一章三話
女王が退出するとアルンはイーケンを連れて部屋を出た。どうやらまた違うところまで連れて行かれるらしく、アルンは来た方向とは真反対に向かっている。
「天竜乗り」
「何でしょうか」
「今度は何をするんだ?」
「着いて来てください」
その返事に小さくため息をつく。せめて説明してくれ、と思いながらも黒い軍靴は白い床を踏みしめた。
イーケンは迷いなく歩くアルンの背中を追って、今まで入ったこともない王宮の深部に足を踏み入れる。白い壁、白い床、白い柱と何もかもが白で作られている。そのあたりを歩いている侍女の服も白い。いっそ気味が悪いほどだ。何となく居心地の悪いイーケンにアルンが歩きながら声をかける。
「これから地下道に残っていたものを全てお見せします。普通なら部外者は入れられないんですが、今回は構わぬとの許しを上官からいただきました」
「お前にも上官がいるのか」
「我ら天竜乗りは組織ですから頂点にいる者の指示に従って行動します」
雑音一つない静謐な王宮に、乾いた風が吹き込む。そこでふと後宮の方へと向かっているかもしれぬ、と悟ったイーケンは慌ててアルンに声をかけた。
「これより奥はまずいんじゃないか?」
「まずい? 何がです?」
年若い天竜乗りは、イーケンの心配を意にかけず突き進んでいく。
「王宮の奥は王族の住むところだろう? まさかとは思うがそこを抜けるつもりか?」
「そんなことしませんよ」
そう言い、アルンはとある部屋に入った。がらんとしたその部屋の奥の壁の窪みに手をかける。反対側に向かって扉が開き、その向こうにはまた別の通路があった。
「王宮のそこかしこにこういった出入り口があります。我らはそれを全て把握していて、こうして日常的に使っているんです」
「俺にこんなところを通らせていいのか?」
「複雑な道のりですから覚えられないと思いますよ」
平然と言ってのけた彼女は、イーケンの前を黙々と歩く。薄暗く曲がり角の多い通路の中でもその背は縦に長いばかりだと分かる。しかし歩き方を見ればよく鍛えられた人間であることは一目瞭然であった。やがて日の下に出ると目の前には芝生の中庭と象牙色の平屋の建物が広がっていた。芝生には数人の子ども達と大人がいて、武器を見せながら何か話している。他にも大人がいるが、いずれもずいぶん若く見える。加えて、皆奇妙なほど顔が似ている。髪や目の色もよく似ていた。
(年寄りはいないのか?)
そう思っていたイーケンをアルンはとある部屋に招き入れる。それから彼女は自分の外套を脱ぎ捨てた。部屋の中は物が少ない。イーケンは一瞬空き部屋かと思ったが、視界の端の簡素な寝台と箪笥、使用の痕跡の見られる書き物机を見て考えを改める。すると外套を畳んだアルンが部屋の隅の箱から布の包みを取り出した。
「こちらが、あの日地下道と地下道に通じていた部屋に残されていたものです。さすがに身分をすぐに特定出来るようなものはありませんでしたが、十分な手がかりにはなるでしょう」
机の上に広げられた布の上に、筆や装身具が置かれていく。
「これは?」
イーケンが手に取ったのは耳飾りだ。ガラス製の飾りには独特な紋様が描かれている。
「部屋に残っていました」
「おかしいぞ、天竜乗り」
眉を寄せ、イーケンはうなった。
「あの場には男しかいなかった。だがこれは女物だ。装飾の仕様が男物ではない。しかもそんな場に女を連れて来られるのか? 真夜中だったはずだ」
「あの場に女が複数人いたことは分かっています。場所が場所ですから女連れがいても目立ちません」
「場所?」
「本当に知らないんですか?」
アルンの呆れたような一言にイーケンは首をかしげる。
「ただの地下道と繋がっている部屋だろう?」
「川沿い一帯は娼館街でしょう、大尉」
「あ、ああ」
「娼館街の地下にはまた別の娼館があるんです」
イーケンは驚いて動きを止める。全く知らなかった情報に戸惑っているとアルンはさらに付け足した。
「地下花街と言われていて、地上のまともな店じゃ出来ないことが出来ます。それこそ黒い噂は掘ればいくらでも出て来ますよ。だから娼婦の格好でもさせておけば一切問題無く連れ回せますし、目立ちません」
フラッゼでは未婚、既婚、身分、職業を問わず婦女の夜間外出は良いものとは思われない。娼婦や遊姫が夜間外出する際も身の安全を考慮してという言い訳のもとで、少年のような服装をする。だが子どもも夜間に出歩くことは少ないので、夜に少年を見かけたらそれは大方娼婦か遊姫の類だ。
「恐らくあの場にいた女達は高い身分のはず。娼婦の格好をしているのに女物の耳飾りを手放せないあたりがそれらしい」
「この耳飾りは交易品じゃないか? さらに絞れるぞ」
交易品は軒並み高くつく。買える人間も売っている店も自然と限られてくるため、特定も可能となる。
「一人捕まえられれば後は芋づる式です。とりあえず女の方から捕まえましょう」
「他には?」
「紙が数枚。こちらも特定は比較的容易です」
手渡された紙は信じられないほど上質な手触りで、見た目も普通の紙とは違う。つるつるした白い紙をイーケンが眺めているとアルンが話し出した。
「この紙は汰羽羅産と思われます。フラッゼや牙月ではこのような紙は作れません」
汰羽羅で作られる紙は質が良いことで有名だ。職人の手仕事で丁寧に仕上げられたそれらは船に乗って牙月へ行き、牙月の商人を通じてフラッゼへやって来る。王都の商いを管轄する商人組合に紙は渡され、さらに下の商人へと渡されて行く。
「仮定ですが、もしかしたらこの紙が内通者への報酬なのかもしれません。フラッゼで売ればかなりの額になるでしょう」
「だがそれも商人組合の目を掻い潜らねばならん。つまり行き先は闇市か」
「とりあえず、耳飾りを始めとした装飾品を中心に商人を当たります。こちらの方が特定が簡単ですから」
それに頷くと、アルンはハッとした表情になってイーケンをじっと見つめる。次の瞬間には部屋から出て行った。どうしたものかとイーケンが戸惑っている間に戻って来て、イーケンに手に持っていた着替え一式を押しつける。
「調べに行く前に、まず大尉は着替えてください。軍服では街中で目立ってしまう。刀はこちらに」
さらに細長い袋を渡された。紐がついていて背負えるようになっている。アルンを見ると仕草で早く着替ろと言われている。イーケンは諦めて軍服の黒い上着を脱いだ。
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