1-2 過去と未来の交差点で


「あなたは、それで良かったの?」

「何がですかー?」

 学校を後にした二人は、成り行きで帰路を共にしていた。

 校門を抜けてすぐに、雪村響子はシリアスな雰囲気を漂わせながら、国富に問いかけた。

 しかし、国富飛鳥はそれをするりと躱すように、陽気な態度を崩さなかった。


 雪村響子が下校時に誰かと一緒になるのは、小学生以来の出来事だった。彼女は一人でいるのが好きだった。喧騒を嫌い、静寂を好んだ。

 彼女は周りよりもあまりに大人びていた。保育園の年長の時にはもう、平仮名やカタカタを読み書きできていたし、小学校低学年で習うような漢字も読めていた。小学生の間は、テストで95点以上しか取ったことがない。中学時代は三年間学年で成績トップであり続けた。発育も周囲よりいち早く、背の順は常に後ろの方にいて体育の成績も一番であることが多かった。

 それは精神面においても同じで、幼少期の頃から聞き分けよく、両親に迷惑を掛けたことは滅多になかった。その年齢にしては異常なほど落ち着いていて、感情を昂らせることはなかった。趣味嗜好が同世代の仲間とは乖離し、二歩三歩後ろから周りの様子を窺い、自分だけが特異であることを理解しているほど達観していた。


「周藤くんのこと――」

「いいんですか? って、それは響子先輩が独り占めしたかったなぁってことですか?」

 飛鳥は響子を茶化すように言った。

 自分らしくないと思いつつも、嫌味を含んだ物言いになってしまい、マズったと心で思う。


「私は、そんなつもりじゃ」

「すみません、今のは冗談です。あははー」

 苦笑いをしてみるも、ばつが悪い飛鳥は丁度踏み出す足の前に転がっていた石ころを蹴った。


「本当はあなたの方が彼を求めているはずでしょ? それを知ってて私は――」

 足を停めて、響子は飛鳥に面と向かった。

「求めてるだなんて、そんなガチみたいなことあるわけないじゃないですかー。それってむしろ響子先輩の方ですよね」

「飛鳥――」

「だから、いいんですって」

 響子がしつこく食い下がることに対して、飛鳥は思わず声が大きくなってしまう。

「私は後悔しないように生きるって決めたんで」

 柔らかな笑顔を無理やり作っている、そんな表情を見せられれば、響子には飛鳥がつよがりを言っているのが嫌でも分かった。


 二人が出会ったのは一週間前のこと。

 放課後、雪村響子は図書委員として貸出カウンターを担当していた。

 新学期が始まったばかりで忙しない学校内、図書室を利用するのは受験生である3年生くらいだ。

 ペンがノートを走る音。本のページを捲る音。分からないところを教え合う小さな声。

 静寂に包まれた空間。それは響子のお気に入りの場所だ。

 カウンターの仕事は貸出の対応をしていない間は読書ができ、響子は積極的に委員会の仕事に取り組み、司書の先生からの評価も高く、仲が良かった。


「響子先輩♪」

「どちら様ですか?」

 まるで親しい間柄であるかのように国富飛鳥は声を掛けてきた。

 図書室にそぐわないテンションと声量。同級生ですら下の名前で呼ぶ生徒はいないのに、ついこの前入学したばかりの一年生に知人などいるわけがない。響子は目の前に立つ初対面の人物に嫌悪の眼差しを向けた。


「私、飛鳥って言うんですけど」

「声」

「え?」

「声。ここ図書館、うるさい」

「あ。すみません」

 読んでいた小説がいいところだったことも加味して、響子は飛鳥との会話をできるだけ手短に済ませたいと考え、いつになく塩対応だった。

 住む世界が違う、関わりたくない。

 最初に抱いた感情はそれだった。


「用があるなら早く終わらせて」

 利用者が少ないため、カウンターにやってくる生徒がほとんどいない。けれど、既に周囲からの視線が痛いくらいに注がれていることに響子は気付いていた。

「じゃあ、先輩が帰るまでここにいますね」

「話聞いてた?」

 やっと相応しい声量になったものの飛鳥と名乗る一年生の返答に、響子は顔を歪ませる。

「ゆっくりお話したいので、私待ってますから」

 屈託のない笑みを浮かべた飛鳥は蔵書が並ぶ図書室の奥へと歩みを進めた。

「私はゆっくりも何も、あなたみたいな人と話をしたくないんだけど」

 遠ざかる飛鳥の背中に向けて響子は呟いた。

 すると、その独り言が耳に届いてしまったのか、飛鳥は振り返り戻って来た。

「私、響子先輩とは仲良くなれそうな気がします」

 またもニコッとした笑みを浮かべて嬉し気に、飛鳥は突拍子もないことを言った。

 あまり使いたくはない言葉だけれど、彼女みたいに自然と笑顔を作れる人を本当に陽キャとでも言うのかしら。

 わざわざそんなことを言いに戻って来たのかと思ってしまうけれど、彼女の作る笑みには、不思議と嫌味を感じないことに響子は気が付いた。


「今の所、私は全くそうは思わないんだけど」

「いいえ、本当です。そういう未来が見えましたから」

 また笑った。

 ただ、その笑みにだけ、響子は含みを感じていた。


 未来が見えたというのは、本当に未来が見えたわけではなく、推定でものを言っているだけだというのは、誰にでも分かる。

 目的を持って自分に接触してきたのだから、やたらめったら発言をしているわけでもないのかもしれない。自分が憶えていないだけで、どこかで出会っているのか、認知していないだけで、どこかしらで縁や繋がりのある人物の可能性もあり得る気がしてきた。

 しかし、それらの観測が間違いであることを響子は望んだ。


「平行線ね。あなたと私は交わらない」

「あんまりそっけないと、周藤せんぱいに嫌われますよー」

「――。あなた、何を」 


 響子は戦慄した。

 心の奥を覗かれたような寒気で鳥肌が一気にブワっと立った。

 

「どうしたの?」

 騒がしさを聞きつけたのか、カウンター奥の部屋から司書の先生が顔を出して来た。開いた口が塞がらなくなっていた、響子はすぐに振り返った。

「すみません、何でもありません」

「そう? もしお友達と用事があるなら、今日はもうあがってくれてもいいのよ?」

 司書の先生ば二人を注意するわけではなく、あくまで事態を治めるために声を掛けてくれたらしく、それを分かっている響子は申し訳なさを感じた。

「じゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」

 これ以上迷惑を掛けるわけにはいかない。

 それに。これ以上は自分の身が持たない。

 あれだけ意味深なことを言われてしまっては、響子も平常心を保っていられない。大好きな読書も集中が続かないとなれば、読んでいる意味もない。

 先生の提案は渡りに船だった。


「そうと決まれば、どこかに行きましょうか。響子先輩」

「あなたのせいで、私は図書室を追い出されたってこと、分かってる?」

「分かってますって、それじゃあカラオケでも行きましょうよ」

「いや、絶対に分かってないよね」

「え? 分かってますよ。誰にも聞かれたくない話をするには、カラオケっていいんですよ」

「誰にも聞かれたくない。確かに、それはそう」


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