1-1 風は桜を舞い上げて ④
我がクラス、2年4組の教室へ行き、引き戸に手を掛ける。締まっていると思っていた戸が軽いことに気付く。
中に誰かいるということは、雪村響子が俺を待っているということだ。
俺は深呼吸をして、小さく「よし」と声を出して自分を鼓舞する。
「おっす」
教室に一歩踏み出して気さくさを装って、軽く手を挙げてみせる。
雪村は自身の座席に座り、頬杖を付き窓の方を眺めていた。
陽が沈み始めた教室は、その佇まいが、様になっていて少し見惚れてしまった。
俺の声が小さすぎたのか、呼びかけに気付いていないらしく、俺は雪村の方へと近づいた。
「あ」
足音に気付いて振り向いた雪村と、目と目が合う。
「ど、どうも」
気さくに登場して緊張感を打破しようと考えていたのに、その思惑が通用せず挙動不審になってしまう。
「待たせてしまったみたいで、ごめん」
「いいの、呼び出したのは私の方」
すっと席を立ち、雪村は俺の方を向いた。
一番見慣れている同級生の女子が身長の低い佐伯のせいか、雪村はすらっとして背が高く見える。実際、女子の中では背が高い方なのかもしれない。
「私、あなたに伝えなくちゃならないことがあるの」
俺と雪村以外に誰もいない静寂に満ちた空間で、彼女の声は上質な絹糸のような繊細さを保ったまま俺の鼓膜を揺らした。
「そ、そうなんだ」
映画やドラマでしか見たことのないシチュエーションに鼓動が早まっているのが、自分でも分かった。
ほ、本当にこんなことがあっていいのだろうか。
決めつけるにはまだ早い。雰囲気に騙されるな。
抑えきれない期待感を諫める言葉を自分に言い聞かせたところで、鼓動は落ち着きを取り戻すどころか、早まるばかりだ。
雪村響子と机を隔てて相対する。
お互いに手を伸ばせば触れられる距離にいる。
普段、授業を受けている時だって同じくらいの距離感だが、周りに誰もいない状況では、過敏に互いを意識せざるを得ない。
初めての感覚に俺は耐えられず、真っ直ぐに雪村の顔を見ることができずにいた。
「周藤くん、あなたのことを思うと夜も眠れないの。あなたのことをもっとよく知りたい。だから、私と付き合って下さい」
「――え。マジ?」
生まれて初めて、コクられてしまった。
こんな出来事、生涯最初で最後かもしれない。
それくらいには俺にとって縁遠い出来事だと思っていた。
まさかとは思っていた。そのまさかの方だったことなんて今までなかった。
現実が現実感を帯びていない。そんなのは俺の知っている現実じゃない。だからこそ、口をついて出た言葉はソレだった。
「ちょっと待ってください」
俺と雪村しかいないはずの教室内に、第三者の声が響いた。
身体の反射反応ですぐさま声のする方へ振り向くと、どこかで見たことがあるような女子生徒が立っていた。
「先輩! 迷っているなら、私と付き合いませんか? きっと楽しいですよ!」
目と鼻の先まで近づいて来て、その少女は言った。
微かな見覚えから記憶を辿り、彼女が新入生代表の挨拶をしていた国富飛鳥だと言うことを思い出した。
「君は新入生の、ていうか、え、今何て?」
俺の聞き間違いでなければ、彼女は――。
「だから、私と付き合いませんか? って、言ってるんですよ!」
元気ハツラツとして国富飛鳥は自信たっぷりな表情で笑った。
「冗談だろ!? 本気で言ってんのか?」
今度は、初対面の下級生に告白をされてしまった。
色々とツッコミどころがあるが、眼前で繰り広げられる未曽有の事態に、頭は冷静さを欠いてしまう。
「はい、もちろんでーす」
敬礼のポーズをとる後輩は、俺みたいな日蔭で生きる側の人間には眩しくて目を細めてしまう。
遺伝なのか人工的に染めたのか、栗毛のボブカットに、卵のように純白の肌、ナチュラルなメイクで目鼻はくっきりとし、一つ一つのパーツもさることながら、小顔であることが何より彼女の全てを際立たせている。国富飛鳥は、女優やモデルも顔負けの美少女だ。
澄まし顔をしていれば、美術館で額縁に入れられていても遜色ないような美しい容姿だが、その性格は明るく元気、周りの人間をも明るくしてしまうような底知れない魅力を持っている。それでいて入学式の時のような真面目な振舞いをこなしてしまうのだから、末恐ろしい。
「いやいや、待ってくれ。君は俺のことを知っているのか? 自分が何を言ったか分かってるのか?」
雪村を待たせてしまっている状況に焦り、思わず口調が荒くなってしまう。
「はい。2年4組、出席番号17番。写真部副部長。彼女いない歴16年の、周藤真樹先輩ですよね」
国富飛鳥はどこで調べたのか不思議なくらい詳細に俺のプロフィールを言ってのけた。
「なんで知ってんだ。というか、歳の言い方が鼻につくんだが」
「やだなぁ。ユーモアですよ。せんぱい」
年上をからかうのがそんなに楽しいかってくらいに、白い歯を見せてケラケラと無邪気に笑う国富に、俺は圧倒されて後ずさってしまう。
今のようなテンションの高さが彼女の本質であっても、入学式の時の振舞いが堂に入っていただけに、その落差に頭が追いつかない。
「飛鳥、あなた本当に来たのね」
破天荒な国富の言動に取り乱していた俺とは正反対に、雪村は落ち着いた様子で言った。
「え、二人は知り合いだったのか!?」
親しげな雰囲気ではないが、国富を下の名前で呼称する雪村に思わず驚愕する。
「そうですね、恋のライバルです」
国富は依然として、ネジの緩んだ言動をする。
その発言の是非を問わんと、雪村の方を向くと、雪村は「違うわ」と即答した。
「えー。違わないですよ」
雪村の反論に、国富は頬を膨らませた。
「はぁ。私とこの子については今はいいわ」
深めの溜め息を吐いて、雪村は俺の目を真っ直ぐ見つめてきた。
「私はあなたと、つ、付き合い、たいの」
告白を二度も行うことに、改めて恥じらいを感じてしまったのか、声を詰まらせながら雪村は言った。
赤面する雪村の姿が普段とのギャップを感じさせる。
そんなの反則だろ。こちらまでも照れ臭くなってしまう。
「えー、センパイは私と付き合うんですよ! そうですよね!?」
駄々を捏ねる幼子のような仕草をしつつ、言っていることは子供らしくない国富は、雪村とは反対に、恥ずかし気もなく大胆に迫って来た。
冗談、というにはあまりにも二人の言動は不自然な気がする。
けれど、こんな現実は俺の手には余り過ぎる。これがドラマや映画の話なら、俺はミスキャストもいいとこだ。
そうだ。映画やドラマには脚本と言うものがあり、話を進めないことにはその先の展開は始まらない。
俺が何か言葉を返さない限り、物語の真相には迫れない。
バラエティ番組だって、「ドッキリ大成功」というネタ晴らしまでが企画であり、しっかりとオチをつける必要があるのだ。
ならば。俺の答えは一択だ。
例え、そのドッキリの内容が見え透いてしまっても、仕掛けられた側は与えられた役回りを全うするものだ。
「俺には選べられない。二人とも、よろしくお願いします!」
上半身を折って、手を伸ばす。
オチが見えているなら、動きは大胆に大袈裟に。
笑われる準備はできている、というか腹を括っている。
さぁ、笑ってくれ。
女子にからかわれるくらい、男子にとってはご褒美みたいなもんだ。
「アッハハハ」
静寂を貫いて、国富飛鳥が笑った。
「はぁ。サイテー」
溜息を零して、雪村響子が低い声で罵った。
分かっていたけれど、予想の十倍以上には辛い。浮ついていた気分になっていたわけじゃないが、自分から察するのと、人にまざまざと分からされるのではワケが違う。
目尻に涙の粒が湛えているという事実に、俺は下げた顔を上げられず、伸ばした手を引っ込められずにいた。身体全体が固まって動かない。
それがどうして、次の瞬間、二つの温もりが重なって、春の日差しに雪が解けだすかのように、身体は宙に浮く心地がして、質量を取り戻した。
俺は思わず顔を上げた。
「不服だけど、付き合ってあげるわ」
「先輩、面白そうなんで、付き合ってあげますよ」
夢かと思った。
「夢みたいでしょ?」
「こんなにかわいい彼女が二人も出来て最高ですね、せんぱい。って、もしかして、嬉しくて泣いてるんですか?」
「ちょ、ちょっと、周藤くん、そんな、大袈裟よ」
「泣いてない、泣いてないから」
口ではそう言っても、俺は片手で目をこする。
流れるというほど涙は流れていない。きっと、俺は今ひどい顔をしているのだろう。二人がそう感じ取ってしまうくらいには、酷い顔をしているはずだ。
最悪だ。
こんな青春の始まりがあっていいものか。
俺からアタックしてフラれたわけでもないし、相手をフッたわけでもない。なのになんで俺がこんな惨めな思いをしているんだ。
「そうだ、写真撮りましょうよ」
「は?」
国富がスマホを取り出して、素早くカメラを起動させる。
こんな半泣き顔を撮られてたまるか。
「ほらほら、響子先輩も!」
「え? なんで、きゃっ」
国富は雪村を俺の隣に立つように、背中を半ば強引に押した。
「ちょ、お前」
「もう、いきなり、押さないでよ」
始めた触れた雪村の身体に、心臓がドクンと跳ね上がる。
「記念ですよ、記念!」
そう言って、今度は国富が反対側に立ち、身体を押しつけてくる。
「お、おい!」
たたでさえ、雪村の顔がすぐ横にある事実を受け止めきれないのに、国富までもがスマホの画面に収まるように、身体を押しつけてくる。
美少女に両側から挟まれている。
顔が熱い。眩暈すらしてきた。
「なんでこんなことに……」
雪村は、隣で嫌そうな声を漏らしつつも、逃げたりはせずに、少しだけ俺から身体を離した。
「先輩方、上向いてください」
腕を伸ばしてスマホを掲げる国富が、より一層身体を引っ付けてくる。
制服越しに伝わる女の子の柔らかさに、理性を保とうと顔を顰める。
「撮りますよ!」
シャッター音が鳴り、二人はパッと離れていった。
「うわ~、周藤せんぱい変な顔してる」
「うわ。何であなたが嫌そうな顔してるのよ。やっぱりサイテー」
「絶対に、寿命縮んだわ」
姦しい笑い声が聞こえるが、一度早くなってしまった鼓動が落ち着きを取り戻すがなく、鼓膜を支配する。俺は自分の席に腰を落とし、机に突っ伏した。
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