第39話 港街ボーモンド

 おなかいっぱいで宿に戻る。そのまま俺たちは畳の上にゴロゴロと転がった。


「うーん、畳、気兼ねなく転がることができて、実に良いね」

「そうね。癖になりそう。それよりも、お風呂よ、お風呂! 部屋にお風呂があるとか、今までじゃ考えられないわ」

「確かにそうだね。それじゃ、お風呂にお湯を入れるとしよう」


 取り扱い説明書を片手にお風呂場に向かう。説明によると、「ヒノキ」という木材で使われているらしい。お風呂場は独特の香りがした。でも、嫌な香りではない。


「これがヒノキの香りか」

「初めての香りね。東の大陸にはまだ行ったことがないけど、どうやらあたしの知らない植物があるみたいね。ちょっとショックだわ」

「リリアは植物博士だもんね。そのうち東の大陸にも行ってみたいね」


 設置されている「お湯が出る魔道具」を手順の通りに操作する。しばらくするとお湯が出てきた。温度はちょっと高めのようである。


「魔法でやった方が早そうね」


 魔道具から出るお湯の量を見て、リリアが身も蓋もなくそう言った。確かにその通りだと思う。お風呂にお湯がたまるまではしばらく時間がかかりそうだ。


「まあまあ、その間は着替えてゆっくりとしておこうよ」


 リリアを連れて部屋に戻る。何とこの旅館には「浴衣」と呼ばれる、夜を過ごすための服が用意されているのだ。これは朝、下に持っていけば洗ってから戻してくれるらしい。至れり尽くせりだな。さっそく浴衣に着替える。


「うん、なかなか良いんじゃないかな?」

「うー、何だかフェルだけずるい。あたしも」


 そう言うと、リリアの服が俺と同じ浴衣になった。すごい便利な魔法を持ってるよね、リリアは。


「良く似合ってるよ、リリア」

「そ、そう? えへへ」


 うれしそうにするリリアの頭をなでてあげる。そのときふと気がついた。これ、前かがみになったら見えるんじゃないのか? まずい、目のやり場に困りそうだ。

 そんなことには気がついていないのか、リリアが前かがみになった。あっ!


 お風呂が無事に沸いたので、この宿自慢のヒノキ風呂に入った。なかなか良い気持ちだ。個人で使える風呂が部屋についている宿があるとは思わなかった。これはもう、一軒家を借りる必要はなさそうだな。


「気持ち良いわね。あとは外が見えたら良かったんだけどね」

「それはちょっと無理なんじゃないかな? きっとゆっくり入れないよ。そう言えば、どこかの山奥には温泉が湧いてるって聞いたことがあるな。そこなら大丈夫なのかも」

「温泉ね。そのうち探してみましょうか。新しい目標ができたわね」


 湯煙に浮かび上がるリリアはこの世の物とは思えないほど幻想的だった。この光景を独り占めできる俺は、きっと幸せ者なのだろう。


「どうしたの?」

「いや、えっと……明日からどうしようかなと思ってさ」

「せっかくプラチナランクの冒険者になったことだし、何かプラチナランクの依頼を受けてみましょうよ」

「そうしてみようか。人数制限のない依頼があったら良いんだけどね」

「きっと一つくらいあるわよ」


 お風呂から上がると、そのままベッドに入った。そんなに疲れていないと思っていたのだが、そんなことはなかったようだ。気がつけば朝になっていた。




 ちょっと出遅れた俺たちは、それでも八時過ぎには冒険者ギルドに到着した。この時間帯でも相変わらず人は多かった。視線を感じる中、プラチナランクの依頼が貼ってあるボードの方へと向かった。


「いくつかあるわね。えっと、遠いところが多いわね」

「プラチナランクの依頼は全部そうなのかな? それならなるべく近場で……お、港街ボーモンドの依頼があるぞ。ここって確か、王都から見える港街のことだよね? ほら、リリア、港街に行ってみようって言ってたじゃない」

「そうだったわね。それじゃ、その依頼にしましょうか」


 依頼内容は海に出没する「海の悪魔」を討伐して欲しいとのことだった。詳しくは受付カウンターで聞くしかなさそうだ。取りあえず話を聞くだけ聞いてみるかな。


「海の悪魔ってどんなやつなのかな?」


 想像がつかなかったので、物知り博士のリリアに聞いてみた。


「多分、クラーケンじゃないの?」

「クラーケンってどんな魔物なの?」

「丸い胴体に足が八本生えているのよ。体は大きいけど、ウォータードラゴンに比べたら大したことない相手ね」

「変な形の魔物もいるんだね。世界は広いなぁ」


 世界の広さに思いをはせている間に受付カウンターについた。受付はクラリスさんだった。先ほどの依頼書を渡すと眉をひそめた。


「えーっと、海の悪魔討伐依頼ですね。……大丈夫ですか?」

「大丈夫、とは?」

「この依頼は海の上で戦うことになるんですよ。まあ、正確には船の上になるんですけどね。それで、海に落ちたら大変なことになるので、だれも受けたがらないんですよ」


 どうやらこの依頼は長い間、引き受け手がいない依頼のようである。それでも港街ボーモンドが機能していると言うことは、海の悪魔は驚異だが、街の存続に関わるような重大な事態にはなっていないと言うことなのだろう。


「大丈夫ですよ。それならそれで、空を飛んで戦いますから」

「空を飛ぶ!?」

「そうです。だって飛んでるでしょう?」


 俺はリリアの方を見た。納得したような、そうでもないような顔をしている。


「フェルさんも空を飛べるということですね?」

「そうです」


 何だか周りの視線が痛くなってきた。チクチクする。プラチナランクになると、こんな弊害があるのか。リリアはそれを何とも思っていないのか平然としていた。もっと精神力を鍛えないといけないな。新しい課題だ。


「分かりました。すぐに手続きをしますね」


 手続きを終えたクラリスさんから依頼書を受け取ると、その足で港街ボーモンドへと向かった。馬車で向かうと二時間ほどで到着する距離だ。魔法で飛んで行っても良かったのだが、さすがに目立ちそうなのでやめておいた。




 道中、特に問題もなく港街ボーモンドに到着した。この街でも、これまで嗅いだことがない匂いがしている。これが海の匂いなのかな? 気になったのでさっそく海を見に行った。


「すごいね。これが海か。見渡す限り海だよ。ほら、見てよ。向こうが丸くなっているよ」

「本当ね。さすがに隣の陸地は見えないみたいね。海を渡るなら船が必要になるわね」

「そうだね。隣の大陸に行く船も、あの中にあるんだろうな」


 海の上に浮かぶいくつもの船を見ながら、アナライズで討伐対象の「海の悪魔」を探す。クラーケンだったっけ。すぐに見つかると良いんだけど。


「それじゃ、依頼人のところに行きましょうか。話くらい聞いておかないとね」

「そうしよう。依頼人は確かこの街を治めている領主だったね」


 領主の館はまさに砦のようだった。きっと海から敵が攻めて来たときに対応できるようになっているのだろう。街の少し高台にあり、ここからは港街全体が良く見えた。

 良く見ると、港の一角で魔導船を二回りほど大きくしたような船が建造されていた。


「リリア、どうやらあれが、新しく国で作っている大型の船みたいだね」

「あれがそうなのね。遠くて分かりにくいけど、かなりの大きさなんじゃないの?」

「そうだね。あとで近くまで行ってみようか」


 そんなことを話しているうちに領主の館に案内された。話を聞いたところ、思っていた通り、全ての船が海の悪魔に襲われているわけではないらしい。だがそれでも、数日に一度は船が襲われているそうである。


 それでもこの港にたくさんの船が行き来しているのは、それだけ利益があるのだろう。海の悪魔に襲われた船は運がなかった。どうやらそのように思われているらしい。「海の悪魔避け」という名前の怪しいアイテムも出回っているそうである。


「海の悪魔の正体は、丸い胴体に八本の足が生えている魔物ですか?」

「おお、ご存じですか。そうなのですよ。あの不気味な形が悪魔と呼ばれる理由です」


 毎日現れるならすぐに討伐できるのだが、いつ現れるか分からない。そうなるとちょっと大変だな。今日は現場を視察するだけのつもりなのでこれで帰るけど、しばらくはこの港街で過ごすことになりそうだ。


 王都の宿に戻ってから部屋を確保してもらって、港街ボーモンドで宿を探す。ちょっと忙しくなりそうだ。

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