第89話 声

 突如、聖堂に乱入してきたのは、半透明の白い鳥。


 それは上空に舞い上がると、強く輝いて全員の視線を集めた。


 聞こえてきたのは、エルルさんの声だ。


『エッセンさん、聞こえてますか? 魔神教会が……!』


 エルルさんは、当然ながらそこにはいない。

 でも、白い鳥のほうから聞こえてくるのだ。


 声を届けるスキル、だろうか。


『魔神教会の目論見を聞きました。彼らの目的は、神子様です! 今日の夕刻、同時に複数の氾濫を起こし……混乱に乗じて、武者という者が神子様を害する作戦みたいです!』


 そして、エルルさんの声で届けられた情報は、神官たちをパニックに陥れた。


「神子様だと……!? 待て、今はどこに」

「誰の声だ? 信頼できるのか?」

「今日の夕刻って、もう夕刻じゃないか!」

「ともあれ、神子様の警備を固めなければ……」


 彼女の言葉が本当なら、裁判どころではない。

 複数の氾濫が起きるなんて、前代未聞の大災害だ。すぐに対応する必要がある。


「た、大変です……! たった今、あちこちから氾濫の報告が……!」


 タイミングが良いのか悪いのか、氾濫の報告が上がってきた。


 各地の神官、冒険者の両方からだ。どたばたと神官たちが動き出す中で、ニコラスだけが立ち尽くしていた。


『私とキースさんは、わけあって動けません……! でもキースさんが、エッセンさんならって。エッセンさんなら、なんとかしてくれる。私もそう信じています!』


 キースもそこにいるのか。

 なら、うかうかしてられないな。

 あいつならきっとこう言うだろう。『俺が先に倒してしまうぞ』ってな。


「おい、神官長。俺の拘束と封印を解いてくれ」


 俺の言葉に、ニコラスは少し迷う素振りを見せる。俺には答えず、ギルドマスターに視線を向けた。


「……ギルドマスター、すぐに動ける人材はいますか?」

「あいにく、氾濫を未然に防ぐために上級の連中は各ダンジョンに飛ばしているところだ。奴らが氾濫を起こすことは読めたからなぁ。間に合わなかったようだが、まあ、あいつらがいれば街は大丈夫だろ。こっちに残ってる強え奴は、ポラリスとエッセンだけだ」

「そうですか……」


 この数日で、ギルドマスターはかなり動いていてくれたらしい。


 氾濫が起きれば、近隣は甚大な被害を受ける。それを防ぐためには、それなりの実力の者を各ダンジョンに配備しないといけない。それこそ、上級冒険者の中でも上位の者たちだ。

 氾濫の防止に人員を裂いた結果、迷宮都市が手薄になっている。


 思えば、武者が氾濫をいつでも起こせると脅してきたのは、広範囲に警戒させるための布石だったのかもしれない。


「神子様は旅神の申し子であり、現人神。神子様が失われれば旅神の力は弱まり、魔神教会との戦いは厳しいものとなるでしょう。しかし、その目的は、先ほどの女性の声がなければ知ることができなかった。……そして彼女が、あなたを頼っている」

「ああ。受付嬢のエルルさんだ」

「あなたは魔神教会の仲間……そう思っているのは、私だけのようですね」


 ポラリスが、リュウカが、ギルドマスターが。

 ニコラスの目を見て、深く頷いた。


「……いいでしょう。私も盲目になったつもりはありません。神子様の安全が最優先です。“魔物の男”……いえ、【魔神殺し】エッセン。あなたの釈放を許可します。【氷姫】ポラリスと協力し、必ず、神子様をお守りするように」

「ああ、任せろ」

「神子様は上級地区の大聖堂……。【氷姫】、場所はわかりますね?」

「わかるわ」


 ニコラスによって、手ずから拘束を外される。神官にしか解除できない仕組みらしく、同時に、ギフトの力が戻ってきた。


 軽く伸びをして、身体をほぐす。大丈夫だ、今すぐにでも戦える。

 じっとしていた分、むしろ動きたくてうずうずするくらいだ。


「決まりだな」


 ギルドマスターが気だるそうに言った。


「迷宮都市の守りは気にすんな。お前らは神子ちゃんのことだけ考えればいい」


 頼もしい言葉だ。

 彼がそう言うなら、間違いないだろう。今回も、なんだかんだギルドマスターの思惑通りに進んだ気がするし。

 適当そうに見えて案外、戦略家なのかもしれない。そうじゃなきゃ、ギルドマスターになんてなってないか。


「よし、じゃあお前ら掴まれ」


 なにを思ったのか、両手で俺とポラリスの肩をそれぞれ掴んだ。


「へ?」

「ギルドマスター、なにを……?」


 思わず呆けた声が出る。

 ポラリスも困惑気味だ。


「走っていくより速いからな」


 “太古の密林”に連れていかれたことを思い出す。


 ギルドマスターのめちゃくちゃな速度によって、移動だけでボロボロになった。

 この人、移動方法の選択に身体への負荷が考慮されてないな……?


「着地は自分でなんとかしろ」

「まさか、投げ――」


 最後まで言い切ることすらできなかった。


 強く引っ張られたかと思うと、いつの間に建物の外にいた。

 そして、俺とポラリスは“超人”ギフトによって……全力で放り投げられた。


 再び、目に移る景色ががらりと変わった。

 眼下に広がるのは、迷宮都市の街並みだ。


 この街は、俺とポラリスにとって特別なものだ。

 幼いころから憧れ、二人で一緒に足を踏み入れた街。実力差から別れ、それでも互いを思って暮らし続けた街。

 そして今、二人で守ろうとしている。


 ダンジョン資源によって発展してきた迷宮都市が、魔物の危機に晒されている。

 そして、魔神教会の目的は神子様を害することだという。


 氾濫と、神子様の殺害。どちらも、見過ごすことはできない。


 だが、氾濫には既に大勢の冒険者が動員されている。

 そして神子様が狙われていることを知っているのは、エルルさんの情報を聞いていた俺たちだけ。


 エルルさんの情報によると、神子様の元に向かっているのは……“人間喰らい”武者だ。

 氾濫で起こした混乱に乗じて、手薄になった旅神教会を直接叩く。それが狙い。


「俺が……いや、俺たちが止める」

「ええ。行くわよ、エッセン」

「ああ、ポラリス。“銀翼”“鳥脚”“空砲”“天駆”――魔装“蒼穹の翼”」


 “銀翼”では、滑空したり、せいぜい羽ばたいて空中で身を捩るくらいが限界だった。


 だが、魔装を手にした俺は……空をも、自由に飛ぶことができる。


「ポラリス!」


 自由落下をするポラリスを、両手で横抱きに受け止める。


 地平線から差し込む夕日が、ポラリスの白い肌を茜色に照らした。

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