白刃を抱いて征け!

青濱ソーカイ

一章 邂逅

一章一話

 男は己の置かれた状況を未だに理解できていなかった。王都の海軍本部で軍法会議にかけられている、この状況を。

「軍用物資横領の罪によりイーケン・トランシアルは二階級降格の上、十年の収監とする!」

 本部長が高らかに宣言し、その場に揃った海軍の重鎮達も重々しく頷く。それを受けて男は悪あがきと分かっていながら声を上げた。

「待ってください!」

「まだ何か不服があるのか?」

 老齢の本部長がそう尋ねる。

「自分は気がついたら地下道に倒れていて……!」

「それは何度も聞いた。だが関与していないと断言できる者はいないのだろう? ならばもう判決は覆せぬ。さあ、階級章を返還したまえ」

 一人の事務官が、イーケンに木の箱片手に歩み寄った。胸の階級章を外せと目線で伝えてくる。イーケンは途方に暮れて、本部長の傍に控える上官を見た。黒獅子と呼ばれる彼は厳しい顔で首を縦に振る。

「ルオレ閣下……」

 最後の頼みの綱が切れた。諦めて胸元の金具をいじり、大尉の階級章を外す。いくつもの戦功を認められて与えられた己の誇りは、どこかの部屋と持って行かれてしまうのだろう。呆然とする彼の後ろに別の事務官が回り込み、両手首に拘束具を着けた。

「連れて行け」

 無情な一言とともに、イーケンは部屋から連れ出された。


 連れて行かれたのは本部の地下牢であった。湿った空気で満たされた薄暗い地下牢は軍法会議で処分が決まった人間を監視するための場所だ。

「監獄に移送するのは三日後です。逃げようと思わない方が身のためですよ」

 見張りの兵をまとめる准尉がそう言い、イーケンは手の拘束具を外される。代わりに今度は足を戒められた。深く深く息を吐き、イーケンは薄青と焦げ茶の混ざった瞳を伏せる。

(どうしてこんなことに……)

 今留め置かれているのは簡易的な場所だ。収監される予定の監獄は王国の東の果て。赤い岩と砂しかない、荒地の片隅の監獄になる。そこに移送される前に階級降格の処分を受けることになるだろう。海の男が荒地の監獄に収監だなんて趣味の良い冗談だと自嘲気味に笑い、イーケンは独房の暗い床を見つめた。出頭を命じられたときには身を貫いた屈辱も怒りも今は消え失せ、ただうなだれる。

 彼の前に正体不明の救いが現れたのは、それから二日後のことだった。

「待て! どこへ行く!」

 見張り番が何者かを引き止める声が聞こえ、それに応じた声が鼓膜を打つ。

「天竜部隊長の名のもとに、イーケン・トランシアルの釈放を求める」

 思わず顔を上げ、鉄格子の間から声の方を見た。相手の姿は見えない。しかし、声の高さから女であることだけが分かった。

「天竜部隊長の命令は、女王陛下のお許しのもとに発せられる。我らの命令に逆らうことは畏れ多くも陛下に逆らうことと同義。天竜旗を掲げる身として許される振る舞いではないでしょう」

「こちらは本部長の命令で監視下に置いているのだ! それに天竜乗りなんて噂でしか聞いたことがない! そんな貴様がなぜ海軍の我々に命令する権限がある!」

「ではこれを。その本部長とやらからの、あなたがたに対する命令書です」

 紙を押しつけてから、人影がツカツカとイーケンの独房の方へと近づいて来た。イーケンは思わず立ち上がって人影を見る。

「あなたが海軍本部第三艦隊海兵隊所属のイーケン・トランシアル大尉ですね?」

 低い声を発した相手は、想像よりも背が高かった。長身の部類に入るイーケンと目線を楽に交わせる。

「あ、ああ……」

「少し離れてください」

 人影は真夏だと言うのに薄い外套を羽織っていた。その下から鋭い刃物を取り出し、一息に振り下ろす。軽い音をさせて錠前が壊れた。壊れた錠前を捨て置き、人影は格子戸を開く。

「あなたは晴れて自由の身です」

 外套の頭巾が取り払われ、その下から見事な銀髪がこぼれた。イーケンを捉える目は黄昏の色。銀髪はイーケンの表情を伺うような目の色を見せる。

「ただし、こちらに協力してくださると約束するのが前提ですが……」

 わずかにためらったが、これにすがらねば荒れ地の監獄行きだ。将校としての誇りと経歴に傷をつけられるどころか十年間を棒に振ることになる。海軍将校としての将来に期待してくれた親族の墓前にはもう二度と立てないだろう。

「ここから出られるなら何でもする」

 その即答に銀髪はニヤリと笑ってイーケンを屋外へと導いた。


 数日ぶりに日の下に連れ出されたイーケンは、あまりの太陽のまばゆさに思わず立ち止まる。目の色素が薄いおかげでしばらく太陽を浴びないと目が眩みそうになることをすっかり忘れていた。立ち止まったイーケンの方を見た銀髪は問いかける。

「もしかして北方の血を引いてらっしゃるのでは?」

「よく分かったな」

 イーケンの目には色が二つある。外側の薄青の部分が内側の茶色の部分を囲っているのだ。幼い頃はそんな自身の目を嫌っていたが、今は気にしていない。銀髪は至って冷静な顔で淡々と答える。

「太陽に見初められたこの国で、そんな薄い色の目を持つ人のほうが珍しい。一目見れば分かります」

 相手はそう続け、次いで何かをイーケンに手渡そうとする。

「どうぞ。大事なものでしょう」

 そこにあったのは丁寧に白い布に包まれた大尉の階級章。そして、愛用している片刃の刀であった。礼を言ってから慈しむように階級章を手に取り、胸元の金具に装着する。海軍本部の正門が視界の端に写り込んでいるのを見ながら腰の剣帯に金具を取りつけ、刀を帯びる。やっと普段の重みが戻ったところでイーケンは目の前の相手を睨みつけた。

「監獄行きを免れたことに関しては感謝している。が、貴様は何者だ」

 誰何する声音は警戒心を含み、口調も高圧的になる。名乗れ、と言うと、薄い唇が声を紡いだ。

「天竜乗りが一人、アルンと申します」

「俺を連れ出した目的は何だ? 俺の罪状はどうなった?」

「私は女王陛下並びに部隊長の命を受け、あなたの身柄を引き取るためにここへ来たとしか今は言えませんが、罪状に関しては白紙に戻されています。申し訳ありませんが王宮に着くまで事情は話せません」

「そういう命令なのか?」

「いえ、私個人の判断です。しかし事情が事情ですのでここでは……」

 何でもすると言ったのを撤回するつもりはないものの、何やら面倒ごとに巻き込まれたことだけは想像がつく。小さく息を吐いたイーケンを横目に彼女はこの街の最北端を示す。そこにはしみるような青空に白亜の城が悠然とそびえていた。

「王宮へ向かいましょう。女王陛下がお待ちです」

 蒼穹に、外套が翻った。

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