五章二話

「天竜乗り、俺の目はもうこの暗さに慣れた。不自由なく戦える」

「朗報ですね。それでは参りましょうか!」

 アルンは唐突に矢の飛んできた方向へと駆け出す。建物の影に潜んでいた十名ほどの男達は松明を片手に一斉に抜刀した。手前に一列、奥に一列の隊列を組んでいる。

「大尉には手前をお任せします。私は後ろを」

 アルンの声にイーケンは短く応じた。

「分かった」

 イーケンの持った太刀が銀色の軌跡を描き、先頭の男の松明を切り落とす。わずかに深まった闇に向かってアルンは躊躇なく飛び込み、後列の男の懐に入り込んだ。アルンが後列の相手をする間にイーケンは前列の男四人に囲まれる。そのうちの一人が声を張った。

「貴様、ここがどこか知っての狼藉か!」

 一人の言葉にイーケンは腹の底からの声で応じる。

「これから貴様らを皆殺しにするための場所だ!」

 その次の瞬間にはイーケンは目の前の男に向かって踏み込んだ。数合切り結んでから相手の刀を弾いてとどめを刺す。背後からの斬撃を飛び退ってかわし、数秒前にとどめを刺した相手の死体を投げつけた。よろめいた一番手前の男の背中を深く斬りつける。

(あと二人!)

 右足を軸にその場で半回転。振り向きざまに目の前に現れた男の首筋を斜めに切り上げた。最後の一人の相手をしようとして、イーケンはその相手を探す。すると背後からどしゃりと音が聞こえる。そこには崩れ落ちた死体と脇差を斜めに構えたアルンがいた。

「……助かった。礼を言う」

「剣聖と呼ばれるにはいささか不注意に思えますが?」

「暗いからな」

 肩をすくめたイーケンはアルンを見る。彼女は無傷で無事に後列を全滅させたらしい。建物の影には死体が積み重なっていた。返り血を少し浴びたのか手のひらで自身の白い頬を拭う。

「今のは全員汰羽羅武士ですね。どれも見事な刀ばかりですよ」

 アルンは腰から抜き取ってきたと思われる太刀をイーケンに手渡す。鞘から抜いた刀身をイーケンは松明の火にかざした。

「でも妙なんです。見てください」

 若い天竜乗りの言葉に応じてイーケンは目線を下げる。アルンは倒れ伏していた死体の一つに手をかけて、着物の前を豪快に広げた。そしてその胸元に手を這わせる。イーケンも同じようにして首を傾げた。

「わずかだがあばら骨が浮いているな。まさか十分に食べられていなかったということか? そんな経済状況で刀を持っているというのはどうにも矛盾している。それに武士は支配階級だろう。飢えるなんてことがあるのか?」

 それを聞いてアルンはため息をつきたくなった。海軍大尉がこんなことも知らないとは思わなかったのだが、汰羽羅に関する情報はフラッゼではあまり出回っていない。アルンも天竜乗りの情報網が無ければ知らなかったはずなので仕方のないことである。

「汰羽羅の武士は米を税として徴収し、それを換金して生活しています。米の収穫量が多すぎれば得られる金は少なくなりますが、少なくてもそうなります」

「しかしこれは尋常ではないぞ。汰羽羅で何が起きている?」

 至極当然のイーケンの問いにアルンはすらすらと答えた。

「ここ数年、牙月からの商人の流入が激しく経済が乱れているそうです。さらにこの十年間は飢饉が頻発しています。政権交代もあってとにかく酷い有り様だとか。この男はずいぶん若く見えますから、穏やかな生活を知らぬ世代なのかもしれませんね」

 アルンの言葉を受けてイーケンは立ち上がる。暗がりを見つめながら低い声で言った。

「行こう。ここで立ち止まって時間を無駄にするわけにはいかない」

 二人が後にした地面には、赤黒い血飛沫が残っていた。


 母屋に近づくにつれて人の数が増える。遮蔽物も無い平地で二人は向かってくる敵を片っ端から切り捨てた。暗い中にいくつもの松明の火が灯り、暗がりに慣れたイーケンの目を混乱させる。両目が混乱するイーケンの隣でアルンは慣れたように大勢を相手に立ち回っていた。脇差をとっくに捨てたアルンは、ギッシュの若者が持っていた短剣二本を両手に死体の山を積み上げていく。

 イーケンの太刀と相手の太刀とがぶつかり合い、最後には腕力でイーケンが押し切って相手を地面に切り伏せる。飛んだ返り血を拭う暇もなく後ろを振り向いて逆袈裟に切り上げ、その奥の男の脳天を叩き割った。その男のうめき声を聞いてから左足を軸に一回転。背後に迫っていたコージュラの男の剣を太刀できれいに絡め取り、撫でるように首を切った。噴き上がった血液を浴びつつ、とどめの一撃を食らわせてアルンに加勢する。

「天竜乗り、無事か!」

 背中を合わせて問いかければ、アルンは彼女の正面にいた武士の腹を切り裂いてから答えた。

「無事に決まっているでしょうが!」

「足を止めるな! 河野とやらに事の真相と関与している上層部の名前を聞かねばならん!」

 話している間にも二人の白刃が幾度も夜闇と身体を切り裂く。切られた側の悲鳴に合わせて血飛沫が散り、海からの潮風と血の臭気が混ざり始めた。イーケンにとっては嗅ぎ慣れた悪臭である。

「貴様、河野様の名を口にしたな?!」

 突然、イーケンの目の前に躍り出た男がそう言った。太刀で襲ってきた男に応戦しながらイーケンは叫び返す。

「それがどうした!」

「あのお方は我らが殿を生涯お支えするお方だ! 恐ろしき病を根絶し我らの子らに豊かな時代を約束してくださった、我らが殿を! ゆえにフラッゼの悪鬼には今ここで死んでもらう!」

「意味が分からん! 死ぬのは俺の国を荒らそうとした貴様だ!」

 金属同士がこすれる不快な音をさせて二人の距離が大きく離れた。イーケンは飛び退って重心を低くして構える。青と焦げ茶の瞳が相手を捉えた次の瞬間には、彼の太刀は相手の腹を貫いていた。大きく振って血を振り落とし周囲を見回す。

「死にたい者からかかって来い!」

 イーケンの怒号が響き渡ったのとほぼ同じ頃、アルンは同時に三人を始末したところであった。暗闇から飛び出して急所を刺して再び暗闇に消え、また暗闇から飛び出す。さながら人間暗器である。そしてアルンが飛び出す度に確実に死体が出来上がった。

「松明で明るく照らせ!」

「闇を減らせ! 奇襲を見破れ!」

 とある青年は建物の影で焦りながら松明に火を灯そうとする。しかし手が震えてなかなか火がつかない。冷や汗で手元が狂いっぱなしなのだ。

「金吾、まだか!」

「申し訳ありません! お待ちください!」

 そう答えてしばらくすると、頭上から何かの液体が降って来た。ふと顔を上げればこれまで近くにいたはずの男達は、皆倒れ伏している。そのときようやく松明に火がついた。恐る恐る松明を持ち上げてみれば、そこには悪鬼のような銀髪がいた。情けない声とともに、地面に腰を下ろしたまま後ろに下がる。汰羽羅の人間でもコージュラの人間でもギッシュの人間でもない。角度の問題で表情は見えないが笑っていないことだけは分かる。

「あ、悪魔……!」

 青年のか細い声は断末魔へと変わった。

 戦闘が一段落すると母屋の裏手には血の池が生まれ、死体の山が積み上がっていた。外にいたのは全滅したらしく、もう人の気配はしない。イーケンがアルンに歩み寄ると彼女は平然とした顔で死体の衣服を確かめている。

「何をしている?」

「ギッシュとコージュラの服を着ている者がいます。もしかすると彼らの指導者もいるかもしれませんね」

「上手くいけば一網打尽というわけか。しかしこれは妙だぞ、天竜乗り」

 気がついているだろうが、と付け足されアルンは無言で首を縦に振った。

「母屋の中があまりに静かすぎます」

「もう相当な数を殺している。この騒ぎが伝わらないはずがない」

「何かしらの策を立てて待ち構えているのでは?」

「そうであれば突入してからが本番だな」

 目の前にある母屋には灯りが一つもついておらず、外まで聞こえるような物音も無い。奇襲を受けたような反応が全く確認できないのだ。しばらく母屋を睨んでいたアルンがイーケンに提案する。

「私が先行しましょう。暗い室内での仕掛けを見破るのも得意分野です」

「頼む」

 母屋の裏手にある両開きの扉の前に行くと、アルンは細い眉を寄せてかがみ込んだ。それから木製の分厚い扉の取っ手を掴んでわずかに揺らす。その様子に違和感を覚えたイーケンにアルンが淡々と言った。

「……爆薬が仕掛けられています。硫黄の臭いがしますし、揺らしたときに何かがぶつかる音がしました。扉を開けたら即座に吹き飛ばされます」

「汰羽羅の技術か?」

「細かい細工を扱える人材と丈夫な素材、火薬の扱いに慣れた人材が揃えばどの国でも何とかなります」

「上の階の窓から侵入できないかと思ったがそれは危険だな。その動きを見越して人が配置されている可能性もある」

「正面玄関から行きますか?」

「裏が無理ならそれしかないが……」

 そのとき、二人は背後に気配を感じて同時に構えて振り返る。足音一つさせずに裏門を越えて来ていたのはアルンの上官にあたるヴァローとその部下達であった。イーケンに危険はないとアルンが仕草で伝えると、彼は構えた太刀をおろす。

「アルン、よくここまで追い詰めた。ここから先は加勢しよう」

「私に見張りをつけていたでしょう、ヴァローさん。見張っていたなら助けてくれても良かったんじゃありませんかね」

 アルンはぐっと表情を歪め、嫌悪感を隠そうともせずに言い放った。だがヴァローはアルンの言葉にちぐはぐな答えを返す。

「一人前と認められたとは言えお前は未だ未熟者。雛は親鳥が導いてやらねばなるまい」

 ヴァローと呼ばれた男はそう言いながら被っていた頭巾を脱いだ。月明かりの下に右頬に大きな傷痕のある顔がさらされる。アルンは己の問いに応じなかった上官を鋭く睨みつけた。

「お前は異国の女の腹から生まれた忌み子だ。我々純血と比べて劣る存在なのだから手伝ってやらねばな」

 ヴァローの背後に控えていた男が不快な響きを持つ声を上げた。それを聞いてイーケンは眉をひそめる。しかし当のアルンは聞き流していた。

「アルン、この爆薬を扉に。火打ち石も渡しておくぞ」

 ヴァローから黒い筒を数本受け取ったアルンは、爆薬の紐を扉の取っ手に取り付ける。イーケンは他の天竜乗りに連れられて少し離れたところにある茂みにひそむ。同時にイーケンに声をかけた天竜乗りは死体を引きずってきたかと思うと、盾にするかのように茂みに立てかけた。爆薬の導線に火をつけたアルンが最後に余った場所に転がり込んで来る。その足が茂みから飛び出ているのを見て、イーケンはアルンの胴体を掴んで引き寄せた。次の瞬間、轟音とともに扉が吹き飛んだ。

 扉は跡形もなく飛び散り、ぽっかりと入口が口を開けている。盾代わりにされていた死体を天竜乗りの一人が元通り地面に寝かせた。

「アルン、お前は大尉とともに主犯格を捕えよ。他は雑魚を片付けつつ、証拠品の確保に専念すること。以上だ。行動開始」

 ヴァローが指示を出すと天竜乗り達は一斉に静かに動き出す。イーケンとアルンが母屋に入る前に他の天竜乗りが先行した。扉近くの部屋に潜んでいた敵に、声も上げさせず迅速に命を刈り取っていく。

「一階は他の人達がやってくれます。私達は二階へ!」

「おう!」

 二人は母屋の中心を目指して走り出した。その瞬間、ドゴンという鈍い音が鳴った。天竜乗り達とアルン、イーケンがそちらを見ると、母屋の外壁には槍が突き刺さっている。その槍は二階から降下しようとしていたコージュラの男を外壁に磔にしていた。天竜乗り達は外壁に突き刺さった槍を見て顔色を青くする。槍はフラッゼで使われるものより一回り太く長い。それで男の胸の中心を貫き、堅固な外壁に突き刺した誰かの膂力は常人の域を超えている。

「天竜乗りとやらも大したことはねえな!」

 暗闇から現れたのは、身体のあちこちに包帯を巻いた朱真である。どうやら槍を投擲したのは彼だったようだ。唇をまくり上げて悪鬼のように笑う彼の背後には、屈強な牙月の戦士達が控えていた。

「朱真、口を慎め」

 朱真の隣に立ったのは彼の主君である史門だ。天竜乗り達の前に進み出ると、自分よりも頭一つは小さい彼らを睥睨するような目線を送る。真夜中だというのに服装には一切の乱れが無い。

「牙月帝国銀虎将軍の史門だ。我が主君の命により助太刀致す」

 それを聞いたヴァローは無言で頷いた。

 屋敷に侵入したイーケンとアルンは道すがら襲ってきた相手を返り討ちにしながら突き進む。彼らが目指すのは屋敷の二階中央の部屋だ。フラッゼでは、一般的にその部屋が最も広く使い勝手が良い。河野がそこにいても不思議はないという考えだ。その間にイーケンはアルンに話しかける。

「天竜乗り、俺が殺した武士が、真奏は悪魔の病を終わらせて子ども達に豊かな時代を約束したと言った。これをどう思う?」

「そこだけ切り取れば何ら疑問はありません。どの時代のどの国でも病は流行り、人を殺すもの。恐怖政治を敷く君主が民衆の気持ちを掴むためにそう対応した可能性もあります」

 アルンが答えたところで二人は屋敷の一階中央部分に到達する。イーケンは床に近い場所に張られた糸に気がついてアルンを止める。すると彼女も気がついていたらしく、その糸の先を辿った。

「大尉、お手柄です。見てください」

 彼女の指が示したのは壁の燭台。その土台に暗器のようなものが仕掛けられている。糸に足が引っかかると暗器に攻撃されるという仕組みだ。解除しようとアルンがかがみ込んだ瞬間、前方に十人ほどのコージュラとギッシュの衣服を着た男達が現れた。

「お前達、ここで押さえよ! 脱出の時間を稼ぐのです!」

 彼らの後方で叫ばれた声にアルンは驚いて顔を上げる。

(コージュラの次期族長候補、テーカン!)

 薄暗い廊下の向こうに頭に赤い布を巻いた女がいた。己の身分を象徴するかのような豪奢な飾りを身につけている。テーカンが奥の方の部屋に駆け込んだのが見える。

「大尉、私はあの女を捕らえます」

「なら残りは俺が預かろう。捕らえたら戻って来い」

 アルンは両手に短剣を構えて走り出す。目の前に迫る刃の津波をかわしてテーカンの後を追った。一階の奥の部屋に飛び込み、広い部屋の中をぐるりと見回す。そこにはテーカンどころか誰一人としていない。アルンの頭が高速回転する。

(見失った……? いや、そんなことはまずあり得ない。絶対にこの部屋に潜んでる!)

 部屋の中には様々な調度品があった。机や寝台に加えて衣装部屋のようなものもある。どこもかしこも悪趣味なほどの派手な飾りがあった。天然石で飾られた箱をそっと開くと宝石の腕輪や指輪が入っている。そのとき、アルンの敏感な嗅覚に知らない香水の香りが引っかかった。香りの出どころに向かって歩くと、衣装部屋の扉の下から赤い布の端が目に見える。勢いよく扉を開き、赤い布を掴んで引きずり出す。

「あああああ! 止めて、痛い! 助けて、誰か!」

 叫ぶテーカンを力いっぱい床に叩きつけた。手首と足首を手近な紐で三重に拘束し、それをさらに首に繋ぐ。手足を動かすたびに首が絞まる仕組みなので、これで間違っても自力で動くことはできなくなる。

「あなた、何者? わたくしが誰かを知ってこんなことをしているの? ああ、痛いわ!」

 テーカンの喚き声に苛立ったアルンは、手近な布を持ってきて彼女の口に押し込んだ。床に転がしたのを部屋の入口まで蹴り飛ばして連れて行く。それでもまだ喚くテーカンにうんざりし始めた。がしがしと銀髪を掻きむしり悪態をつく。

「床に引きずり倒されて蹴られた程度でぎゃあぎゃあとうるさい女だな……」

 そして最後にアルンはテーカンの隣にかがみ、低い声で言った。

「生きて朝日を拝みたいなら、黙れ」

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