第5話 メイドになったわけ

「はぁ、やっと終わった」


 時間が刻々と過ぎていき、窓からは夕陽の紅光が差し込んできた頃合い。

 胡桃くるみの部屋改造計画も最終段階に進んだところで、俺はようやくメイドの束縛から解放された。

 最後は『残りは私がやる。ありがとう』と胡桃に言われ、何とも呆気なく終了していた。

 休憩もせずに働きっぱなし。

 もう少し心が籠った感謝をされても良いはずなのだが、人によって胡桃の膝枕や手錠の拘束がご褒美なのかもしれない。

 ただし俺はそんな変態さんではない。

 精神的にも肉体的にも疲労困憊。喉もカラカラで、疲れ切った身体を動かして一階のリビングに足を運んだ。


「あれ、和音くんも休憩?」

 

 台所では肩に軽く乗るくらいに伸びた明るい茶髪を揺らす真由美まゆみさんが、ティーポットを手にしていた。


「まぁそんな感じです」


「じゃあよければ紅茶でもいる? 淹れてあげようか?」


「いただきます」


「ちょっと待ってて」


 何もかも包み込んでくれるような微笑みを浮かべる真由美さん。

 今の俺にはただ優しいそのさり気ない態度ですら安らぎになってしまう。

 表情が読めなくて何がしたいのか分からないあのエッジの効いたメイドさんと、比較することすら烏滸おこがましいのだろう。

 リビングにあるテーブル席でしばらく待っていると、真由美さんが淹れてくれたカップが運ばれてくる。

 そして真由美さんは俺の正面に腰を下ろし、優雅にカップに口を付けた。

 続けて俺もゆっくりカップを手に取る。種類はおそらくレモンティー。鼻をツンとさせる酸味の効いた匂いが漂っていた。

 一口ゴクリ。

 あんまり普段紅茶を飲む機会がないけれど、率直に言って美味い。大人の味って感じがする。


「それより和音くん、私の娘とは仲良く出来そうかな?」


「うぐっ……ゴホンゴホン! ゴホンゴホン!」

 

「え⁉︎ ちょっと大丈夫⁉︎」


 吐き出してしまいそうな勢いで俺はせる。

 唐突な真由美さんの質問に喉元で紅茶が詰まってしまった。


「大丈夫です。少し動揺してしまって……」


 直ちに近くにあったティッシュで口周りを拭き、俺は平常心を保つために紅茶を一気に飲み込んだ。


「お〜、良い飲みっぷり。……で、どうなの?」


 微かな願望程度で誤魔化し切れるかなと思っていたのだが、そんなわけもなく、真由美さんは面白おかしく目を細めた。


「真由美さんが期待してるようなことは何もないと思いますよ? 言っときますが、さっきのは単なる事故です。最悪なタイミングで見られただけですから」


「そうなの? 別に私は賛成だよ。和音くんみたいな男の子なら、私も娘を安心して預けられるもん」


「義理とはいえ、これでも胡桃の兄なんですが……」


「あらもうお兄ちゃんの自覚があるなんて頼もしい〜。余計信頼しちゃうわ〜」


 ウフフと不敵な笑みを浮かべる真由美さんに俺は呆れた吐息を吐き、親バカだなと心底思う。


「でもあの子らしいわ。再会した初日に専属メイドにしてほしいって。私もあの時はびっくりしちゃった」


「真由美さんも想定外だったんですか?」


「メイド服で行くとは聞いていたけど、その事は知らなかった。まぁ、昔からあなたにぞっこんだったから薄々勘付いてはいたんだけどね」


 メイド服で行くという時点で俺は違和感しかないが、それは一旦置いとくして──。


「胡桃本人にも話しましたけど、当時そうなるきっかけになるような出来事ってありましたっけ? 不登校の胡桃と遊んでた事くらいしか覚えてないんですよね」


 昔の思い出過ぎて細かい内容までは分からない。

 しかし家で読書やお絵描き、公園で鬼ごっこや砂場など、そんな些細な遊びをたくさんしていた記憶がぼんやりと残っている。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 こんな平凡の俺を好きだと言ってくれるようなイベントなんてなかったと思うのだ。


「母親の私が言うのもおかしな話だと思うけどさ、和音くんの言う通り、胡桃は当時不登校で学校に行ってなかったでしょ? おそらくあなたが全てだったんだよ。やること全て和音くんと一緒。母親より幼馴染を優先して、私結構ヤキモチ妬いてたんだからね?」


「そうだったんですか……」


 学校に行かなければ、友達が出来ない。身内以外に話し相手がほとんどいない。

 要するにそれは普通の人よりも世界が一回りも二回りも狭いということだ。

 言うなれば、胡桃は井の中のかわずの状況に陥っていたのだろうか。

 井の中にいる蛙がその外の世界を知らないように、胡桃は家に引きこもって、同い年くらいの人が俺しかいない世界を見ていた。

 それなら胡桃があれほどまで俺に依存しているのも納得がいく。


「でも、私和音くんに感謝してるんだ」


 真由美さんは真剣な表情でカップを受け皿に戻す。


「あの子ああいう性格だから、学校に行かない理由をいつも教えてくれなかったの。なんとかしてあげたいと思っても、私にはどうすることも出来なかった」


「あいつらしいですね」


「──そんな時、唯一の救いが和音くんだった。和音くんといる時だけ、あの子は生き生きしてる。今更だけど、ありがとうございました」


 そう言って真由美さんは姿勢良く頭を下げた。


「真由美さん顔上げてください。僕は何もしてませんよ。……ただ、一つだけ気になる点があるんですけど」


「気になる点?」


「ここを離れて転校したとはいえ、胡桃は違う学校に通ってたんですよね? だったら他に関わる人が出来て、俺にぞっこんする必要はないはずじゃありません?」

 

 そこだけが気になった。

 胡桃は転校した先、新しい学校でも登校を続けた的な発言をしていた。

 その場合、俺一人しか仲の良い友達がいなかった小学生時代とは違い、クラスメイトとの交流を持ち、新しい友達を得る。

 世界が広がり、俺のことなんて忘れてもいいはずだろう。

 

「あれ? 言わなかったっけ? ──あの子、中高でも不登校だったのよ」


「……本当ですか?」


 さり気なく口にした真由美さんの言葉に俺は耳を疑った。


「やっぱり和音くんの存在が大きかったみたい。初めは一人でも通おうとしていたみたいなんだけど、数日で元通り。だから離れたことが原因で、余計にあの子の想いが膨れ上がったんじゃないかな?」


 嘘を付いているようには感じられなかった。

 しっくり受け止められる真実でも俺の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 どうしてあいつは俺に嘘を付いたのか。

 どうして俺のことをそこまで必要としてくるのか。

 そして──俺は心のどこかで胡桃が転校する直前に学校に顔を出すようになったのは自分のおかげだと思っていた。

 けど実際は胡桃のことを分かってあげられなくて、分かってた気になっていただけで、肝心な心の悩みを解決していなかった。

 感情を表に出さない女の子というのは前々から知っていたはずなのに、俺はそれ汲み取れない。

 カッコ悪すぎるにも程がある。


「メイドもその一貫なのよ。祖母の家にはね、立派なメイドがいて、あの子はそのメイドに弟子入りしたの。──次和音くんに会うまでには完璧なメイドになる。それが口癖で、家事に料理に武術に作法、学校に行かない間はとにかく自分を磨いていたわ」


「なるほど、メイドにはそんな経緯が……」


 メイドが好きだからっていう理由で着てるとばかり。


「それに私が再婚するって伝えた時、あの子まず初めになんて言ったと思う?」


「メイドになるチャンス……とか?」


「確かにそれもあるんだけど──転校するなら和音くんと同じ高校に通いたい、ですって。家に閉じこもってたのに自分から言い出すとは私も思わなかった。これが愛の力だね」


 初耳の内容がてんこ盛りで、頭を整理するだけで精一杯。

 返す言葉を失っていると、真由美さんは残り欠けの紅茶を最後まで飲み切り、真面目な眼差しで俺を見据えてきた。


「だからもしあの子の要求を受け入れてくれるなら……ううん、受け入れてくれなくても良い。家でも学校でも、昔のように側にいてくれるかな?」


 そんな態度でそんな事を言われたら、断ろうにも断れないじゃないか。


「言われなくてもそのつもりです。妹を守るのは兄の務めですから」


「そっか、なら安心だ」

 

 敢えて皮肉を込めた俺の返事に真由美さんは含羞はにかむように微笑んだ。

 

 ***


 真由美さんとの談話を終えると、俺は自分の部屋に戻ろうと階段を上がった。

 自分の部屋は左端にあるため、胡桃の部屋を通り過ぎなければいけないのだが、彼女のドアが開いている。

 歩きながら横目に胡桃の部屋を覗くと、中には誰もいなかった。


 トイレでも行ってんのか?


 とはいえ、特に気にする理由もないので、俺はそのまま自分の部屋に近づいた。


 ──ガチャ。


 しかし到着する寸前で何故か俺の部屋のドアが勝手に開く。

 そしてそこから現れたのは姿をましていた胡桃だった。


「俺の部屋で何してたんだ?」


「私の作業が終わったから、和音くんの部屋にエッチな本がないか調べてた」


「あるわけないだろ。お前は子供か。……ちなみに結果は?」


「見つからなかった」


「だろうな」


 多少ドキッと動揺した自分がいたものの、俺の部屋にはそんな如何わしい物は一切ないと断言出来る。

 結果を聞いたのは念のため……そう、念のためだ。


「じゃあ私は戻る」


 用を済ませた胡桃は隣の部屋に戻っていく。


「胡桃の奴、油断も隙もねぇーな」


 鍵がないのだから無断で入り込めることは十分承知しているつもりだ。けど一応俺にもプライバシーってもんがある。

 些細な秘密でさえも丸裸にする。同じ屋根の下に住むということはきっとこういうことなんだろう。

 真由美さんに胡桃の過去話を聞いて、妙に彼女を否定しづらくなっていた俺は複雑な心境を抱えながらも扉を開ける。


「これって……」


 俺は自分の部屋を目の当たりにして驚愕した。

 元々自室は机やタンス、床にかなり物が散らかっていた気がするのだが、いつの間にか清掃されており、物の配置や収納道具まで全てガラッと変わっていたのだ。


「素直じゃねぇーな、あいつも」


 無口で無表情なメイドさん。

 そもそもメイドと呼ぶに等しい存在かどうかはともかく、どうやら俺の専属メイドは、それなりに高性能で優秀らしい。

 これなら結果的にラッキー……なのか?



次話 学校編

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る