第4話  二年生だった頃の思い出。

「あっ!」

 小さな影はポーチを駆け抜け、コロコロと音を残し向かいの家から更に其の裏を抜け、直ぐに見えなく為った、聞こえていた鈴の音も小さく、小さくなって消えて仕舞った。


「あのバカ猫!」

 直ぐに追ったが、直ぐに追えなくなっていた、向かいの家は共働き、門にも鍵が掛かって開かない、通りを大回りしてその裏の家に声を掛けたが其処そこには居なかった。


 お礼を言い、きびすを返し宛も無かったのに駆け出して居た。

 闇雲やみくもに町を駆けて居た、あの小さな影の主を探して…。


 いつの間にか、既に影も無くなる時間になって、一旦帰って居なくなった事を伝えた。

 また駆け出して居た、悲しくなって居た今更ながら。

 呼び掛けたいのに、呼んで上げたいのになついて呉れ無くて、名前も付けて上げて無かった。

 其の事を後悔してた、もしかしたら、いや名前を呼んで上げれば戻って呉れるんだと。


 もう何れ位駆け回ったのか判らない、月明かりの中だった、あの小さな仔猫を探し続け、駆ける事すらできず、宛も無く歩き続けて居た。

「名前さえ付けて上げてれば…、大声で呼んで上げるのに…。」


 此の時の後悔は一生忘れられない事に為るとは、未だ知る由もなかった。


 ギーともミーとも吐かない声がした、何も考えて無かった、考えたく無かった。

 声が聞こえた方に駆け出して居た。


 其処には激しく場違いなコロコロと鳴り止まない音と、興奮して激しい犬の息遣いの音と鳴り止まぬ鈴の音と…。

 消え入りそうな小さな息遣いだけが響いて居た。


 多分此の時生まれて初めて、猛烈な殺意を抱いたんだ…。


 酷く、冷徹、そして冷静に判断した、頭部を狙えば確実だが、あのチビにもダメージが及ぶ。

 なら背骨か?、重さの有る物で降り下ろし砕いて仕舞おう。

 断末魔の叫びを上げ口も開く筈、チビも解放される筈だ。


 見渡し手近な所に、重量ブロックが…、使って呉と言わんばかりに…。

 お父さんの車のタイヤ止めに使っていた物と同じ。

 あの時はこんなに重いんだ、普通のブロックとは違うんだ。

 少し浮かす位にしか出来なかった。


「あれなら殺れる。」

 頭の上迄持ち上げ、一気に其の背骨に降り下ろした。


 獲物をいたぶる興奮で、多分其の瞬間迄俺に気付く事は無かっただろう。

 グシャともバキとも付かない音がした。


 一際大きな叫びを上げて逃げて行った、動かぬ後ろ足を引き摺り前肢だけで…。


 消え入りそうな、小さな命を手に収め駆け出して居た。

 此の小さな命を繋いで呉れたあの病院を目指して…。


 遠い、果てしなく遠い道程に感じて居た、此の脚は何でもっと速く駆けられないのか?…。


「先生助けて!」

 叫びを上げて居た、解って居た、助かる見込みが無い事は。

 でも一縷の望みに賭けた。


「先生助けて上げて!」

 とまた叫んで居た、左の後ろ足を砕かれ、内臓迄届き開いた腹の牙の跡。

 でも小さな心臓は未だ鼓動している。


「もう、無理だよ。」

 首を振った、続いた言葉が有った。

「君が大好きなんだね、最後迄見届けて上げられるかい?」

 意味は解らなかった、解りたくなかった、でも大きく頷いた。


「少しだけ預かるよ?」

 手渡した、あの小さな仔猫で間違いなかった、でも信じたく無かった。

 小さな、小さな声で<グルグルニャン>と此方を見て鳴いて呉れた…。


 どれ位経ったのだろう、お母さんとお姉ちゃんが居る、此処に居ると連結は入れた。


 直に運ばれて来た、今思えば裂けた腹を縫合して、砕かれた左の後ろ足を切除し、痛みを押さえる麻酔を投与し、最後迄苦しまないようにして呉れたんだと思う…。


「ありがとうございました。」

 そう言って頭を下げて居た、先生に言われた言葉が頭の中で繰り返されて居た。

「見てご覧じっと君を見ているから、お別れは辛いけど、傍に居てあげて。」


 多分此の仔は朝日は見れないんだな…、幼い俺にも解って居た…。

 其の可愛い顔を見て居た、顔には傷一つ無かった。

 何かを必死に探してる、前足が宙を舞い続ける。

 思わず抱き上げて仕舞った…。


「何してるの!」

 お姉ちゃんに怒られたが、必死に動かす前足が俺の服を引っ張る。

 吊られるように抱き寄せた、するともがくのを止めた。


「ぐるぐるにゃん!」と小さな声を上げ大人しくなった。

「悔しいな、やっぱりあんたが好きなんだって。」

 あのお姉ちゃんが泣いて居た。


「見てて上げてね、離さないで抱いてて上げてね…。」

「判った。」

 そう答えるので精一杯だった。




「このお兄ちゃんのにおい大好き、ずっとこのままがいいな。」

「でもさっき、なんか大きいのに食べられそうになった気がする。」

「そうだ、お兄ちゃんに助けてって言ってたんだ。」

「そうか確かお兄ちゃんが来てくれたんだ。」

「あれ?、何でお兄ちゃんもお姉ちゃんも泣いてるの?」


「いた~い、あれ?あんよが無いよ?、お腹もいたいよ?」

「なんかすごくねむいの、何かもうお兄ちゃんに会えない気がする。」

「ダメなのかな?、いっぱい悪い子したからかな。」

「お兄ちゃんにいっぱい怒られたもんな。」

あそぶ時は、良い子になるね。」


「お兄ちゃん、もうすんごくねむいの。」

「お兄ちゃん、おきてられ無いよ。」

「また、あそんでね!、おにいちゃん。」

「お兄ちゃん、お休み。」



「ウォニャニャン、ミー。」

 小さなビー玉みたいな綺麗な眼の、その細い瞳孔が段々丸~く為って行く。

 必死に引っ張っていた前足からも、引く力が無く為って居た。

 お腹の膨らむ動きも停まっていた。

「お姉ちゃん…。」

「良かったね、もう痛く無い処に行ったんだよ。」

 そう言いって呉れた顔には、大粒の雫が伝って居た。


「最後の最後に、ミーって普通の猫みたいに鳴いてたね?」

「でも最後に何言いたかったんだろう、お姉ちゃん?」

「多分ね、って言ったんだよ?」

「また逢えるかな?」

「良い子にして、勉強ちゃんとしたら逢えるよきっと…。」


 風が肌寒く為った頃、二年生だった頃の思い出の一日の事だった。

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