武者
第90話 ex.フェルシーと神子
「神子様、下がっててよ」
「フェルシー……無理しちゃ、だめ」
「それはできなそー」
口調は軽いが、フェルシーは内心、冷や汗が止まらない。
神官長ニコラスに神子様の警備を任された。上級神官としては大切な務めだが、少し退屈に思っていたところだ。
個人的にはエッセンの最後を見届けたかったし、もしかしたら彼は、自分の知らない世界を見せてくれるかもしれない。そう、少し期待していた部分もあった。
旅神教会の教義に照らし合わせれば、エッセンはグレーですらない、完全な黒だ。
それでも、フェルシーは一緒に過ごした時間の中で可能性を感じていた。
「まあ、私の中の教義がそれを許さないんだ」
そう、自虐する。
柄にもなく感傷的になってしまうのは、今から自分が死ぬからだろうか。
「――意外と耐えるものですね。なにより、火力がある」
黒装束に長い黒髪の男……武者。
それも、前回会った時とは違い、刀を使い本気で殺しに来ている。
「防御よりも攻撃が得意なんだ、ボク」
「防御特化の不自由なギフトを、よくそこまで練り上げたものです。その努力には惜しみない賛辞を送りますよ。ぜひ喰らいたい」
フェルシーが生まれたのは迷宮都市のスラム街だった。華やかな表通りとは違い、迷宮都市の闇が全て集まったような地域だ。両親が誰かもわからず、死の縁を彷徨いながらなんとか生きていた。
髪を短くし、一人称をボクと言った。スラム街でまともに生き延びた少女は一人もいなかったから。
男のフリをして、犯罪にも手を染めながら泥を啜った。
そんな彼女が十二歳になり、旅神教会を訪れるのは必然だった。財神のギフトを得たところでスラム育ちを雇う商人はいなかったし、技神も同様。豊神は、迷宮都市で仕事がない。
冒険者なら、誰にでもなれると聞いたから。
幸か不幸か、フェルシーが得た加護は“結界術師”……旅神の権能の一つをそのまま体現したようなギフトだった。
ダンジョンを構成する結界。それとほぼ同じものを、小規模ながら再現できる。旅神教会にとって、利用価値の高い能力だったのだろう。
フェルシーは即日、旅神教会によって召し上げられた。保護という名目で、実質的には拉致に近かった。身よりがいなかったことも、教会にとって都合がよかった。
彼女はスラムで生き抜けるくらいには知恵が働いたが、教会の謀略に気づかないくらいには世間知らずだった。
むしろ喜んでいたくらいだ。
教会の中では、安全に過ごせる。美味しいご飯を好きなだけ食べられる。女の子らしい格好もできる。
それは、たしかにスラムでの生活よりも格段にいいものだ。
毎日結界術の練習をして、教義を学んで、戦闘訓練をした。充実していて、楽しかった。
どこかおかしいと察した時にはもう、とっくに後戻りできなくなっていた。
ある日、結界術をみんなに見せるように言われた。旅神の祝福だと言って、寄付金を集めるためだった。
ある日、魔物は悪だと学んだ。旅神の敵はみんな殺していいんだと、頭から離れなくなるくらい繰り返された。
ある日、死刑囚だという人と戦った。殺すまで、終わらせてもらえなかった。
辛うじて彼女が幸せだと言えるとしたら、不幸だと気づけないくらい、既に洗脳されていた点だろうか。
「魔物は絶対悪だよ。魔神教会は、みんな処刑しないと」
うわ言のように繰り返す。
目の前の男は、魔神教会の幹部だ。フェルシーにとって、絶対に殺さなければならない相手。
「殺す」
「訂正いたします。もし結界術本来の方向で鍛えていれば、よりよい使い手となったでしょう。ひどく歪だ。能力も、人格も」
「関係ない! ボクを否定しないで! “結界弦”」
「これが人間の選択だと言うのなら、否定させていただきます。やはり魔物が地上を支配すべきだ。“剣豪”“侍”」
武者が振るった刀が、結界を切り裂く。
フェルシーは神子を庇いながら、幾重にも結界を張り巡らせて時間を稼ぐ。既に身体のあちこちに切り傷があるが、ギリギリのところで踏ん張っていた。
でも、それももう限界。
武者の刀が、フェルシーの脇腹に深々と突き刺さった。
どさり、とフェルシーが地面に倒れる。地面に血の水たまりが広がる。
「フェルシー……もう、逃げて……」
フェルシーの後ろで、神子が声を絞る。
旅神の申し子だが、彼女自身に力はない。彼女の身体を介して、旅神の力がこの世により強く降り注ぐ。それが神子という存在だ。
フェルシーやエッセンという特殊なギフト持ちが生まれたのも、神子の存在があってこそ。
しかし、神子自信は戦えないので誰かに守ってもらうしかない。
「終わりにしましょう。貴女を喰らい、神子を喰らう。それで、旅神教会は……人間は、終わりです」
「ダメ、だよ……。殺すなら、私だけ……」
地に伏せるフェルシーを庇うように、神子が前に出て両手を広げた。
神子もまた、幼いころから旅神教会で育ち、洗脳されてきた少女だ。その意味ではフェルシーと境遇が似ている。
フェルシーと違うのは、神子は心を完全に閉ざしてしまったことだった。感情を捨て、まともに話すことすらできなくなった。
今の彼女は、優しい自分を演じているに過ぎない。
どんなに辛くても笑顔で明るいフェルシーを見て、そうあらねばと思ったのだ。たとえそれが、自分ですら気づけない虚勢であっても。
だから、神子は偽善でも、優しさを表現する。
いつか本当に優しくなれると信じて。
「殊勝な心掛けです。その行動に敬意を表し、一刀で終わらせて差し上げましょう」
武者が刀を振り上げた。
神子が、ぎゅっと両目を閉じる。
あるいは、死んだほうが楽なのかもしれない。
生まれた時から旅神教会の旗印になることが定められた神子と、旅神教会に利用されたフェルシー。
二人の少女は、ここで死ぬのが運命なのだろう。
死んだあとの世の中なんて、知ったことではない。
神子はぼんやりと、そんなことを考えた。
ああ、でも。
友達というものが、欲しかった。
「喰らえ――“食人刀”」
「させねえよ。魔装――“餓狼剣”」
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