第145話 風の精霊

 リリアは一体、どれだけの量の魔力をため込んでいたのか。「俺二人分」くらいの魔力量になると思っていたのだが、そんなことはなかった。これは三人分くらいは軽くありそうだ。

 魔石の表面に次々と大きなヒビが入っていく。それなのに、俺の中の魔力量にはまだまだ余裕がある。


「リリア、もうちょっとだぞ」

「……」

「リリア!?」

「だ、大丈夫。大丈夫だから……」


 今にも溶けてなくなりそうな、それでいて悦に入っているような声が聞こえた。全然大丈夫そうじゃない!

 妖精の存在がどのようなものなのか、これまでしっかりと考えたことがなかった。もしかすると、妖精は実体がない魔法生物のようなものなのではなかろうか。


 これまでリリアは服を着ていたり、お風呂に入ったり、食事を食べたりしていたので、実体があると思っていた。実はそれは間違っているのではないか? もしそうなら、とろけそうになっているのは俺ではなく、リリアの方なのではないだろうか。


 これはまずい。早く決着をつけないと。少しでも早く破壊できるように、さらに魔力を込めた。そそぎ込む魔力量が多くて周囲にあふれ出ているが、そんなの関係ない。早く、早く!


 ヒビはますます大きくなり、魔石の中から光があふれてきた。何の光だと思っている間に魔石がパリンと派手な音を立てて砕け散った。中から緑色をした光の球が出て来た。


「兄貴、それが風の精霊ですよ!」

「悪意は感じられませぬ。殿、お見事ですぞ!」


 ハーピーを蹴散らしたのか、カゲトラが飛んできた。だがこちらはそれどころではない。リリアの反応が徐々に薄れてきている。


「リリア、分離するぞ! リリア!」

「……」


 反応がない。体の中を流れる血が一気になくなったかのように冷たくなっていくのを感じた。このままではリリアが……。


「大丈夫ですよ、兄貴! 姉御は必ず救い出してみせます!」

「左様。姫様をお守りするのがそれがしの役目でござる!」

「……私も、手伝う。私を、助けてくれた」


 火の精霊、水の精霊、風の精霊が俺を囲んだ。どうやら風の精霊も手を貸してくれるようである。精霊たちから赤い光、青い光、緑の光が放たれ、その中央にいる俺の胸元で混じりあった。


「……集中して。思い出して。本来のあるべき姿を」


 リリアの本来あるべき姿……大丈夫、いつも隣で見てきただろう? ちゃんと思い出せるさ。俺は目を閉じて両手を組んだ。そこに体の中の魔力が集まっていくのが分かる。

 それはすぐに形になった。リリアが、リリアが戻って来たぞ!


「良かったリリア。無事に……」


 両手を広げ、その姿を見て、思わず息を飲んだ。


「ひどい目に遭ったわ。まさかこんなことになるだなんて。頭がクラクラしちゃう……ってどうしたのよ。そんなにあたしのことを見……て? 何よこれ!?」


 リリアが両手で自分の体を隠した。俺の想像力が足りなかったのか、服までは再現できていなかった。そのためもちろん裸である。だがそれだけではない。リリアが成長していたのだ。どこか幼さが残る少女から、一人の女性に。

 大きさは以前とあまり変わらないのだが、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる、グラマラスな女性に進化していたのだ。


「ご、ごめん! まさか服を着てないとは思ってなくて」

「ちょっと兄貴、姉御に失礼ですよ!」

「殿、姫様に何たる仕打ち!」

「ギャア! 目が、目が!」


 ピーちゃんとカゲトラが両目に飛び込んで来た。痛いどころの騒ぎではない。前が、前が見えねぇ。ようやく二人が離れたときには、リリアはしっかりと服を着ていた。

 いつも着ている服なのだが、胸の膨らみが半端ねえな。そこには確実に双丘があった。


「ちょっと」


 リリアが胸を隠しながら半眼でにらみつけてきた。慌てて目をそらしたが判断が遅かったようだ。ピーちゃんとカゲトラが再び目に飛び込んで来た。物理的に。

 ギャアギャアと俺たちが騒いでいる間に、リリアが周囲の状況を把握してくれたようだ。


「竜巻は完全に消えたわね。王都も……半壊しているけど、お城は無事みたいよ。それに、この緑色の光は風の精霊よね? ピーちゃんとカゲトラだけじゃなくて、あなたの声も聞こえたわ。ありがとう」

「……そんなこと、ない。助けてくれた、お礼」


 存在が不安定なのか、頼りない光を放っている。先ほどリリアを助けるために、なけなしの魔力を使ったようだ。このまま放置すれば数日のうちに完全に消えることになるだろう。本来、精霊は人前に姿を見せない存在なのでそれが普通だ。ピーちゃんとカゲトラが違う毛色をしているだけだ。


「それで、どうするの? あなたも一緒に来る?」

「ちょっとリリア、何を言って……」

「……行く。一緒に行く」


 緑色の光はそう言って、ハッキリと輝いた。これはもうやるしかなさそうである。今さらながら精霊と同化することに恐れが出てきたのだが大丈夫かな? リリアと一つになって、リリアが俺の中で溶けてなくなりそうになって、恐怖を感じてしまった。そのうちみんな、俺の中に溶け込んでしまうのではないだろうか。


「兄貴、一人だけ仲間外れにしたらかわいそうですよ」

「恐れることはありませぬ。殿はドンと構えておればよろしいのです」


 二人はそう言っているが……ええい、ままよ。ここまで来たらやるしかない。男は度胸。夢をかなえるためにも、今さら引くわけにはいかないのだ。

 俺は緑色の光を手に取ると、それを飲み込んだ。体の中に何かあふれ出るものがあった。それは本来、俺が持っていた力なのか。


「名前は何にするの?」


 目の前に現れた緑色の鳥を見てリリアが首をかしげている。精霊に性別があるのかどうかは分からないが、どことなく女性っぽい気がする。ずいぶんとおっとりとした性格をしているようだが。


「名前は……そうだ、リリアがつけてあげてよ。その方がきっと喜ぶと思うからさ」

「そう? それじゃ、ゴンザレスに……」

「お待ちあれ!」


 カゲトラがリリアを止めた。さすがにそれはないと思ったのだろう。風の精霊は何とも思っていないのか、それを受け入れるような感じだった。良いのかそれで。


「姫様、さすがにそれはあんまりかと。どうも、其れがしやピーちゃん殿とは違うような気がするのですが……」


 遠回しに女性型であることを告げるカゲトラ。リリアに気を遣っているのかも知れない。リリアを除けば、俺の周りは男だらけだもんね。

 そのことに気がついたのか、リリアがうーんと考え出した。


「そうね、それじゃシルキーはどうかしら?」

「お、良いんじゃないの?」

「さすがは姉御、良い名前です!」

「良き名前だと思いますぞ」


 みんながその名前に乗っかった。次に出て来る名前がまともとは限らない。ここはこのビッグウェーブに乗るしかない。


「それじゃ、シルキー、これからよろしくね」

「……ん、分かった。旦那様と奥様に迷惑をかけないようにする」


 旦那様と奥様!? いつの間にか俺たち、結婚してることになってるー!

 ハッとしてリリアを見た。リリアは今にも爆発しそうなほど真っ赤になっていた。これはまずい。これ以上の刺激を与えると爆発するぞ。

 俺はそっとリリアの顔を胸で隠しながら、みんなと合流するべく、来た道を引き返して行った。

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