第108話 水の精霊
シュウシュウと何かが蒸発するような音がする。相変わらず半魚人の体からは黒いモヤのようなものが出ているが、どうやらそのモヤが音を出しているようだ。
「このまま続ければ、刺さっている魔石の魔力を空にすることができるかも知れない。そうなれば、水の精霊も元の姿に戻るかも」
「それじゃ、それまでは何としてでも攻撃を防がないといけないな」
今も半魚人は槍を振り回して暴れている。だが、焦りが出て来たのか、攻撃が大ぶりになっているように思える。先ほどまで頻繁に使っていた”突き”による攻撃をしなくなっているのだ。
先ほどよりも危険性はなくなったが、それでもこちらが無傷とは言えないようだ。二人が無理やり間合いを詰めているので、半魚人の攻撃を防ぎ切れずにケガを負っている。それでも二人は踏みとどまってくれていた。
後ろにいたエリーザとリリアが近くまで移動してきた。すぐにエリーザは二人の遠隔治療を始めた。治癒魔法は距離が近ければ近いほど効果が高い。この距離で治療するなら、かなり強力な回復魔法を使っているはずだ。
ジルの攻撃を受けるとすぐに、半魚人が自分の傷を治すようになっている。どうやら強引に回復させているようである。無理に魔法を使えば、その分だけ魔力の消費は多くなるはずだ。
今の俺は、吸収している魔力と、使っている魔力が同じくらいである。とてもではないがピーちゃんに与えられるほどの魔力の余裕はなかった。
ピーちゃんにも協力してもらおうと思ったのだが、もしかすると、この黒いモヤにピーちゃんが触れると、また操られてしまうかも知れない。そうなると非常に困る。考え直した方が良さそうだ。
「見ろ! どうやら体を維持できなくなって来たみたいだぞ!」
ジルが声を上げた。良く見ると半魚人の体の一部がドロッとした液体のようになっている。治癒魔法を使っているようだが元には戻らないみたいだ。
「もしかして水の精霊の本体かも知れない。火の精霊が火の塊だったからね」
「それなら水の精霊は水の塊ってわけか。あり得そうだな」
話をしている間にも、半魚人の体はどんどんスライムのような形態になっていた。エナジー・ドレインがかなり効いているみたいである。もう一息なんだが、問題が生じてきた。
「おい、足止めが効かなくなっているぞ!」
「さすがに液体を捕まえるのは難しいよ!」
ガイア・ハンドの手からスライム状の体がスルリと抜け始めた。ガイア・ハンドが空をつかむ。
「まずいぞ。このままだと逃げられる!」
半魚人がみるみるうちに暗い海そのもののような液体に変わって行く。ジルが剣を突き立てたが、ダメージはなさそうだ。もう少しなのに。逃げられる!
「アイス・スカルプチャー!」
少し遠くからかわいらしい声が聞こえた。俺たちの間を冷たい何かが通り過ぎたように感じた。それは水のようになった半魚人の成れの果てに命中し、それを氷の塊へと変えた。
「リリア!」
「暗い海がなくなって、波が穏やかになったわ」
ハッとして周囲を見渡すと、リリアが言うように暗い海がすっかりとなくなっていた。いつの間に。波はあるようだが、先ほどのような荒れた波ではなかった。
氷漬けになった水の精霊はそれでも海に逃げようとしているのか、小さな振動を起こしていた。その体の一部に、明らかに色が薄くなった魔石が刺さっているのが見えた。
「この魔石さえ何とかすれば水の精霊が正気に戻るかも知れない」
「そうね。今回は魔力をそそいで破壊するんじゃなくて、エナジー・ドレインで魔力を全部吸い取った方が良いかも知れないわ」
火の精霊と戦ったときはエナジー・ドレインの魔法がなかったので、無理やり魔石に魔力を込めることで破壊した。だが今は、ピーちゃんに教えてもらったエナジー・ドレインの魔法がある。
俺は魔石に向かってエナジー・ドレインの魔法を使った。すでに限界に達していたのだろう。魔石はすぐに色を失った。
目の前に透き通った水の玉が浮遊している。どうやらこれが水の精霊の本体のようである。
「此度は助けていただき、まことにかたじけのうござる」
野太い声が聞こえ、水の玉が前転した。たぶん頭を下げたつもりなのだろう。良く分からん。その様子をピーちゃん以外のみんなが困惑の表情で見つめていたと思う。
「気にしなくていいよ。一応確認なんだけど、水の精霊だよね?」
「さようでござる」
うん。独特な言葉遣いをするな。何となく言ってることは分かるけど、ちょっと不安になってきた。リリアとピーちゃんなら分かるかな? 視線を向けると、リリアは首を左右に振った。どうやら分からないようである。
「ピーちゃんの知り合いで良いんだよね?」
「ええ、そうです。今なら水の精霊の気配をビンビンに感じます」
うれしそうに両羽を広げてそう言った。どうやら間違いないらしい。
……てっきり水の精霊は女の子だと思っていたんだけど。それも、ピーちゃんの恋人的な位置づけの。まさかのミスリード。ピーちゃん、恋人を思うような口ぶりだったじゃない。
いや、待てよ。そもそも精霊と人間は感覚が違うのかも知れない。もしかすると、精霊界隈では普通であり、男女の区別はない可能性もある。
俺はジッとピーちゃんを見た。そんな俺を見たピーちゃんが首をかしげている。
「えっと、これで取りあえずは一難去ったと言っても良いのかな?」
「そうなんじゃないの? 水の精霊も落ち着いたみたいだし、また同じような状態になるには何百年もかかるんじゃないのかしら」
リリアも同意見のようである。リリアだけじゃない。他のみんなも同意するかのようにうんうんとうなずいている。
「ねえ、あなたも『この星』にそそのかされた感じなの?」
エリーザがそう問いかけた。やはり気になるのだろう。俺も気になるし、きっとみんな気になっていると思う。
「恐らくはそうかと思いまする。気がつけば意識を乗っ取られておりました。何とか鎮めようとしたのですが、うまくいかず……お恥ずかしい限りです」
何となくションボリとした見た目になった水の玉。でもそれは水の精霊のせいじゃない。
「一体何をしようとしていたのかしら?」
問いかけている間にも、エリーザはアーダンとジルが受けた傷を癒やしている。無理な間合いで踏みとどまって戦ったため、かなりのダメージを受けているようだ。エリーザがいて良かった。
「全てを水の中に沈めようとしておりました」
「……」
思わず絶句してしまった。恐ろしいことを考えるものだ。そんなことをしたら、陸に生きている生き物のほとんどが死に絶えることになるだろう。邪魔な人間だけでは済まされない。
「手遅れになる前で良かったわ」
「今回は運が良かったね。都合良くこっちの大陸に……」
本当に運が良かっただけなのだろうか? 何者かが俺たちの運命を操っているのではないだろうか。そう思うと、背中に冷たいものが流れた。体から熱が抜けていくような感覚がする。俺の気のせいなのか?
「どうしたの、フェル? もしかして、どこか具合が悪いの!?」
慌てたリリアが顔に張り付いてきた。そこだけポカポカと春の日差しのように温かい。そこから冷え切った体に熱が回ってきた。
だれかに操られていてもいいじゃないか。今のところは俺の望む方向に進んでいる。何の問題もない。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけさ」
優しくリリアをなでると、ますます力を入れて張り付いてきた。
「お願いがございまする。それがしもピーちゃん殿と同じく、殿のお仲間になりとうございます」
「あ、ああ、そうなのね」
殿? ご主人様ってことなのかな? ピーちゃんを見るとうんうんとうなずいている。どうやら問題はないみたいである。
「それってピーちゃんみたいに同化したいってことなのかしら?」
「同化……! なるほど。さようでござる」
「まあ、ピーちゃんと同化しているし、別に問題ないと思うけど?」
一応確認のために、アーダンたちにも聞いてみる。ダメとは言わないだろう。
「良いんじゃないのか? このままだと、また操られるかも知れないしな」
「そうだな。仲間になりたいなら良いんじゃないのか?」
「それなら名前を決めないとね。えっと……」
そう言ってエリーザがパラパラと手帳をめくり始めた。どうやらちょうど良い名前があるみたいである。名前をつけるのが苦手だから助かったぞ。
「さっきから気になっていたんだけど、変わったしゃべり方をするわよね?」
「変わったしゃべり方? この辺りでは普通だと思うが。そなたらのような、異国の話し方の方が珍しかろう?」
俺たちは無言で首を左右に振った。「まさか!」みたいな顔になった。これは街に戻ったら衝撃を受けるかも知れないな。
「それでね、昔にちなんだ名前が良いと思うのよ。それでね『カゲトラ』って名前はどうかしら?」
「かっこいい名前だね。それにしよう」
「よ、よろしいのですかな? そんな大層な名前をいただいても?」
カゲトラが困惑するような声を上げたが、せっかくエリーザが考えてくれたのだ。無駄にするわけにはいかないだろう。
「それじゃカゲトラ、同化しよう」
「かしこまった。其れがしの力を殿に!」
なぜか感極まった様子になっている水の玉をつまみ上げると、後ろを向いて飲み込んだ。きっとみんなにとってはショッキングな光景だろうからね。
これで同化は完了だ。ピーちゃんと同じように鳥の姿でのカゲトラを向こう側から呼び出した。色は海と同じ青い色をしている。これなら見間違うことはないな。
おそろいになったことでピーちゃんも喜んでいるようだ。声さえ出さなければ恋人同士に見えるんだけどな。カゲトラの声、野太いんだよな。
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