一章二話
フラッゼ神王国の王の住まいは白亜の城だ。人はその佇まいを褒めて「白妙の乙女」と呼ぶ。その乙女は大陸交易路の要衝と謳われ人と文化の入り交じる街を見下ろすように、高貴に、厳格にそびえ立っていた。王都・セレースティナの最北端に位置するが、当然その深部にまで入れる者は限られる。
ところが、王宮に入るのにはさして手間取らなかった。同行していたアルンの顔を見ただけで、近衛兵達が敬礼して道を開いたのだ。それからさらに奥へと連れて行かれ、ガランとした部屋に入れられた。そこで身体検査を受け、今は待機しているところである。
「本当に陛下がおいでになるのか?」
「だから武器の類は全て預かりました。陛下の御身に何かあれば私の首が飛ぶ」
あっさりと言ったアルンは外套を脱ぎ捨てた。傷だらけの腕がむき出しになる。
(これがあの天竜乗りか……。信じがたいな)
イーケンはそう思わざるを得なかった。
天竜は建国神話の中に登場する生き物だ。初代国王にして神祖であるウェヌンをその背に乗せ、何頭もの天竜が北の神峰を越えて来たという。そして神々しいその身に宿した叡智をウェヌンに分け与え、治世を築き上げる一助となったと記述がある。神祖と天竜達を繋いだ存在が天竜乗りと呼ばれた。天竜は王家の紋章に描かれていることから王家、ひいてはこのフラッゼ神王国を象徴する。また海軍の軍艦旗には青い天竜が、陸軍の軍旗には赤い天竜が描かれている。
天竜に関する大半のことは伝説だと市井では考えられている。その理由は至極単純で、天竜乗り部隊と呼ばれる近衛兵は存在するものの、実際に王宮の警備や身辺警護を担当しているのは陸軍管轄の陸軍近衛隊だからである。しかし陸軍近衛隊や王宮で働く者達は皆口を揃えて
「天竜乗りはいる」
と言っている。とは言え誰もがその真偽を確かめられるわけではない。よって大多数の市井の人々や王宮に関係しない者達の間では伝説に近いものとして扱われている。しかしその天竜乗りはいとも簡単に姿を現し、イーケンを独房から引きずり出した。
勢いで決めてしまったことを反省しつつも何でもすると言った手前、やはり引くことは出来ない。ただ独房から出しただけではなく、横領の濡衣と降格処分すらも取り消された。どうしてこんなことが許されるのかと銀髪の彼女に問えば
「あなたは無罪ですから」
とだけ返答があった。逆に言えばそれしか伝えられていない。金属製のものは全て陸軍近衛隊に回収されてアルンが持っている。狭くも広くもない無機質な部屋の中でイーケンは所在なさげに長椅子に座り、アルンも入口付近の椅子に座って何かを待っている。すると、突然扉が開いた。背の高い男が現れ、アルンに抑揚のない声で話しかける。
「アルン、連れて来なさい」
その男の声にアルンは頷き、イーケンに立つようにと仕草で促した。
王宮の白い回廊を歩いているとどこからか甘い花の香りがした。そちらを見れば中庭の人工の池と思しきところに花が咲いている。無人の中庭にあるその池は清冽な水で満たされていた。
アルンと謎の男が立ち止まったのは巨大な扉の前だった。男が靴の爪先を鳴らすと、両開きの扉は音も無く開く。イーケンは少し前を歩くアルンに問いかけた。
「ここは?」
「私的な謁見の際に使われる部屋です。それよりも、とにかく無駄口は叩かないように。陛下のご機嫌を損ねます」
謁見の間はイーケンの想像を上回る広さだった。扉の前には白銀の鎧で身を固めた衛兵が立ち、横柄な目線をこちらに投げかける。部屋の調度品もほとんどが白く、最奥に鎮座する玉座も見事な白。床に敷き詰められた大理石も純白だ。それを踏むイーケンの黒い軍靴は、めまいがするほど場違いに見えた。
「そろそろおいでになります」
アルンの声にわずかにためらう。ためらったところで何一つ変わらないが、何せこれからご尊顔を拝するのは女王だ。イーケンが戦争の度に身命を賭して守る国の魂であり、尉官程度の階級では式典の最中に近くで見ることすらかなわない相手である。
数秒後、玉座の横の扉が開いた。部屋に溶け込むような白い装束を身にまとった女が、静かに歩いて来る。一瞬気を取られてから、慌てて軍人式の礼をした。無礼を承知で目線だけを上げて一瞬だけ前方を伺う。
(あれが賢君と名高い女王陛下か)
真っ白い装束をまとった気品の塊のような様がたった数秒で脳裏に焼き付いた。そっと目線を伏せてもまだ見えているような気がする。
「顔を上げなさい」
硬い声が鼓膜を打った。それでもイーケンは顔を上げられない。
「アルン、その男が今回の手がかりなのね?」
「この目でしかと確かめましたゆえ、間違いございません」
「年のわりにずいぶん使えるじゃない。今回が四回目の任務だったとヴァローから聞いたのだけど?」
「過分なお褒めの言葉、恐悦至極に存じます」
「で、そこの軍人は事の顛末は?」
イーケンは取り残された感覚のまま、二人のやり取りを聞いていた。アルンとイーケンを連れて来た男は何も言わずにただ立っている。
「話が話ですので、まだ何も」
「良い判断だわ。関係のない者に聞かれては困るもの。とりあえず説明してやりなさい」
アルンは一礼し、部屋の壁にかかっていた地図を持って来る。同時に衛兵に合図して机を持って来させると、その上に地図を大きく広げた。
「この国、フラッゼ神王国の周辺事情はご存知ですよね?」
イーケンはそれに頷く。求められるままにこの国に住む大抵の者ならば知っていることを話し出した。
「南の牙月からは今の王配殿下をお迎えし、北の神峰の向こうのギッシュ族とは使節のやり取り、留学生の受け入れを。コージュラとは半永久的な貿易条約を締結の上で、隊商には陸軍の保護を約束した。いずれも陛下の卓越したご手腕のもと、見事にまとまったと聞いているが?」
「さすがによくご存知ですね。ですが、一つ大切なことが抜けている」
アルンの言葉に、イーケンはハッとして付け足した。
「汰羽羅か!」
正しくは、汰羽羅諸島連合と呼ばれる島国である。牙月よりはるか南方に位置する。長らく牙月と敵対関係にあったが、二年前に牙月は征服戦争に乗り出した。その際、海戦に不慣れな牙月はフラッゼ神王国海軍に援軍を要請。海軍は協約に基づいてその戦力を大量に投入した。今は統治権こそ与えられているものの牙月の介入は大きな影響を与えている。
「ならばあとは簡単です。大尉が軍法会議で物資横領、横流しの嫌疑をかけられることになった前日の夜に見た会合があったでしょう?」
苦々しく思いつつも応じれば、アルンは一枚の紙を見せた。粗い紙で、元の文章を写し取ったもののように見える。
「これは、その会合で配られた紙を写し取ったものです。この文字が読めますか?」
バカにされているのかと思ったが、目を通して愕然とした。真っ直ぐな眉を寄せ、イーケンは紙を凝視する。
「これは汰羽羅文字か」
「大陸でこの字の読み書きが出来る人間は、学者か高度な教育を受けた高位の人物に限られます。内容は分かりますか?」
「いや、読めん」
「簡単にまとめますと、海軍の中に内通者を用意出来た。今回横流しさせた物資は戦時に使われる痛み止めである」
一瞬混乱してからイーケンの視界が怒りで真っ赤に染まった。血管の中を激怒が駆け巡る。その赤い視界の中で理解できたのは、あってはならないことが起きたということ、よりにもよって国家の守護者たる海軍の中に裏切り者が出たということの二つである。決して許される行いではない。軍法会議にかけられれば問答無用で死刑執行だ。
「ロンレッサの木から精製されたこの痛み止めを汰羽羅の技術で精製し直せば、芥子よりも強力なものとなること間違いなし。一部を先に送るゆえ、支度を急がれたし」
「芥子とは?」
突っ返すような問いにアルンは冷静に応じた。
「幻覚を見せ、感覚を壊す薬です。フラッゼでは麻薬と呼ばれて土着の呪術師が儀式のために使うこともありますが、かなり薄めたものです。さらに流通に関しては国の許可を必要とするなど厳しく規制を受けていますが、裏社会では法外な高値で取引されています」
「なぜだ」
イーケンは完全に気分が悪くなったらしい。薄青と焦げ茶の混ざった瞳には轟々と嵐が渦巻いている。
「国の監視網を掻い潜ってやり取りされるからです。違法取引は重罪で毎年数十人近く憲兵に捕まってはいますが一向に後を絶ちません」
「なるほど。つまりやつらの狙いは、資金稼ぎ、もしくは薬を秘密裏に流入させることにより、国を根底から覆すことにあるわけだな?」
つ、とアルンに指を向けたイーケンは端正な顔を歪めた。アルンは黙って首を縦に振る。
「あの場には恐らくギッシュ族やコージュラの者もいたはずだ。ギッシュとコージュラの言葉が聞こえた。そうなれば周辺国家が共に何らかの企みを持って動いていると考えられる。そして俺は偶然あの場を見てしまった。だから背後から複数人で襲われ、気絶させられた。それから横流しさせた薬の近くに放置。海軍所属である俺の犯行と見せかけ、自分達の存在を悟られぬようにしたかった。以上が予想だが、何か意見は?」
アルンは一瞬呆然としたが、次の瞬間には軽く唇をほころばせる。
「陛下、お聞きになられましたか?」
「ええ。なかなか使えそうね」
玉座の肘置きにもたれかかり、ソウリィはゆったりと言った。イーケンをじっと見つめ、さらに言葉を繋ぐ。
「今回の件はおいそれと口外していいものではないわ。下手をすればこの国の周辺諸国全てが敵になる可能性を秘めている。本来ならば隠密も兼ねている天竜乗りだけを使うのだけれど、使えそうな軍人がいるからと聞いて連れて来させたの。軍人は扱いが難しいこともあるけれど、基本的には優秀なのよ」
ソウリィは玉座を下り、二人の方へと歩み寄って来た。
「我が国の士官学校の質は高い。ゆえに優れた指揮官が輩出され、優れた指揮官が多数いることにより集団は上手く機能する」
一歩一歩歩くたびに、恐ろしいほど高貴な香りが空気を揺らす。化粧で彩られた優美な顔立ちはぞっとするような神々しささえも感じさせた。思わず目を伏せさせるような力が彼女の佇まいにはある。
「神祖が建てたこの国を転覆させようとする不届き者がいることは確かだわ。放置はしない。許しもしない。だってこの国は私の命で民は我が子だもの」
いつの間にか、彼女はイーケンの目の前に立っていた。賢君と讃えられる女王は毅然とした態度と面持ちで鋭く命じる。
「傷つける者も、壊す者も、許しません。徹底的に探って首謀者を私の前に連れて来なさい」
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