六章 粛正
六章一話
「頭数と必要な書類、資料が全て揃うまで少し時間があります。その間に海軍本部に向かってください」
アルンは天竜乗り達の住む兵舎のような建物の一室で慌ただしく準備を整えていた。先程までヴァローと書類を書いていたかと思うと今度はいきなり身支度を始めたので、イーケンは部屋の外にいる。窓越しに会話をしている状態だ。
「俺の方は分かったが、お前はこれ以上何を揃えるんだ?」
「陛下直筆の許可証です。それが無いと海軍に話を通せません。そのためにご起床なされてすぐの陛下に頭を下げに行きます」
部屋の扉が開くと青灰色の薄手の頭巾付きの外套を羽織り、まだ日も高くないのになぜか目深に頭巾を被っている。返り血の付着していた衣服一式を全て脱いで清潔なものに着替えていた。それを見て、イーケンは本部に行くなら軍服を着なければと思う。確か白苑の屋敷にあったかと思い出してから軽くため息をついた。そちらに寄ると本部まで遠回りをすることになる。
「行きましょう。陛下の居室に向かう前に裏門まで送りますよ」
そう言ったアルンの背中を追って歩き出した。
天竜乗り達の居住区は広い。芝生の庭を囲むように兵舎のような二階建ての建物があるが、その建物には様々な用途があるらしい。一階には大きな医務室と教室のような部屋があり、さらに歩いて行くと食堂もあった。食堂では小さな子ども達がまとまって座って食事をしている。
「あの子ども達は?」
「天竜乗りの卵ですよ。食事を済ませたらまずは座学の講義を受け、その後は戦闘訓練を受けます。昼食後も同じことをします。夕食前に一日の復習をして、風呂に入って就寝。あの子達はまだ十歳程なので夜間行動訓練は受けません」
アルンの解説を聞きながら芝生の庭を抜けた。すると建物の二階から降りてきた天竜乗り達が反対方向から歩いて来る。それを見たアルンは頭巾の端を掴んで下を見た。彼らが立ち去ると頭巾を掴んでいた指を離して前を見て歩き出す。一連の妙な仕草に違和感を感じたものの、イーケンは何も言わずにアルンの後ろを歩いた。
イーケンを裏門から見送り、アルンは隠し通路を通ってソウリィの居室へと足を向ける。慌ただしく移動する女官達を横目に白木で造られた扉の前に立った。その扉を開くと小部屋があり、そこで給仕のために控えていた者達がアルンを見る。台車の上に置かれている食事の量が平時より多く見えて、アルンはわずかに首を傾げた。この小部屋は毒見や準備のために女官達が控えるための場所だった。居室へと続く扉の前には白銀の鎧に身を包んだ近衛兵が二人、待ち構えるようにいる。
「通してください」
そうとだけ言って首にかけていた小さな金製の笛を、服の内側から取り出して見せる。天竜乗りが一人前と認められた際に携行を許可される笛で、これが天竜乗りであることの証明となる。一人一人に違う意匠のものが渡されるためどれも一点物であり、笛は王の手で授けられる。その笛を見た近衛兵達は扉を開いた。アルンは青灰色の外套を脱いで手に持つ。顕になった銀髪が窓から入る朝日を弾く。
ソウリィの居室も白い調度品で統一されている。花瓶から机、箪笥の取っ手から化粧台の鏡の縁取りに至るまで白い。女官の衣服は黒いが部屋の食卓で朝食を摂っている女王の服は亜麻色であった。通常この部屋で朝食を摂るのは女王のソウリィのみだが、今日は彼女の夫である暁遼がいる。ソウリィの向かいに座っているくすんだ銀髪が目に入ってアルンは少し目を見開いた。それからすぐに王族に対する最敬礼をする。
「朝食の最中に失礼致します。女王陛下、並びに王配殿下」
「何の用かしら、天竜乗り」
「先日の件について、陛下よりご一筆賜りたく参上した次第でございます」
それを聞くとソウリィは食器を置いてから布巾で口元を拭う。控えていた女官達に小部屋へ下がるように命じ、彼女達がいなくなると冷静な返答を寄越した。
「それについてはヴァローから聞いたわ。進展があったそうね」
「はい。海軍の内通者が特定できましたので、捕縛するということで話が進んでおります。同時にその配下も一掃するつもりでおります。つきましては陛下より元帥宛にご一筆賜りたく……」
「分かったわ。そこで待ってなさい」
ソウリィは食卓から立ち上がって違う机に向かう。それを横目に夫の暁遼は黙々と食事を進めていた。かと思うと彼はふとアルンを見る。わずかに間を置いてアルンに向かって手招きした。一瞬ためらってからアルンは暁遼から三歩ほど離れたところに立つ。彼は食器を置いてアルンの方に視線を向けた。
「そなたは天竜乗りだと妻は言ったが……」
「はい。昨秋に陛下より笛を賜りました」
暁遼と直接話すのはこれが初めてだ。彼は無駄な会話を嫌っており、我が子とさえ不要な会話をしない。そのため、暁遼の前に出るときは必要以上に口を開くなと古株の天竜乗りから聞かされている。そう言い聞かせた天竜乗りでさえろくに話したことがないと聞くのに、一体どういう風の吹き回しなのかと内心首を傾げた。
「この国に婿として来てから十三年が経つが、銀髪の天竜乗りは初めて見た。良い色をしているな」
己の髪色を褒められたのだと気がつくまでに少し時間が必要だった。生まれてこのかた忌々しいと言われていたこの髪は、相手によっては良いものとして見えるらしい。暁遼はアルンの様子を気にかけずに話を進めていく。
「私の祖国の牙月では銀髪は珍しくないものの、そなたのように明るくて美しい銀髪はなかなか見ない。ゆえに明るくて美しい銀髪は幸運の証と考えられている。牙月に生まれていたら嫁ぎ先がいくらでも選べる容姿だ。両親のどちらかが牙月の生まれなのか?」
その問いにアルンは首を横に振る。
「父は天竜乗りでしたが母の出自は分かりません。私が物心がつく前に死んだと聞かされております」
「そうか」
暁遼は口を閉じてすぐに食卓の籠に入っていた青く丸い果物を手渡した。食卓に並ぶ料理はいずれも料理人達が精魂込めて作ったものだが、果物は王家直轄領で育てられたものだ。理解が追いつかないアルンの様子を見て、ソウリィが苦笑いしてその意味を説明する。
「話さないから分かりにくいでしょうけど、この人があなたを気に入ったという意味よ。この時間だからまだ朝餉も済ませていないでしょう。後で食べてしまいなさい」
「恐縮でございます」
当の本人は再び食器を手に取っていた。まだ少し困惑しているアルンにソウリィが細い筒を渡した。王家の紋章が刻まれた革製の筒を受け取ってアルンは深く礼をする。
「進展があり次第、再度ご報告に参ります」
「待っているわ」
アルンは女王夫妻に礼をして部屋を退出した。外套を羽織ってからいつものように深々と頭巾を被る。蒼天を仰いでから、筒を持って天竜乗りの住処へと足を向けた。
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