五章三話

 一方イーケンは襲ってきたコージュラの男達を一掃して返り血を拭っていた。鞘に収めた太刀を持ってアルンの消えた方向に近寄る。

「大尉、行きましょう!」

 イーケンは部屋から出てきたアルンとともに階段に足をかけた。それからアルンはふと思い出したように言う。

「あの女はコージュラの次期族長候補、テーカンです」

「現族長の娘か?」

「ええ。近頃行方が知れないことは王宮でも有名でした。半年ほど前に現族長の使いがやって来て陸軍に捜索を依頼したそうです。ちなみに、ギッシュ族の族長からもほぼ同じ時期ににフラッゼに入った娘のシーラと連絡が取れないと捜索依頼が」

 それを聞いてイーケンは顔をしかめる。階段も中盤に差し掛かり、二人の声はさらに密やかになっていった。

「つまり、ここにいる可能性が高いと?」

「両者ともに共通している点があります。フラッゼから搾取されている立場であること、一族の中でその現状を打開すべしと主張する過激な一派がいること、従属しべしと主張する一派がいることの三つです」

「そこに汰羽羅が漬け込んだということか。あり得なくないな」

 最後の段を登り終えると目の前には分厚い扉がある。互いに頷き合ってすぐにアルンが扉を開き、イーケンが突入した。しかしイーケンは部屋の中を見て瞠目する。薄青と焦げ茶の瞳は大きく見開かれてゆらゆらと揺れた。入って来たアルンも思わず口を開く。

 部屋の窓は大きく開け放たれ、豪華な絨毯の上には若い女の死体が転がっていた。冷たい月明かりに照らされた死体以外に人影は無い。人影はおろか、気配すら無かった。

「河野がいない……!」

「あり得ない! 逃げ出す隙は無かったはずだぞ!」

 イーケンがそう叫ぶと、アルンはふと思い立って絨毯の上の死体に近づく。横に膝をついて彼女の顔を確認した。

「大尉、これがシーラです」

「殺されていたのか……」

 アルンはシーラのむき出しの腕に触れて目を閉じる。それから息を吐いて宣言するように言った。

「もう冷たい。ついさっき殺されたわけではなさそうです。身体も強張っている」

「……フラッゼで得ていた用済みの協力者を殺して逃げたとしか思えんな」

「可能性は大いにあります。むしろ現時点ではそれしかないです」

 バタバタという足音が階下から上がってくる。乗馬用の靴の思い足音だ。一瞬構えた二人だったが、扉から顔を見せたのは朱真と史門であった。二人も部屋の中を見て呆然と口を開く。

「首魁はいないのか?」

「逃げられたと考えられます」

 史門の問いに対するアルンの答えを受けて、朱真は後頭部をわしわしとかいた。

「逃げ足の速い男じゃねえか……。長生きしそうだな」

 一気に気が抜けてイーケンもアルンも朱真も床に座り込む。全員揃って、はぁ〜とため息をついた。

「腹が減った……」

 イーケンの独り言に朱真がへらりと笑う。

「俺もだ。腹ァ減って倒れそうだよ」

「私もです。よく考えると何も食べてないわけですから当然ですよね」

 何とも気の抜けた終幕を白銀の月光が見下ろしていた。


 日が昇る前に集まった天竜乗りと牙月の男達とで死体の処理を済ませた。その際にフラッゼの流儀でごく簡単な葬儀を行う。それが終わるとどこからか現れていた荷馬車に天竜乗り達が死体を積み込んだ。アルンによれば、天竜乗りだけが使える火葬場があるためそこで荼毘に付すとのことだ。捕らえたテーカンはまた違う荷馬車で連れて行かれた。それを見送ってからいつの間にか数を増やしていた天竜乗り達によって屋敷の捜索が開始される。アルンも問答無用で参加させられていた。

「怪我は?」

 近寄ってきた史門の問いにイーケンは平然とした顔で答える。

「多少は負いましたが大したものではありません」

「手当のできる者も連れて来ている。必要であれば頼むといい」

「お気遣いに感謝します」

「暁遼様が婿としてフラッゼの王配にお成りあそばされてからは海防について様々な技術提供を受けている。ここで私自身が返せるものなど微々たるものだが、気持ちの問題だ」

 史門はそう言って地面に腰を下ろした。腰に帯びていた曲刀を剣帯から外したところで彼は突然声を張り上げる。

「朱真、貴様が拷問にかけられていたことは想定済みだ! また切り取られた自分の肉など食わされてないだろうな?」

「今回は殴る蹴るで済みました。ご心配おかけしてすいませんね」

 冗談にもならない会話をした二人だったが、朱真が史門の前にかがみ込んで顔を見合わせた途端にゲラゲラと笑い出した。しばらく笑い合っていたが、史門はひぃひぃ言いながら息を整える。

「貴様は父上のお気に入りだ。母なる風に返してやれなかったとなれば私が叱られる」

 牙月では風葬と呼ばれる形式の葬儀が一般的である。母なる風によって天上へと導かれた魂は再度生まれ変わって地上に下りてくると考えられているので、異国で死んだ者は生まれ変われないとされるのだ。

「軍人さん、このお方は一度狩りに出たら三日はお帰りになろうとしないもんだから、どれだけ大物を仕留めて帰っても奥方と大恩ある大殿に叱られるんだ」

「牙月の男が愛でるべきは妻ではない。己の馬と父なる大地のもたらす獣の恵みよ。屋敷に籠もって妻と過ごすのはつまらん」

「現当主のお言葉ではありませぬな。その態度はぜひとも改めていただかねば困ります」

 厳格な気配をまとった発言は汎要ものであった。彼も武装してこちらにやってきていたようで、腰に曲刀を帯びている。

「またあれか、世継ぎの話か」

 史門はうんざりと言った表情で明後日の方向を向いた。それを見て汎要は何かを付け足そうとする。そのとき、屋敷の二階の窓からアルンが飛び降りた。そのまま飛び跳ねるようにして史門に近づいてくる。

「痛み止めが大量に見つかりました。ですが海軍本部から持ち出されたものとは数が合いません。河野が持って逃亡したと思われます」

「分かった。それでは全員が揃ったところで情報を共有しよう」

「情報とおっしゃいますと?」

「珊瑛という若いのが翻訳した結果、河野は次の新月の夜に商船用の港で薬の受け渡しをするつもりであると分かった。どこに逃げているとしてもそこであれば必ず捕らえられる。そこで捕らえてさらに情報を吐かせ、確証を得てから汰羽羅に攻め込む」

 最後の一言にその場に緊張が走った。史門、汎要、朱真の表情は落ち着いているが、纏う気配は戦を控えた武人そのものだ。

「もう本国には連絡した。既に戦の支度が進められている。皇帝陛下も白苑殿下も、次は完璧に征服するおつもりだ。真奏を討って統治権も何もかもを牙月が掌握することになる」

 史門に続いて汎要が話し出す。

「史門様の配下である我らも出陣する。白苑殿下は今日か明日にでもフラッゼの王宮に向かわれ、正式に援軍の依頼をされるご予定だ。上手くいけばまた海軍の援軍に助けられることになる」

「その援軍の依頼、少しお待ちいただけませんか?」

 イーケンの声に史門と汎要がそちらを見た。

「何故だ。何を待つ必要がある?」

「海軍の協力者の目星がつきました」

 その返答に牙月の男達の目の色が変わる。それを見ながらイーケンは淡々と事実を語った。

「彼の名前はユーギャス・ルオレ。彼を片付けねば海軍内部の情報は筒抜けです」

「片付けるにはどの程度時間がいる?」

「短くても四日と考えたほうがよろしいでしょう。相手は海軍本部第三艦隊の艦隊長を務める大将ですから、内部告発の受理にも相手が慎重になるはずです」

 そう語る彼の言葉の端々には隠しようのない怒りと憤りが滲んでいる。剣の柄を握りしめる手にも力が籠もっているらしく、白みつつある朝日の中で手の甲に血管が浮かび上がっているのが見えた。

「その告発、天竜乗り部隊が引き受けましょう」

 アルンの発した声にイーケンが驚いて振り向く。陸軍と海軍の内部告発先はそれ専用の機関があるため、基本的にはそこだ。そもそも天竜乗り部隊にそんな権限があることすら知らなかった。

「我ら天竜乗りは国益に害をなす物事、人物に対して代々の王より賜ったあらゆる権限を行使できます。対象の身分、性別、年齢、出身地などに関係はありません。害をなすということが分かれば誰の指示も関係なく即座に動き出せます」

「そんなことが……」

「所定の手続きをこなす必要がありますがそれもあくまで形式上のもの。もう二人ほど天竜乗りがいれば問題なく動けます。ここを出たら王宮に向かいましょう」

 アルンの提案に頷き、イーケンは深く息を吐く。街の東の方角を見ると、朝日が顔を出し始めていた。民家から炊事の煙が上がりだしている。何も知らない者にとっては平時と変わらぬ平和な夜明けであった

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