第85話 ex.手掛かり

 “未来の足跡”は、所有者の居場所を特定するスキル。


 所有の概念は財神の領分だ。

 基本的に、拾っただけでは所有とは認められない。だから、欠片を持っているだけのエルルは所有者ではない。

 宝玉の大部分を押収した旅神教会も同様だ。


 では、所有者は誰なのか。

 最後の所有者は、ヴォルケーノドラゴンを召喚した“斥候”の男だ。彼は、正式にウェルネスから譲渡されている。


 だが、自ら召喚したドラゴンに食い殺された。


 死亡した場合、前の所有者に移る。つまり、前回ウェルネスの居場所を特定できたのは、彼に所有権が移っていたからだ。


 そして、エルルは知らぬことではあるが……ウェルネスは既に死亡している。


「反応がありました」


 エルルはごくりと喉を鳴らして、キースに告げる。


「危険かもしれないので、キースさんは来なくても大丈夫ですよ」

「舐めるな。俺は最強の冒険者だぞ。危険ならなおさら、俺が行かないなどありえない」

「ふふっ、そうでしたね。では、ついてきてください」


 エルルはたった一人でも行くつもりだった。わずかでもエッセンを助けられる可能性があるのなら、動かない選択肢はない。

 でも、キースがいるなら心強い。


「この方向……」

「ああ。下級地区だな。……ウェルネスがいるのは中級地区以上のはず。こんな裏通りのはずがない」

「そうですね。ということは……」


 同時に頷き合う。

 なにか手掛かりに辿り着けるかもしれない。


 二人は緊張した面持ちで、下級地区の裏路地に入っていく。

 治安が悪く、犯罪が蔓延している地域だ。


「聞いてもいいか」

「なんでしょう?」

「なぜ受付嬢が、あいつのためにそこまでする? 職務を超越した行為だと思うが。……そもそも、ギルドでは不干渉の命令があったはずだ」

「そうですね。私は受付嬢としてここにいるわけではありません」


 受付嬢の仕事ですから。

 エッセンから感謝されるたび、ずっとそう答えていた。


 でも、本当はずっと前から気づいていた。

 エッセンの力になりたいという気持ちは、決して仕事だからではない。


「好きな人を助けたい。それだけじゃ理由になりませんか?」

「いいや、十分な理由だ。信念がある者は強い」


 好きというのは友人としてですけど……と、エルルは小さく言い訳する。

 大切な人が危機に瀕している。助けに動くのに、冒険者も商人も関係ない。


 しばらく、息を殺して歩いた。

 道中ですれ違う荒くれ者たちも、キースの威圧に怯んで近づいてこなかった。彼の実力なら、たとえ襲われたとしても、冒険者崩れに遅れを取ることはないだろう。

 一人だったらここまで来られたかも怪しい。キースが来てくれてよかった、と心の中で感謝した。


 お礼を言うのは終わってからだ。たぶん、キースならそう言うと思ったから。


「……ここですね」


 “未来の足跡”が指し示す道は、とある廃教会で終わっていた。

 外装や朽ちかけのエンブレムから推察するに、おそらく自然と恵みを司る豊神教会。


 迷宮都市では比較的信徒の少ない神だ。それもこんな辺鄙な場所にあれば、忘れ去られるのも無理ない。

 そして、使用されなくなった教会は絶好の隠れ家となる。


「俺の後ろにいろ」

「はい」


 キースを先頭に、廃教会へと近づく。


 今にも崩れ落ちそうな建物だ。外壁はぼろぼろで亀裂が入り、窓は外されたのか、なくなっている。

 建付けが悪いようで、扉は半開きだ。


 足音を立てないように近づく。そっと扉の隙間から身を滑り込ませて、奥の広間へと進んだ。

 広間への扉も同じように少し空いている。


 近づくと、誰かの声が聞こえた。


「計画は順調のようじゃのう」

「おー、じゅんちょー!」

「ククク、ついに我らが悲願が達成されるとき……!」

「ろーし、やったー?」


 なにやら上機嫌な老人と、幼い少女の声。


 こんな場所でなければ微笑ましい光景に、エルルは首を傾げる。

 扉の隙間から、そっと中を覗き込む。


「お主の出番はもう少し先じゃがな」


 老師と呼ばれた老人が、少女の頭に手のひらを乗せた。


「のう、“魔神の神子”よ」

「……っ」


 思わず息を呑む。

 さっとキースと目を見合わせた。


 間違いない。――魔神教会だ。


「そうなの?」

「そうじゃ。お主は魔神の依り代となるのが役目……。そのためには、まずは旅神の神子を殺さねばならん。奴のせいで、旅神の力が強まっておる」

「ころしちゃえー」

「ほっほっ。仰せのままに。今ごろ、武者が準備を終えたころじゃろうな」

「武者、むしゃむしゃ?」

「左様。旅神の神子は武者が喰らう。そのために、複数の氾濫を起こし攪乱する作戦じゃよ」

「すごーい!」

「ほっほっほっ。そうじゃろうそうじゃろう」


 次々と飛び出してくる情報。

 事態はエッセンの功罪だけの話では収まらない。いや、そんなことよりももっと大きな……。


「今夜、旅神の神子は死に、迷宮都市は滅ぶ。そして――魔神の時代が到来する」


 エルルは口を押え、数歩後ずさる。

 速く、誰かに知らせなければならない。魔神教会の脅威は、すぐそこまで来ていたのだ。


 そう、焦ってしまったのが悪かった。


 じり、と足元から音が鳴った。靴底が地面を擦る音だ。

 静かな廃教会に、その音は存外に強く響いた。


「おや、お客さんがいるようじゃの」

「エルル――」


 ぎろり、と老師がこちらに振り向く。


 キースの反応は早かった。

 両腕に炎を滾らせて、エルルを庇うように両手を広げる。


「逃げろッッ」

「聞かれてしまったかの。だが、無駄なこと。既に準備は終了した。もう誰にも止められぬ」

「“プロミネンス”」

「“魔物生成”」


 老師が手をかざすと、地面に魔法陣が浮かび上がった。

 もくもくと煙が立ち上り、中からなにかが出てきた。


 フォレストウルフ……冒険者なら誰でも知る魔物である。


「キースさん!」


 魔物を生み出す。それは、魔神の権能だ。

 なにか条件があるにしろ、それを可能としている。まさしく、魔神のギフトだろう。


「舐められたものだ」


 所詮、フォレストウルフは最低ランクの魔物。


 “炎天下”のギフトによるデメリットを無効化したキースにとって、敵にすらならない。

 鎧袖一触。炎に巻かれたフォレストウルフは、塵さえ残さずに消滅した。


「エルル、早く行け。いち早く、ギルドに情報を……」

「舐めているのはお主じゃろうて。フォレストウルフだけだと油断しおって」

「……っ」


 フォレストウルフは時間稼ぎだった……。そう気づいた時には、廃教会の壁という壁に魔法陣が描かれていた。


 キースはまさしく、油断していたのだろう。エルルを逃がすことに意識が向かいすぎた。

 この廃教会は敵の拠点……なにも準備していないはずがないというのに。


「“魔物生成”……さて、どれだけ耐えられるかのう」


 壁から、天井から、床から。

 ありとあらゆる場所から、大量の魔物が湧き出てきた。その数、二十体以上。


 ランクも種類もバラバラだ。

 FランクからAランクまで、複数の魔物がキースたちを睨んでいる。


「無駄にいたぶる趣味はないから教えておくとしよう。この魔物じゃが……倒しても無限に出るから、そのつもりでの。ああ、扉ももう開かぬ」


 ククク、と老師が意地悪く笑う。


「ごめんなさい、私がもっと早く逃げていれば……」

「結果論だ。元より、一人で戻らせるほうが危険だった」

「キースさん……」


 キースがローブをはためかせて、エルルを背中に庇いながら一歩前に出る。


「これほどの魔物、無制限に生み出せるはずがない。――出なくなるまで殺すまでだ」

「威勢がいいのう」

「調子もいいぞ」


 キースは不敵な笑みを浮かべて、全身を炎で包んだ。


「以前までの俺とは格が違うぞ。――“ヘリオス”」


 ただ爆ぜるだけだった炎が、まるで清流のように静かにキースに寄り添っていく。

 やがて、羽衣を纏うように炎がキースと一体化した。


 手には、炎でできた巨大な槍。背中には炎の翼。


 どう見ても、下級冒険者の姿ではない。下手したら、上級上位の……。


「魔物の氾濫は、大勢の人を不幸にする」


 それは、故郷を魔物に滅ぼされた男の魂の叫びだ。


「許すわけにはいかない」

「魔物どもよ、やれ」


 太陽の化身と魔物たちが、正面から衝突した。

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