官能的な食卓

かみゅG

ゆでたまご

 もっとも性的な欲求が高まる時間帯はいつかと問われたら、独り身の私としては土曜日の朝だと答える。

 平日に溜まった体の疲れを目覚ましをかけない睡眠が癒し、明日も休みだという心の余裕が普段は意識しない欲求を気付かせる。


「……ふぅ……」


 しかし、自らの指先、あるいは、ベッドの下に隠しているものを使うような欲求かと訊かれれば、それについては否定する。緩やかな波打ち際のように、無邪気に足を踏み出せば気持ちよいことは知っているが、理性ある大人として朝からそれをすることは躊躇われる。そんな、心地よいが悩ましい欲求だ。だから、私は思春期の少年少女のように、その欲求を昇華させる。体の外からではなく、体の内から欲を満たす。具体的には、食欲を満たす。


「……お腹すいた……」


 もっとも官能的な食べ物は何かと問われたら、それに回答することは難しいが、候補を上げることはできる。


「……ゆでたまご、食べたい」


 生命の源であるという一点だけで、卵が尊い存在であることは間違いない。しかし、それだけではなく、卵は子宮に相当する性器としての役割を持っている。もし人間がそこをさらけ出していたとしたら、社会的に排斥される対象となってしまう秘すべき部位である。だが、そうならないのは、卵型としか形容しようがない唯一無二の神秘的な姿が理由であろう。

 真球とは異なる歪んだ球体。しかし、その形状は雫が落ちる瞬間を切り取ったかのような奇跡的な美しさを孕んでいる。あるいは、生命を育む乳を蓄えた張りのある乳房のようだと喩えることもできるだろうか。艶めかしく、それでいて、欲望の捌け口とすることは躊躇われる。それが、卵という存在だ。


 カチッ……ボッ……


 そんな卵に熱を加えて、未来の可能性を限定してしまうという行為は、ひどく罪深く背徳的だ。蝶よ花よと大切に育てられた無垢な娘に、燃えるような性の悦びを教えることに似ている。

 白や赤の殻を纏った色鮮やかな姿のまま、熱い産湯に浸すように、そっと沈める。最初は自らを護る殻で抵抗するが、じわりじわりと熱に侵されていき、やがて耐え切れなくなる。すると、ひび割れた隙間から垣間見えるのは、膜に包まれた粘りつくような本性だ。それが、ゆっくりと自分好みに変わっていく様子を見守る。透明だった中身に、どろりとした白濁が混ざり始め、白く染め上げられていく。そこに手を差し伸べて掬い上げる。


 コン……コン……カシュッ


 触れなくても、想像することは容易だ。優しく包まれる赤ん坊の肌と、優しく包み込む母の肌。それらが触れ合うような滑らかで吸い付くような表面は、触れれば裂けてしまいそうで、だが触れずにはいられない。しかし、そこに至るためには繊細な指使いが要求される。


 ペリ……ペリ……


 乙女に体を開かせるように、硬い殻を剥ぎ、薄い膜を破る。ときに慎重に、ときに大胆に、傷つけないように、新たな姿に生まれ変わらせる。もし失敗しても、致命的というわけではない。ただし、取り返しはつかない。だから、幼子が愛撫をするように、少しずつ少しずつ殻と膜を捨てさせる。そして、新たな姿を受け入れさせる。

 全身が姿を現したなら、後は望むままだ。真っ白な肌は、拒絶するように隙が無く見えて、しかし全てを受け入れる。それを自分好みに味付けすることができる。無難で淡白な味付けも、深く嵌まる濃い味付けも、望むままだ。その場で食べてもよいし、じっくり味を染み込ませてから食べてもよい。だが、この時間帯の私の食べ方は決まっている。


「いただきます……」


 火照った肌のように生暖かい表面に、同じく火照っている私の唇を、吸いつくように触れさせる。そして、自分以外の何者も触れていない肌に舌先を這わせ、咥内の粘膜を密着させて味わう。粘膜と粘膜を擦り合わせるようにしながら、ゆっくりと咀嚼していく。すると内側に隠れていたキミが姿を現すが、今さら止まることはない。新たな発見に悦びを感じながら、味わい続ける。そして、最後には全てを飲み込んで、ひとつとなる。


「……ごちそうさま」


 睡眠欲と食欲が満たされれば、次は別の欲がふくらみ始める。洗い物をしながら火照る体を冷ますように、蛇口から流れる水に手をさらす。土曜日の朝なので時間に余裕はある。この後の私の予定は、洗い物が終わるまでに火照りが収まるかどうかで決まる。

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