Tarantella
ひとりきり、漆黒の闇に包まれる部屋の中で女は踊っていた。
細い月明かりは、窓から微かに差し込む程度で、女を照らすほどではなかった。
暗がりの部屋の中、妖しく響くピアノの音。
流れるように速い旋律は時に酔いしれるほどに、時に不協和音にさえ感じ取れる。
――グリンカのタランテラ。
いくつかあるタランテラの中でも、一番私が好きなもの。
一番……、思い出が残っている曲。
懐かしいような、切ないような。複雑な感情が胸に満ちていく。
それを振り払うかのように、乃亜は舞い踊る。
この部屋は、いつもダンスの練習をしている部屋には邪魔なものなどない。
プレイヤーから流れ続けるタランテラ。
それの中では珍しい、四分の二拍子。旋律に合わせて体を動かすのは心地いい。
そう、私はダンスが好きだもの。
夢中になって踊ることはとても楽しいし、リラックスできる。
それなのに……どうしてこんなに気分がもやもやとしているのかしら。
この曲を一人ではなく二人で踊っていたときのことを思い出してしまうから?
本来、タランテラはペアで踊る場合が多い。基本的には男女のペアで。
乃亜も以前は二人で踊っていた。今は、いい相手がいないだけ。
そう。もう、あの人はいないの。だから、私は一人で踊るのよ。
言い聞かせるように、体を旋律に乗せて踊る。
でも……心は体を離れて、いつかの思い出へと向かう。
愛しい人と踊っていた頃に。
乃亜がその男と出会ったのは、ダンスパーティーの時のことだった。
誰と組もうかとペアを探してるときに誘われたから。
どこかの社長だとかお金持ちとかいう人ではなかったけれど、包容力のある魅力的な男性だった。
久しく男性と付き合っていなかった乃亜にとって、一目惚れするのはあっという間だった。
その人には奥さんがいたのだけれど、なんら問題はなかった。
パーティーでなくとも、一緒に踊ったりもした。
身体を揺らして、足を絡めて。彼の前でドレスを脱いだことは数え切れないくらい。
乃亜は深く深く、彼へと溺れていった。彼もまた同じなのかはわからないけれど。
彼はいくつも甘い言葉を囁いてくれた。何度も、何度も繰り返し。
それがたとえ――期限付きの恋だったとしても。
ひと時の夢でも見られるのならば、それでいいと乃亜は思う。
いくつかの季節が巡って。
乃亜と男は別れた。お互いに、愛が消えてしまったわけではなかった。
けれど、そう長くは続かぬ関係だろうということは、あらかじめわかっていた。
二人とも、納得して別れたのだ。
終わりが来るとわかっていればいるほどに、男への想いは募っていく。
初めから何も知らないほうがよかったのかもしれないと今は思う。
別れてから乃亜は以前よりも、タランテラを踊るようになった。
過去の男を忘れるために、想いを断ち切りたいがために。楽しく踊っているつもりなのに……
軽やかに動いているかのように見える足には、目には見えぬ妄念が絡み付いて離れない。
閉じた瞼の裏には、今も鮮やかに残る、色褪せることのない微笑み。
振り払うように首を激しく振りながら、乃亜は踊り続ける。
蜘蛛に咬まれた毒を抜く為に踊り狂うタランテラ。
何度も何度も踊っているのに……いつまでたっても、毒は残ったままで。
苦しくて切なくて……疲れ果てているのに、踊りをやめられない馬鹿な私。
きっと私は、タランテラに魅せられたまま。
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