第71話 氾濫の原因
「“健脚”“天駆”“銀翼”」
必要なのは移動スキルだけだ。
俺はポラリスに背を向け、全速力で駆けだす。
極力、魔物とは戦わない。こいつらはポラリスに任せる。
“無窮の原野”の方向は、考えるまでもない。
少し跳べばわかる。魔物の群れが、一方向からやってくるからだ。
ダンジョンから溢れた魔物たちなのだから、彼らが来ている方向がダンジョンだ。
「俺が止める」
跳び上がり、空中を駆け、滑空する。
地を進む魔物たちの頭上を跳び越える。今の俺は、走るよりも速い。
俺の目標は、冒険者ランキング一位だ。
すなわち、冒険者の頂点である。
頂点なら……氾濫くらい止めないとな!
「相手が誰でも関係ねえ。強くなるために喰らうだけだ。魔物も、逆境も、全部喰らってやる」
眼下の魔物たちは、俺には目もくれない。この数が迷宮都市や近隣の村、町を襲うのだと思うとぞっとする。
だが、この先には誰よりも頼りになる奴が待ってる。
それを考えればむしろ、今から氷漬けにされる魔物たちが不憫になるくらいだ。
「あれが“原野”か!」
しばらく走ると、ダンジョンが見えてきた。
ダンジョンの結界は半透明だが、うっすらと青みがかっている。フェルシーの結界と同じだ。
だから遠目でもわかる。ダンジョンの中は広大な草原が広がっているので、“無窮の原野”に違いない。
それに……魔物たちの行列が、このダンジョンの一部から始まっているのが見てとれた。
まるで、迷宮都市の門のようだ。一か所からぞろぞろと魔物が出てくる。
「氾濫って、結界が全部なくなるんだと思ってたけど……あれじゃあまるで、穴が空いてるみたいだ」
魔物の量が結界の許容限界を超えたとき、氾濫が起きる。その時、結界は一時的に消滅すると聞いたことがある。
一か所だけ穴が空くなんてこと、あり得るんだろうか?
「とりあえず行ってみよう」
とにかく、見てみないことにはわからない。
“銀翼”で軽く羽ばたいて、結界に穴が空いていると思われる場所の近くに降り立った。
一体一体が大きいため、魔物が出てくるペースはそれほど早くないようだった。無駄な戦闘をしないよう、慎重に近づく。
ポラリスが言うには、氾濫の終息のためにはボスを倒す必要があるらしい。ボスはダンジョンの中にいるのだろうか。
そう思い、ダンジョンのすぐ側まで寄った時……。
「……っ! 誰かいる」
人影が目に入り、慌てて停止した。
「……冒険者ですか」
ぼそり、と低い声が聞こえた。
決して声量は大きくないというのに、その暗く冷酷な声ははっきりと届いた。ぞくりと、と胸がざわめく。
「想定よりも早いですね」
「誰だ……!」
「私は武者。それ以外の名を持ちません」
そう言いながら姿を見せたのは、黒装束の男だった。
表情や目からは、一切の感情が感じられない。
身長は高く、長い黒髪を一つに結わえ、腰には鞘を下げている。しかし、そこに剣はない。
視線を走らせると、少し離れた地面に剣が突き刺さっていた。普通の剣ではない。見慣れない片刃の直刀で、その刀身は漆黒に染まっている。
そして直刀が刺さっているのは、ダンジョンの入口だった。ちょうど、魔物が出てきている辺り。
直刀を中心として、結界に穴が空いている。
つまり……。
「お前が氾濫の原因か!」
「いかにも」
状況から判断した推測を口にすると、武者はあっさりと認めた。
やや特徴的な装いではあるが、見たところ普通の人間だ。
だが、氾濫を人為的に起こしている人物なのだとしたら、敵だ。
「“鋭爪”“刃尾”」
「ほう。そのスキルは」
武者の無表情がほんの少しだけ崩れた気がした。
その隙に、“健脚”で一気に距離を詰める。
おそらく主武器である直刀は、彼の手元にない。
「丸腰のところ悪いな……!」
少し気が引けるが、容赦している暇はない。この間にも、ダンジョンから魔物が溢れ続けているのだ。
こちらの間合いまで詰め寄ると、躊躇せず“鋭爪”を振るった。
「いえ。――“斥候”“曲芸師”“韋駄天”」
棒立ちだったはずの武者が、なにかスキルを使った。
「なっ……!」
次の瞬間には、武者の姿が消えていた。
“鋭爪”は呆気なく空振りで終わる。
「武器が上古刀のみだと勘違いさせてしまったこと、お詫びいたします」
その声は、俺の下から聞こえた。
「……っ! “大鋏”」
「“格闘家”“拳士”“剛力”“破壊王”」
咄嗟に腕を胸につけ、“大鋏”を発動させる。こうすることで、即座に盾を出現させることができる。
だが、それでもギリギリだった。
いつの間にか懐に潜り込んでいた武者が拳を振り抜くのと、“大鋏”の出現がほぼ同時。
ただの拳とは思えないほどの衝撃が、鋏越しに伝わってくる。
「グ……っ」
“大鋏”が砕け散り、強制的に解除される。
俺は衝撃で吹っ飛ばされた。
“銀翼”と“天駆”で、なんとか着地する。体勢を立て直す余裕もなくて、思わず地面に膝をついた。
さらに、着地した場所が悪かった。
「パォオオオオ」
目の前に、長い鼻を振り上げるサバンナエレファントの姿。
「くそっ!」
武者という脅威がいるというのに、無駄にタフなエレファントの相手をしている暇はない。
だが、完全に俺をターゲットに定めている。戦うしかないか……。
「邪魔です。“水流術師”“雷光術師”“暴風術師”」
またもや、武者がスキルを使った。
顕現した現象は、まさに災害。巨大な竜巻が、雷雨を伴ってサバンナエレファントを襲った。
竜巻に巻き込まれたサバンナエレファントは、細切れになりながら空に打ち上がった。
少し経って、肉片と血液が雨のように降って来る。
強すぎる。それに、なんだこの多種多様なスキルは。冒険者か……?
いや、スキルというより、まるで……。
「いくつギフトを持ってるんだ……!?」
「貴方こそ、いったい何体の魔物を体内に飼っているのですか?」
膝立ちのまま唖然とする俺の前に、武者が立ちふさがった。
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