第86話 壁越しに

 神官長ニコラスの尋問は朝まで続いた。


「……いい加減諦めたらどうです?」

「断る」


 なにせ、ほとんど言いがかりなのだ。


 魔物を宿すギフトは、事実旅神のギフトなのだから仕方がない。旅神教会によって封じられていることが、なによりの証左だ。彼らが影響を及ぼせるのは、旅神のギフトに対してだけなのだから。


 それ以外の容疑については、まったく知らない。

 魔神教会の名前自体、最近知ったばかりなんだから。


「魔神教会の対処は一刻も争うのです! こうしている間にも、奴らはなにか企んでいるかもしれない。それを阻止するのが、迷宮都市の中核を担う旅神教会の使命! 自分は冒険者なのだと嘯くなら、潔く協力しなさい!」

「ありもしない罪を自白するのが協力なのか?」

「……っ、詭弁を。神子様とヒューゴーに言われていなければ、拷問してでも吐かせたのに……」


 こんなやり取りを、何度も繰り返している。


 武者については当然、正直に話した。

 彼の能力や、なにを言っていたのか。それらを包み隠さず明かしたというのに、ニコラスは不満らしい。


 どうしても、俺が魔神教会の関係者だということにしたいようだ。

 ……いや、彼に言わせれば確信しているらしいが。


 幸い、神子様やギルドマスターのおかげで拷問はされなかった。

 せいぜい格子越しに詰め寄られるだけだ。

 拷問されたところで自白する内容なんてないけど。


「まあ、いいでしょう。続きは裁判で明らかにすることにします。あなたでも、旅神の威光の前では自白するしかないでしょうから」

「やっと終わったか……」

「私も暇ではないのですよ! あなたはそこで、残りわずかな生を噛みしめていなさい」


 ニコラスが振り返り合図すると、神官たちも背を向けた。ニコラスを先頭に、ぞろぞろと出ていく。

 最後に、足を止めて言った。


「裁判は夕方。それがあなたの最期です」


 処刑確定みたいな言い方だな……。


 その捨て台詞を最後に、彼らがいなくなった。

 地下牢に残っているのは看守の兵士だけで、ようやく静かになった。


「俺、死ぬのか」


 さっきまでずっと尋問されていたから、実感できなかったけど……こうして一人になると考えてしまう。


 裁判で無実を証明できるか?

 俺が悪だと思考停止しているニコラスに対して?


 昨日までは絶対に大丈夫だと思っていた。どうせ、フェルシーが一人で突っ走っているだけだろうと高を括っていたのだ。

 俺は真っ当な冒険者で、裁判できちんとわかってもらえる。そう、甘く考えていた。


 でも、神官のトップであるニコラスがあの考えということは、裁判も……。


 一度不安になると、その考えが止まらない。


 命を懸けてダンジョンに潜ることは、怖くなかった。

 冒険者として上を目指すと決めた以上、リスクを抱えて戦うしかない。それで死んだなら、俺はそれまでの男だっただけだ。


 でも、謂れのない罪で処刑されるのは、違うだろ。


 そんな終わり方、認められない。


 そして、なにより……。


「ポラリス……」

「呼んだ?」

「……えっ?」


 ふさぎ込んでいたから、人が増えたことに気が付かなかった。

 いつの間にか、牢の前にポラリスが立っていたのだ。


「ポラリス? なんでここに……」

「ふふっ、それはね」


 悪戯っぽい笑みで、ポラリスが口に手を当てた。


「あ、あの、ポラリス様。あなたはこちらの牢です」

「なんでそんな遠くなのよ。エッセンの隣にしなさい」

「えっ、いや、あの……わ、わかりました」


 なぜかびくびくした様子の看守に誘導され、ポラリスが堂々と牢屋に入っていった。……なぜか、俺の隣を指定して。


「ポラリス様を投獄したことが神官長にバレたら、俺が大目玉喰らうので、ぜったいに大人しくしていてくださいね! 夕方には出しますから!」

「ええ、ありがとう」

「はぁ……なんで十傑って変な人しかいないんだろう……」


 看守が肩を落としながら、持ち場に戻っていった。

 苦労しているようだ。親近感が湧くな……。


「ポラリス、自分から入ってきたのか?」

「そうよ。エッセンに会うためにね」

「めちゃくちゃだな」

「ちゃんと犯罪してきたわよ。私を投獄しなければ、今から大聖堂を凍らせるって、さっきの子に伝えたの。犯罪予告よ。立派な犯罪ね」


 意味不明な要求をされた看守が不憫になってくる。

 しかも、ポラリスのことだから断ったら本当に氷漬けにしそうだ。いや、もしかしたら部分的に凍らせたかもしれない……。


 看守からしたら、断っても従っても責任問題に発展する。ポラリスと戦える神官なんていないだろうから、誰も止められない。

 それでひねり出したのが、上には黙って牢に入れるという、今の状況なわけか……。かわいそうに……。


「はっ、しまったわ」

「どうした?」

「隣の牢だと、エッセンの顔が見えないじゃない」


 当の本人は、呑気に楽しんでいる始末だ。無事に裁判が終わったら、看守にしっかりとお礼するべきかもしれない……。


「ねえ、エッセン。こっちの壁に寄りかかって?」

「……わかった」


 ポラリスの言葉に従って、壁に背中をもたれる。


 さっきまでと変わらない、冷たい壁だ。

 でも、その先にはポラリスがいる。たったそれだけの違いなのに、俺にはなによりも心強い。


「勝手なことをしてごめんなさい。エッセンが私の助けを嫌うこともわかってる。でも、どうしても会いたかったの。エッセンが処刑されてしまうかもしれない。そう、考えると……」

「いや……俺も会いたかった。もちろん、処刑されるつもりはないけどな」

「それは……っ、当然よ。私が止めるもの」


 俺の胸を支配していた不安が、すっと消えてなくなるのがわかる。


 ああ、なにを怖がっていたんだ。

 俺には最強の相棒がいるじゃないか。なにも、恐れることはない。


「ねえ、エッセン。覚えてる? 幼いころのこと」

「俺もちょうど思い出していたところだ。外に出してもらえないポラリスに、こんな風に壁越しに話しかけてたよな。あの村長、ケチだから壁薄かったし」

「ふふっ。いつも楽しい話をしてくれたわよね。ガキ大将と喧嘩して、機転と罠で大勝利した話とか」

「ああ、あれ嘘。本当はボロ負けだったな。ポラリスにカッコつけたかっただけだ」

「知ってるわよ。昔から見栄っ張りなんだから」

「なんだ、バレてたのか」


 ポラリスに惹かれたのは、どうしてだっけな。

 最初は、つまらない子だと思っていた。村長の娘で、滅多に顔を見せないし、たまに村の集まりがあった時も、村長の近くで無表情のまま動かない。


 それが村長に軟禁されていたからだと知ったのは、たまたま通りがかった時に彼女のすすり泣く声が聞こえたからだった。

 大人たちは知っていたんだろうけど、みんな見て見ぬふりをしていた。子どもの俺にできることは少ない。だから、毎日ポラリスの元へ通って、せめて笑ってもらえるように楽しい話をしていたんだ。


「ほかにも色々話してくれたわ。村の人たちの噂話に、農業のこと、村で流行っている遊び……そして、冒険者のこと」

「ポラリスに話すために、吟遊詩人に弟子入りしたくらいだからな」

「え、そんなことしていたの?」

「やべ、これは隠しておくつもりだったのに」


 うっかり口を滑らした。

 ポラリスとの他愛ない会話にめちゃくちゃ気合い入れてる奴になっちゃうじゃん……。実際そうだったけど。


 どんどん笑顔が増えていく彼女には、楽しいのが当たり前だと思ってほしかった。

 気兼ねなく笑って、遊んで……そんな普通を、彼女にあげたかったのだ。


「そんでさ、俺は一番すごい冒険者になるんだってポラリスに宣言したよな」

「ええ。対抗して、私もって」


 ちょうど、その頃だった。資金繰りに失敗した村長が、その苛立ちをポラリスにぶつけるようになったのは。

 日に日にやつれ、見える傷が増えていくポラリス……。俺は、見ていられなかった。


 だから、無謀を承知でポラリスを連れ出したのだ。

 閉鎖的な農村において、村長や大人に逆らうなんて考えられない。豊神のギフトを得て、一生を農業をして過ごす。それが当たり前の村だったから、村から出るなんて許されることではなかった。

 もちろん、俺の常識としてもそうだ。そう言われて育ったから。


 それでも俺を突き動かしたのは、吟遊詩人から聞いた冒険者への憧れ。


 二人で夜逃げのように村を飛び出して、そのまま街を点々としながら、迷宮都市に辿り着いた。

 あの頃は楽しかったな……。貧乏だけど自由で、なんでもできる気がした。


「あの頃の私にとって、エッセンは強さの象徴だったわ。……いえ、今もそうね」

「喧嘩で負けてるのに?」

「腕っぷしなんて関係ない。大人に支配されず、自分の意志で行動する姿が……。私に話しかけるのだって本当は禁止されているはずで、何度も怒られてたのに、それでも会いに来てくれる、意思の強さと優しさが……全てが、私の憧れだった。私が冒険者になりたいと言ったのは、あなたみたいになりたかったからなのよ、エッセン」

「……俺だって、ポラリスはすごい奴だって思っていた。村長の娘なのに威張らないし、虐待にも耐えて俺の前では笑ってたし、すげー強い奴だなって」

「ふふっ、そんなこと思ってたんだ」


 故郷の村での記憶は、いいことばかりじゃない。

 でもこうして話していると、全てがキラキラ輝いているようだった。


「ねえ、エッセン……。望むなら、私と……」

「それはできない」


 ポラリスの言葉を遮った。


 もし脱獄の手助けでもしたら、ポラリスは罪人となる。

 二人揃って咎人として逃げ回る人生が始まる。ギフトも地位も失い、堂々と表を歩けない日々だ。


 あるいは、ポラリスと一緒だったらそれでも楽しいかもしれない。

 でも、彼女を巻き込むわけにはいかない。


「なんでよ……っ」


 ポラリスの声に、嗚咽が混じる。


「エッセンを失うなんてぜったいに嫌なの。死んで欲しくない。エッセンを守るためなら、旅神教会とだって戦う。二人で逃げて、泥水を啜ってもいい。お願いだから……」


 いつもクールで強いポラリスの、悲痛の叫び。


「お願いだから、いなくならないで……」


 今すぐ彼女を抱きしめたい。でも、冷たい壁に阻まれて、それができない。


 いや、壁があってよかったかもしれない。今彼女と抱き合ったら、揺らいでしまいそうだから。

 だって、ポラリスと二人の逃避行は、結構魅力的だから。


「俺は死なないよ」


 気休めにしかならないけど、俺はそう断言する。


「約束しただろ? 二人で冒険者のトップに立つまで、俺は死なない」

「……うん」

「俺さ、ギルドマスターのおかげでめちゃくちゃ強くなったんだ。今なら、上級でも戦えると思う。そういや、バタバタしていたからランキングを見れてないな……。相当上がってるんじゃないか?」

「私も、見てない」

「そうか。俺が上級になったら、今度こそ一緒に戦おう。色んなダンジョンを回って、次々と攻略して、ランキングを上げるんだ。一位なんてすぐだよな」

「……それは、とても楽しそうね」

「だろ?」


 脱獄して逃げるより、何倍も、何十倍も、何百倍も。

 こっちの未来のほうが、楽しそうだから。


 俺は、その未来を諦めたくない。


「それにさ、あいつを倒すのは俺の役目だと思うんだ。……根拠のない、ただの直感だけど」

「あいつ?」

「武者だ」


 “魔物喰らい”の対となる能力である、“人間喰らい”の武者。

 なにかを企んでいるらしいあいつを止めるのは、俺の役目だ。


 “太古の密林”でスキルを増やした。スキルの融合という、あいつと同じ技術も身につけた。

 前回は文字通り歯も立たなかったが、今なら戦えるはずだ。


「リーフクラブの脱走も、ヴォルケーノドラゴンの騒動も、この前の氾濫も、全部魔神教会が関わっているというのなら……俺にも因縁があるってわけだ」


 魔神教会の存在は知らなかった。

 しかし奇遇にも、今まで遭遇した事件は奴らが関わっていたものだった。


「……エッセンに因縁があるなら、私にとっても敵ね」

「ははっ、そうだな。頼りにしてるよ、相棒」


 ポラリスとなら、なんだってできる。


 村から逃げるだけで精一杯だったあの頃とは違う。

 今の俺たちには、戦う力があるんだから。


「まずは裁判を乗りきらないとな」

「ええ。とりあえず私はギルドマスターをとっちめて、無実を証明させるわ。だいたい、俺がなんとかするとか豪語していたくせに、なんでエッセンが捕まっているのよ。腕の一本くらい凍らせないと気が済まないわ」

「いや、あの、ギルドマスターも頑張ってくれてたよ……?」


 壁がポラリスの冷気でさらに冷たくなった気がする。怖い。


 さっそくポラリスは動き出すようだ。

 看守に飽きたから出ると伝え、堂々と脱獄していった。賄賂というかお礼をしっかり渡していたので、看守もほくほく顔だ。


「さて、俺は裁判に備えてひと眠りするか」


 不安は、もうなくなっていた。

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