「佐倉さん! 次私たちの試合よ!」
小さな足音はやがて床を大きく踏み込む音に変わり、怒鳴るような声音が胡桃に降りかかる。薄茶色のツインテールを尖らせる
「というより、なんで授業中にそんなくっついてるのよ! 早く離れなさい!」
「どうして?」
「試合だからよ! 分かる⁉︎ しーあーい! 私たちチームでしょ⁉︎」
比良咲は気分がよろしくないようで、胡桃を睨み付ける矛先が今度は俺に向けられた。
「あんたもあんたで何ニヤニヤしてんのよ! 気持ち悪いんですけど!」
「ニヤニヤはしてないだろ!」
「この子に抱き付かれた時ニヤニヤしてたじゃない! 私遠くから見てたんだから!」
「見てんじゃねぇーよ! もっと授業に集中したらどうだ⁉︎」
「別に根岸くんを見てたわけじゃないわよ! たまたま視界に入ったというか……まずあんたにだけは言われたくない!」
ごもっともな意見である。
我ながら思う。俺たちはなんつっーバカップルぽい絵面なんだと。
「いいから離れなさい! これ以上動かないなら学級委員長として先生に報告するわよ!」
頬をムッと膨らましながら比良咲は俺たちを強い眼差しで威嚇する。学級委員長というだけあって、こういう触れ合いの耐性がないらしい。
「ったく……ほら、お前も早く行ってこい」
「うん、分かった」
胡桃は俺の腕から離れ、その場を立ち上がる。軽く尻を叩き、比良咲の元へ向かった。
比良咲には耳を貸さなかったのに俺の言葉には耳を貸すんだな。
斗真は二人が去っていくのを見送ると、もたれかかるように両手を床に突き、頭上を見上げた。
「お前はほんと幸せもんだな」
「どこがだよ」
「はぁ……俺の親友ながら情けない」
幸せという発言には同意しかねるが、情けない事に関しては認めなければならない。
胡桃に友達を作らせると言っておきながらこのありさまだ。何もまだ作戦を実行出来ていないし、思い付いてもいない。
「早いところなんとかしねぇーと」
斗真には聞こえないくらい小さな声で囁き、俺は歪み合いながらコートへ向かう胡桃と比良咲の背中を見て、ある事を思い出した。
【──最近バイトの子が辞めちゃって人手不足なの。──うちで働いてみる気ない?】
「そうだ!」
「なんだよ突然……」
思わず声を上げてしまうほど、俺は我ながら明暗な作戦を閃いた。
次話 喫茶店編
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