第3話 困惑と甘々展開の引越し作業

 根岸家の日中は大抵静かである。

 母親が生きていた頃と変わらない普通の一軒家。一階にはリビングや台所などの共有スペース。二階には三つの個室。

 住んでいる人間が俺と父親しかいないため、基本どんな時間帯でも騒がしくない気もするが、週末は特に静寂だった。

 だというのに佐倉家との顔合わせを終えた次の土曜日、本日の我が家は活発的に人の出入りが行われている。


「タンスも二階にお願いします」


「分かりました」


 ドアの前を父親と大きな段ボール箱を抱えた二人組の男性が通り過ぎていく。

 昼過ぎ頃から引越しセンターの方々が荷物を運びに来ていたのだ。


 大変そうだな。


 その光景を俺はリビングのソファで寝っ転がりながら他人事のように眺めた。

 今日も今日とて、スマホ片手にだらだらと週末を過ごしている。

 しかしそれ以上に明らかな睡眠不足に陥っていた。何度も欠伸をしてしまう。

 原因は分かっている。

 全ては昨日胡桃くるみとの別れ際に発生したイベントのせいに違いない。お風呂に入っても、布団に寝付いても、一向に頭から離れなかった。


 今日から同じ屋根の下で暮らすのか。どういう顔して会えばいいんだろうな。

 いやいや、あれがまだ冗談の可能性もある。昔から愛してるとか結婚しようとか、平然と嘘を吐くような女の子だったし、キスも別れの挨拶的な感じかもしれん。


 いくら考えても思考がぐちゃぐちゃになる一方で、現在に至る。


「お〜い、荷物運ぶの手伝ってくれないか〜?」


 二階にいる父親からついに矛先が自分に向けられた。

 面倒臭いと思いつつ、気を紛らわすにはちょうどいいだろう。

 重い腰を上げると、階段を登って、真ん中の部屋に顔を出す。

 運び込まれた完成済みのベッドと数個の段ボール箱のみ。

 以前まで物置部屋として利用していたのだが、すっかり新居のような割と綺麗な空間が広がっていた。

 

「この辺の荷物、隣の部屋に持って行ってくれないか?」


「ずいぶんと片付けたんだな」


「あぁ、もう一人娘が増えるんだ。これくらいの環境は整えておかねぇーと」


 汗を身体に滲ませ、やり切った感を存分に表情に出す父親。

 どうやらこの一部屋を胡桃専用部屋にするようだ。

 

 俺と胡桃はお隣さん同士ってわけか。部屋の数は余ってるからそうなるだろうとは思っていたけど、心配になってきた。


 先行きが怪しい新生活に期待と不安を抱きつつも、俺は元々収納されていた荷物を右隣にあるもう一つの空き部屋へ無心で運んでいく。


「よいしょ、これで最後か」


 数分間働き詰め、最後の一つを運び終えた。


「お、懐かしいなこれ」


 毎回中身を確認していたのだが、最後の最後で気になるものを発見した。

 長年放置していたためか、埃が被っている木枠の写真立て。

 中には数年前に撮影されたであろう根岸家と佐倉家の集合写真が封入されていた。

 仁王立ちしている俺の父親、ピースしながら笑う俺の母親と胡桃の母親。そして最前列に不機嫌そうにしている幼き自分と、ペロペロキャンディーを咥えている幼馴染。

 本当に仲が良かったんだと痛感させられる。


「誰の一人として、きっとこんな形になるとは思ってなかったよな」


 当たり前のことを当たり前に思う。

 何だが感慨深い気分になった俺は埃を叩き、その写真立てだけ持ち出した。


「引越し作業もある程度終わったから、父さんちょっくら真由美まゆみさんたち迎えに行ってくる」


「どこまで?」


「最寄の駅で待ち合わせしてる。あ、途中スーパーでも寄るつもり。多分遅くなるわ」


「りょーかい。いってら」


 二階に戻ってきた父親は俺にそう告げ、家を飛び出した。

 気付けば、引越し屋の従業員も既に作業を終えているようで、根岸家は俺一人になっていた。

 胡桃の部屋に戻ると、ベッドの他にタンスや勉強机などが追加で設置されている。父親の言う通り、残す作業は本人たちがいなければ続行出来ない内容らしい。


「それにしても疲れた。力作業するんだったらちゃんと寝とけば良かったわ」


 開放感をすごい感じられる部屋の中で俺は勉強机に写真立てを置き、背中を壁に付けながら地面に座り込んだ。

 そして落ち着く雰囲気に心身を侵され、軽い眠りに付いてしまった。


***


 ガッシャーン!


「私の大切な食器が〜‼︎」


 皿が割れる音と真由美さんの悲鳴で俺は目を覚ます。世界が九十度回転し、横たわりで起床した。


 やばい、すっかり寝てた。

 あれ? 横になってたっけ?

 しかも良い感じの枕がいつの間に……。


「おはよう」


 左耳でボソッと可愛らしい声音が囁かれる。

 体制を変えてその出所を探ると、メイド姿を着た黒髪長めのボブヘアーの少女。幼馴染であり義理の妹──胡桃を発見。彼女の膝の上に俺の頭が置かれていたのだ。


「おぉびっくりした!」


 脊髄せきずい反射で俺は即座に起き上がる。

 胡桃が着用しているメイド服のスカートにはシワが出来ている。胡桃はそのシワを無くすようにスカートを平然と叩いた。


 というか、またメイド服……。


「もしかして俺、今まで膝枕されてたのか?」


「自分の部屋がどういう感じなのか見に来たら、和音くんがぐっすり寝てたからつい……」


「ついって……ふつーに起こしてくれれば良かったろ」


和音かずねくんの寝顔はなかなか見れない。だからこの通り」


 胡桃はポケットからスマホを取り出し、画面を見せてくる。

 一枚のカメラ写真。

 胡桃の膝の上に俺がすやすやと寝ているところを完璧に収めつつ、彼女自身も入り込んでいる自撮りであった。


「えーっと、胡桃さん? そのスマホを一回俺に渡してくれないかな?」


「どうして?」


「消すからに決まってるだろ。そんなの恥ずかしい黒歴史になっちまう」


「心配いらない。この写真は私のコレクションとして誰にも見せびらかさない。ついでにこれも追加しようと思う」


 再び徐に何を見せてくると思いきや、俺が段ボール箱から唯一持ち出した幼い頃の集合写真が入っている写真立てだった。

 強引に俺はそれを胡桃から奪い取る。


「ならこうしよう。これが欲しいならその写真を今すぐ消してくれ。交換条件だ」


 自分の部屋にでも飾ろうかと思ってたけど、背に腹は変えられない。流石にあの写真はダメだ! 今ここで抹消しねぇーと!


 家族にバレでもしたら、学校の知り合いにバレでもしたら、十中八九バカにされる。望んでこうなったわけじゃないとしても、そんなこと他の人には関係ない。笑われる運命にあるのだ。


「いじわる」


「こうでもしないと消してくれなさそうだからな。……ほら、どうする?」


 胡桃に決断を委ねる。

 無愛想な表情でどんなことを考えているのか、全く想像も出来ないが、とにかく俺は胡桃と見つめ合った。


「分かった。その要件、認める」


 なんだ、案外素直だな。


 てっきり断られると思っていたのだが、胡桃は従順に承認し、自分のスマホを手渡してきた。

 約束通り、俺は写真立てを胡桃に寄贈し、スマホに保存されている問題の写真を削除する。


「ほらよ。じゃあ俺はもう行くわ」


 スマホを返すと、自分の部屋に戻ろうと思い、その場を立ち上がる。

 しかし救いの手を求めるように胡桃が俺の手首をガシッと掴み、動きを封じられた。


「今度はなんだ?」


「私の引越し作業を手伝って欲しい」


「俺だって暇じゃないんだ。そのくらい一人でやれ」


「手伝って欲しい」


 無理矢理にでも離れようとしたものの、胡桃が握る力はか弱い手ながらもまるで石のように固かった。


 こいつどんだけ力強いんだよ。


「手伝って欲しい」


「……そ、そうだ! 下着とかの整頓もあるだろ⁉︎ プライバシー的にも一人の方が……!」


「手伝って欲しい」


 激しい攻防を続ける中、胡桃は動じない顔で食い気味に要望を唱える。頑な意思が垣間見れ、挫けることは無さそうだ。


「はぁ……あとで後悔しても知らないぞ」


「構わない。私はあなたに全て捧げるつもり」


 胡桃は何の躊躇いもなく顔を覆いたくなるような発言を放つ。


 全く昨日の事といい、冗談だと分かってたとしても本当に調子が狂うな。


 無口で無表情な彼女だからこそ心情が読めず、返す言葉を失った。

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