第8話 誤解を生みまくるメイドは無意識

「ちょっと付いてきてくれ……」


 ホームルームが終了した瞬間、俺は椅子に座る胡桃くるみの元に訪れた。


「分かった」


 周囲の尖った視線を浴びつつも胡桃を連れて何者から逃げるように、人通りが少ない渡り廊下に移動する。


「お前何してくれてんだ……」


「そんなに頭を抱えてどうしたの? 熱でもあるの?」


「お前のせいで今にもぶっ倒れそうなんだよ! なんであんなこと全員の前で言ったんだ⁉︎ 言う必要なんてなかっただろ!」


 とぼけた表情をする胡桃に俺は溜まりに溜まった苛立ちを一気に解放した。


「あんなこと?」


「同じ屋根の下で暮らしてるっていう発言だ! それすら分からないのか⁉︎」


「私は何にも嘘は付いてない。それに和音かずねくんとの約束通り、義理の兄妹であることは口にしていない。先生に自己紹介してと言われたから、なるべく濁して伝えただけ」


「濁すにも程ある。あれじゃあ余計に如何わしい関係だと思われないないぞ……」


 あんな事を言われるんだったら義妹と言われた方がよっぽど良かったのかもしれない。

 法理的には結婚出来る義理同士だが、言っても兄と妹の関係。その二人が結ばれる行為はあまりにも世間的反感を貰いかねない。少なからず抵抗があるはずだ。

 きっとそれも相まって、嫌な妄想を最低限されない。

 その反面『同じ屋根の下で暮らしてる』という曖昧な表現では言葉が明らかに足りない。拾って住み着いたとか、誘拐したとか、愛を誓い合った故の同棲とか、人によって受け取り方が異なるだろうが、誤解を生むのは明確だ。


「前提として、俺たちが一緒に住んでる事は秘密にするべきだ。わざわざ暴露する必要もない」


「なぜ?」


「なぜって……分かってくれないか」


 胡桃は事の重大さをどうやら理解出来ていないらしい。

 前々から思っていたが、胡桃は常識が通用しないというか、常識を知らない部分が多々あった。

 意図的にそうしているのか、無自覚に引き起こしているのかは見当もつかない。けれど極端に距離の詰め方が常軌を逸している。


「まぁそういうわけだから、俺たちが同じ屋根の下で暮らしてる事は秘密。ついでに予防線も貼っておくが、専属メイドも禁止だ」


 新たな火種を撒き散らしかねない。一つ一つ約束を取り付けていくべきだと判断し、俺は新しく情報開示のルールを提案した。

 ましてや専属メイドという関係がもっとも火に油を注ぐ可能性がある。婚約者がいるとかのレベルで、反感を買いそうな要素なのだから。


「なら私たちの関係はなに?」


「ん〜、本当は単なるクラスメイトがいいんだが、自己紹介であんな先陣を切った以上、流石に誤魔化し切れないだろうからな……」


 タイムリープして時間を遡りたい、発言を聞いた人間の記憶を消したい。そうやって全てを白紙に戻したいのは山々なのだが、もちろんそれはSF的空想に過ぎない。


「普通に幼馴染でいいんじゃねぇーか? 同じ屋根に暮らしてたってのは昨日たまたま俺ん家に胡桃の家族が泊まっていたから。やましい事は何もない至って健全な関係。これなら誤魔化しも効くだろう」


「幼馴染はいいのね。難しい」


「バレバレの嘘を付いたらそれこそ一貫の終わりだ。せめて馴れ初めくらいは事実を言わないと」


 他にも親戚や元クラスメイトなどと代案はいくらでもあったが、中でも幼馴染が妙にリアルだった。本音と建前を通し、本音の中にも嘘を混ぜておけば、二重構造でバレにくいものである。


「あと、お前苗字はそのままなんだな。佐倉胡桃。てっきり根岸になるんだと思ってた」


「再婚する場合、苗字を変えなければならないのは結婚した本人のみ。その子供はどちらでも構わないらしい。だから私は佐倉を選んだ」


「佐倉って苗字に拘りがあるのか?」


「特に理由はない。強いて言うなら、和音くんとの結婚のために取っておくべきだと考えた」


 結婚って……この前もそんなこと言ってたような気がするな。

 

「でも勘違いしないでほしい。私は結婚をしたいわけじゃない。あなたの側にいたいだけ。あなたを独占したいだけ」


「独占……か」


 その後、小さな会議を終えた俺は胡桃と教室に戻りながら、もし彼女と結婚したらと頭を働かせた。

 異常な束縛に目を瞑れば、おそらくそれなりに幸せな家庭を送れるのだろう。

 家事も料理も出来て、それも可愛い。申し分ないくらい理想の妻として俺を支えてくれるに違いない。

 けれどそれは果たして胡桃にとって最高の幸せなのかと同時に思うのもまた事実だった。


「ねぇ根岸くん! 佐倉さんとはどういう関係なの⁉︎」


 教室に足を運ぶと、俺たちの帰りを待ち望んでいたかのように二人の女子生徒が出入り口で声を掛けてきた。


「二人はもしかして婚約関係とか⁉︎」


 女子生徒らはキラキラとした期待の眼差しで俺の斜め後ろにいる胡桃を凝視する。

 すると胡桃はその視線から遠ざけるように俺の背後へ隠れて、シャツをそっと摘んできた。


「あれ? 私たち今嫌われるような事言ったかな……?」


「いや、そういうわけではないと思うけど……」

 

 後ろの様子を伺うと、胡桃は暗い表情をしながら何かに怯えていた。

 その光景を俺は既に一度見たことがあった。

 小学校の頃、彼女が久しぶりに登校した時の場面と全く同じだ。

 自分から他の生徒と関わろうとせず、常に俺の背中に隠れていた幼き胡桃。俺が通訳しなければ、会話が成立していなかったあの頃と構図が酷似している。

 あぁそうか。そういうことか。こいつは万年不登校。だから人との接し方の限度を知らない。どうりで常識が通用しないわけだ。


「こいつは極度の人見知りでな。悪気はないと思うからそんなに気にしないでくれ」


「あ、そうなんだ。なんかごめんね」


「………ッ!」


 徐々に俺の背後から顔を出していた胡桃は距離を詰めてくる女子生徒の一人から瞬時に顔を背ける。


「一言くらい自分で言い返したらどうだ」


 ここまでコミ症だとは思っても見なかったけれど、昔のようにはもういかない。どうにか胡桃自身が会話出来るように気配った。


「か、構わない。こちらこそごめんなさい」


 胡桃は一層シャツを強く握り締め、弱々しくもポツリと小さく呟いた。


「へー、根岸くんには心開いてるんだ。やっぱり佐倉さんは婚約者なの?」


「そんなんじゃないよ。ただの幼馴染。さっきこいつが言ってた『同じ屋根の下で』ってやつはたまたま昨日泊まってただけなんだ」


「え、そうだったの?」


「あぁ、だからやましい関係は一切ないからな!」

 

 誰にとは言わないが、クラス全体に聞こえるようにそう断言した。

 さっきからクラスメイトの視線が痛いほど刺さっている。それほど胡桃という転校生が注目を浴びている証拠だ。


「まぁ、仲良くしてくれると助かるわ」


「もちろん! 佐倉さん、私たちにあなたのこと色々教えてほしい! 次移動教室だから一緒に行こ!」


「ちょ、ちょってまっ……」


 女子生徒らは胡桃の手首を掴み、俺の元から連れ出す。一時間目の授業の身支度を済ませ、教室を後にしていった。

 これでようやく落ち着いた日常が帰ってくると思いきや──そんな甘い話は存在しなかった。


「和音さんや、早速話を聞かせてもらいましょうか?」


 丸眼鏡を白く輝かせる斗真とうまを筆頭に、数人の男子生徒がいつの間にか俺の周囲を怖い顔で囲んでいた。


「アハハハ……それはそうなるよな」


 ちなみにこの後、俺は全員の前で正座させられた。

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