第22話 ペトラ夫人

 馬車から外をのぞいていると、どうやら正面玄関ではなく、裏口に向かっているようである。庭を突き切って屋敷の奥へと向かって行く。しばらくして馬車が止まった。


「なるべくフェルさんのことが知れ渡らないように、人目に付きにくい裏口から入ります。準備はよろしいですね?」


 俺は怪しい仮面を被ってうなずいた。姿を消しているリリアが珍獣を見るような目でこちらを見ていた。やめてくれ、リリア。そんな目で見ないで。心にくるから。俺が頼んだとはいえ、これはないと俺も思っているからさ。


 最初にサンチョさんが降りた。辺りを確認すると俺にうなずいた。

 いや、そこまでしてもらわなくても良いんですけど……そんなに重要な案件なのか、この依頼?


 馬車から降りた俺はすぐに裏口の中へと連れて行かれた。そこでは立派な貴族服に身を包んだ、一人の壮年の男性が待っていた。おそらくハウジンハ伯爵なのだろう。女性の人気を集めそうな顔をしているが、その顔色はあまり良いとは言えなかった。


「お待ちしておりました。私がラウレンス・ハウジンハです」


 貴族の礼をするハウジンハ伯爵。思わず同じ貴族の礼で返そうとしたのを何とか踏みとどめる。


「旅の治癒師です。サンチョさんと縁があってこちらへやって来ました」


 できるだけ丁寧に、庶民のように挨拶をする。貴族のマナーとしてはダメだが、庶民としては合格点をもらえると思う。


「さっそくですが、呪いの解除を行いたいと思います」

「お願いします。こちらです」


 ハウジンハ伯爵は何も聞かなかった。きっとサンチョさんから色々と言われているのだろう。サンチョさんをどこまで信用できるか、ということもあるが、ここは信じるしかないな。


 俺たちはハウジンハ伯爵によってサロンに連れて行かれた。そのサロンは一目で分かるほど日当たりが良く、明るくて、開放感のある場所だった。リリアが頭の上で喜んでいるのが分かる。リリアはこういった場所を好む傾向にある。家を借りるときは、その辺りを注意しないといけないな。


 部屋の中には一人の夫人が待っていた。この人が伯爵夫人なのだろう。物憂げな顔をしているが、それでも美しかった。


「こちらが私の妻のペトラです」


 ハウジンハ伯爵に紹介されて、ペトラ夫人が淑女の礼をとった。さすがは伯爵夫人である。リリアがその様子を食い入るように見つめていた。

 ……ライバル心とか持ってないよね? 俺は人妻を狙うような男じゃないぞ。


「すぐに始めましょう」


 俺はペトラ夫人に一歩近づいた。そして手をかざした。


「アンチ・カーズ」


 手から現れた光の粒子がペトラ夫人を包み込む。それも一瞬の出来事ですぐに何事もなかったかのように収まった。


「今ので終わり? ……ああ! 声が、声が出るようになったわ!」

「ペトラ!」


 ハウジンハ伯爵夫妻が抱き合って泣いていた。俺たち三人は取りあえず後ろを向いておいた。


「サンチョさん、治療が終わったのでもう帰っても良いですかね? 盗賊団の討伐報酬ももらいましたし、できれば今日中にエベランを出ようと思っているんですよ」

「フェルさん、今から出発しては野宿することになってしまいますよ。出発するなら、朝にした方がいいと思います」


 どうしよう、野宿をしても一向に構わないんだよね。街道沿いには弱い魔物しか生息していないみたいだし。でもこの感じだと、サンチョさん的にはもう一泊して欲しそうなんだよなー。


「リリア、どうする?」

「そうね、明日にしましょうか。まだ食べ物のお店しか見て回ってないしね」

「おお、それなら私の商会も見に来て下さいよ。きっと満足してもらえる商品があるはずですよ。品ぞろえならどこにも負けません」


 そんな話をしている間に、ハウジンハ伯爵夫妻は正気に戻ったらしい。目を腫らしていたが、落ち着きを取り戻していた。


「お見苦しいところを見せてしまって申し訳ない。治癒師殿に何かお礼をしたいのだが……」

「ええ、ええ、ラウレンスの言う通りですわ。恩人に何もできないなんて、あってはなりませんわ」


 この展開は予想していたけど、どうしたものかな。何かお礼をもらった方が後腐れなくて良いんだろうけど、特に欲しい物はないんだよね。

 あ、そうだ、一個だけあるな。でもアレはさすがに高いかな? でもあれば便利だし、聞くだけ聞いてみようかな?


「それではあの、小さい容量でも構わないので、魔法袋をいただけませんか?」


 ハウジンハ伯爵とペトラ夫人がにこやかな笑顔を作った。


「もちろんですとも。すぐにご用意いたしましょう」


 やったぞ。まさかこんなに早く手に入るとは思わなかった。貴族では持っている人もそれなりにいたが、さすがに冒険者の中で持っている人はほとんどいなかった。それだけ流通量が少なく高額なのだ。


 ハウジンハ伯爵はすぐに魔法袋を用意してくれた。説明によると、どうやら倉庫一軒分くらいの物を入れることができるそうである。呪いを解除したお礼にしては高すぎるのではなかろうか? 何だか申し訳なく思ってしまった。


 もっと容量の小さい、それこそ「チェスト一個分ぐらいの容量のものでももらえたら」と思っていたのに思わぬ誤算だ。だが今さら「やっぱり要らないです」とも言えず、受け取ることにした。相手は喜んでいたことだし、ヨシとしよう。


 報酬の魔法袋を受け取ると、俺たちは早々にハウジンハ伯爵邸を去ることにした。ハウジンハ伯爵とサンチョさんは最初からそうするように話をしていたらしく、特に引き留められることなくサンチョ邸に帰ることができた。


「フェルさん、本当にありがとうございます。ペトラ夫人は声が出なくなってから、社交界に全く参加できなかったのですよ。呪いが移る、なんて、根も葉もないウワサが広がっていたようなのです」

「それも相手側の戦略だったんでしょうね。でも大丈夫なのですか? また呪われたりする危険があるのではないでしょうか」

「それは大丈夫です。ペトラ夫人は呪い避けのネックレスを付けていますから。あれがあれば、もう呪いにかかることはないでしょう」


 やっぱり貴族は大変だな。呪い呪われ、どこかでだれかの恨みを買うことになるのだ。それを防ぐために、お金をかけて対策をしなければならない。どうりで貴族はこぞってお金を欲しがるわけだ。


「ねえ、フェル、やることは終わったし、せっかく魔法袋も手に入ったし、時間もありそうだから買い物の続きに行こうよ」

「そうだね。そうしようか。それではサンチョさん、ちょっと出かけて来ますね」

「分かりました。馬車と案内人を付けましょうか?」

「その必要はありませんよ。好きなところに行って、好きなときに戻って来ますから」


 冒険者の特権、それは何にも縛られない自由であることだ。こればかりはたとえ貴族でもかなわないだろう。サンチョさんに挨拶をすると、エベランの街に出かけて行った。


 まずはサンチョ商会に行ってみようかな? 品ぞろえがすごく良いみたいだしね。その場にサンチョさんがいれば「何でも持ってけ」って言われそうなので、やはり案内人を断っておいて良かったと思う。


 自分の力で稼いだお金で物を買うのも冒険者の醍醐味だ。それで少しずつ生活が便利になっていけば「なお良し」だ。まあ、魔法袋をもらったので、ずいぶんと飛び級した感じはあるけどね。

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