第106話 文化の違い
食事が終わり、部屋に戻るとすぐにピーちゃんを呼び出した。目の前のゆがんだ空間の中からにゅっと出て来るピーちゃん。何度見ても不思議な光景である。
「お食事はもう終わったのですか?」
「終わったよ。あとは明日に備えて寝るだけだね」
アーダンたちはこれからお風呂に入ってくるようである。どうやら、俺たちが戻って来たらすぐに、お風呂に入れるようにしてくれていたらしい。ありがたい。もちろんお礼を言った。
「明日の朝は早めに起きて出発しないといけないわね」
「そうだね。なるべく早く事前準備を終わらせておきたい」
そんな話をしているとまぶたが下がってきた。魔力にはまだ余裕があると思っていたのだが、魔力よりも体力が疲弊していたようである。
「フェル、あたしたちは先に寝ましょう」
「大丈夫ですよ、兄貴。みんなが帰って来たらちゃんと話しておきますから」
「そう? それじゃ先に寝させてもらおうかな」
ベッドに潜り込む。すぐにリリアが俺の胸元に入ってくる。そこまでは覚えていた。
「兄貴、姉御、そろそろ起きて下さいよ」
「うーん、何かあったの?」
「違いますよ。もう朝ですよ。今日は早く出発するんでしょう?」
もう朝? そんなバカな。さっきベッドに入ったばっかりのはずなのに。胸元のリリアを確認する。まだ眠っているようだ。全裸で。これはまずい。
「ピーちゃん、タオル的な何かを持って来てもらえるかな?」
「かしこまりっ」
ピーちゃんが持って来てくれたタオルにリリアを包み込む。そのままだれかに踏まれたりしないようにそっと枕元に置くと毛布をかけた。これでよし。リリアが寝ぼけていたとしても、裸で動き回ることはないだろう。
リリアは別に朝食を食べなくても大丈夫だ。その必要があるのは俺たちだけである。俺がモゾモゾとベッドから起き上がると、他のみんなはすでに起きていた。
「おはよう」
「お、おはよう。もう大丈夫なのか?」
「何が?」
「何がって、ほら……」
ジルがベッドの方を見た。うん、これは色々と勘違いされているパターンだな。どう説明すれば良いのか。
「大丈夫だよ。昨日はリリアに魔力を補充しながら寝ただけだからさ」
「そ、そうなのね。ピーちゃんが『兄貴と姉御が一緒に寝てるからお静かに』って言ってたからてっきり……」
「ピーちゃん?」
え? みたいな顔をするピーちゃん。悪気はないようだが、言い方に問題があるようだ。人族の夜の営みを精霊が理解しているかと言えば、たぶん理解していないことだろう。
まだ疑っているような目をしている三人に改めて説明をしたが、本当に理解してもらえたかどうかは疑問である。ここで全裸のリリアが現れたりしたら全てが終わる。
俺は祈るような気持ちでアーダンが用意してくれた朝食を食べた。
「決戦の場の仕上げには一、二時間ほどかかると思う」
「そうか。その間に俺たちができることは?」
「もしかすると、海の中の魔物が襲いかかっているかも知れないから、その警戒をお願いするよ」
「そうだな。警戒しておこう」
朝食が終わるころになって、ようやくリリアが起きてきた。まだ目がトロンとしているが、しっかりと服を着てくれていた。助かった。
「おふぁよー」
「おはよう、リリア。昨日はずっと魔法を使っていたから疲れているみたいだね」
「思ったよりも疲れていたみたい。早く片付けて、もう一度ゆっくりとフェルと一緒に寝たいわ」
あっ、みんなの視線がなぜか痛いぞ。そう言えばもしかして、妖精も人族の夜の営みについては理解していないのかも知れない。どうしよう。二人には一度よく言い聞かせておくべきだろうか? だが今は何とかごまかさないといけない。
「そうだね。早く終わらせて戻って来ようね。魔力はどう? 問題なさそう?」
「昨日フェルからタップリともらったから大丈夫よ。うへへ」
とろけるような笑顔を向けるリリア。リリアが言うには、俺の魔力はとてもおいしいらしい。魔力に味があるのかどうかは知らないけど。と言うか、契約者の魔力だったらどれもおいしいんじゃないかな?
「フェル、お前……」
「違うから。何か誤解してるよね、ジル!?」
ジルだけでなく、アーダンとエリーザも気まずそうな顔をしている。誤解だ。完全な誤解だ。どうしてこうなるんだ。種族間の文化の違いがここまで誤解される方向にピッタリと収まるなんて!
結局誤解されたまま、俺たちは昨日作った決戦の場までやって来た。現在は「なるべく部屋は別々にしよう」ということで落ち着いている。それはそれでありがたいのだが、胸にモヤッとしたものがある。
リリアが魔法を使って丸太でできた筏の表面を平らにしていく。少しずつ平らな場所が増えていく。足が滑らないようにするためなのだろう。表面を触ってみるとザラリとしていた。
「俺も手伝うことができたら良かったんだけどね」
「大丈夫よ。フェルからは魔力をもらっているわ。そのおかげで魔法が使えるんだから、実質フェルが作っているようなものよ」
「そうかなぁ」
そうなのかも知れないけど、リリアが頑張っている間、俺は隣で立っているだけである。何だか不甲斐ない気がする。
波が少しずつ高くなってきた。暗い海が近づいて来ているのだろう。それに驚いたのか、筏の上に海の魔物が飛び上がってくることがあった。
それらは全てアーダンたちが対処している。
「筏に上がってくる魔物は俺たちに任せて、二人はそちらの作業に専念してくれ」
そう言われてしまえば、手伝うことはできなかった。リリアに魔力を補充しつつ、作業を続ける。段々と波が高くなってきたような気がする。
「そろそろマイルド・ウェーブの魔法を使った方が良いかも知れないね」
「そうね、暗い海がもうすぐそこまで来ているわ。すぐにもっと波が高くなるはずだわ」
見ると、遠くから暗い海が近づいているのが見えた。もう目に見えるところまで来ているのだ。決戦の場の最終調整は何とか間に合いそうである。
俺がマイルド・ウェーブの魔法を使うと、先ほどまでのうねりがウソのように穏やかになった。そのことに気がついたアーダンたちが集まって来る。
「魔法を使ったみたいだな。魔力は大丈夫か?」
「まだまだ大丈夫だよ」
「これだけの広範囲に魔法を使ったらすぐに魔力がなくなりそうなんだけど、そこはさすがのフェルみたいね」
「そ、そうだね」
エリーザは完全にあきれているようだ。同じ魔法を使える者として、俺の魔力量の異常さをアーダンとジル以上に気がついているのかも知れない。
これはリリアが言っていたように、魔王と呼ばれても仕方がないのかも知れないな。もう少し魔法を使うことには気をつけた方が良いのかも知れない。
ようやくこちらの準備が整った。すでに筏は湖に浮かぶ木の葉のように、暗い海の中にひっそりと浮かんでいた。水の精霊との戦いまであと少し。
水の精霊のたくらみを阻止した俺たちを無視しして先に進むことはないと思うが、確実にこちらに注意を向けなくてはいけない。
「リリア、水の精霊まではあとどのくらいの距離があるか、分かる?」
「えっと、そうね……」
リリアは水の精霊の魔力を捕らえているようだが、残念なことに俺にはそれが分からなかった。アナライズにボンヤリと魔力があるのは感じるのだが、その本体がどこにあるのかは分からない。その辺りはやはり、魔法に長けた妖精にはかなわないようである。
「この速度だとあと三十分くらいでこの辺りまで来るわ」
「海の中にいるんだよね?」
「海の中にいるわ」
それを聞いて腕を組むアーダン。ジルとエリーザの顔も厳しい表情になっている。ここまで連れてきてもらった船はすでに陸地へと帰ってもらっている。今頃は港付近の避難を急いでいるはずだ。すでに暗い海は港からも見えているだろうからね。港付近の波も荒れ始めていることだろう。
「何とか海から引きずり出さなければならないな」
アーダンがこちらを見てそう言った。隣にいるジルはうなずいている。
「ウォーター・ドラゴンを倒したときみたいに、ウォーター・トルネードを使ってみるつもりだよ。もしかしたら、海から引きずり出せるかも知れない」
「よろしく頼む。だが、無理はしないでくれよ」
心配そうにこちらを見つめている。だがしかし、問題はない。
「大丈夫。今、マイルド・ウェーブを使っているのはリリアだからね。だから俺は戦いに専念できるよ」
役割分担は大事。大事なリリアは安全な後ろに置いておきたい。たぶんエリーザも同じ場所にいることになるだろうから、二人で協力して支援を行ってもらいたい。
「それじゃ、頼んだぞフェル。さて、どんな姿でやって来ることやら」
アーダンが装備の確認をしている。ジルは足場を確認し、満足そうにうなずいている。
「これだけ広ければ、大体の魔物は何とかなりそうだけどな。クラーケンでも大丈夫だろう」
「あとはどうやって海の中に戻ろうとする水の精霊を押しとどめるかだね」
不利になれば、必ず海中に逃げようとするはずだ。それをどうやって阻止するか。これも一つの課題だな。
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