第67話 氾濫
氾濫……それは魔物の増加によってダンジョンの結界が破られ、魔物が外に解き放たれてしまう“災害”だ。
過去、氾濫によっていくつもの街や国が滅ぼされてきた。
それを防ぐために冒険者がダンジョンに入り、魔物を討伐している。
だが、氾濫が起きたということは討伐が間に合わなかったということだ。
「あり得ない」
ポラリスが魔物の群れに目を走らせる。
「サバンナライアン、サバンナライノ、サバンナエレファント……彼らがいる“無窮の原野”は、氾濫なんてするはずない」
「うん、結構人気ダンジョンだもんね。迷宮都市からも遠くないし」
“無窮の原野”……たしか、Cランクダンジョンだった気がするが、それ以上の情報は知らない。
魔物の群れは、ライオン、サイ、ゾウの三種で構成されている。数はざっと見えるだけでも五十体は下らない。ぞろぞろと列をなしていて、最後尾は見えない。
しかも一体一体が、中級の中でも上位に位置する魔物だ。
「どこに向かって……まさか」
群れは俺たちには目もくれず、一心不乱に走っている。
その方向は、まさしく馬車の進行方向と同じ。つまり……。
「迷宮都市かッ!」
あの数の魔物が迷宮都市に押し寄せたら……被害は想像を絶するものになるだろう。
迷宮都市には冒険者が大勢いるはずだが、楽観視はできない。
「止めるぞ」
「当然よ」
「全員処刑してあげる」
ポラリスとフェルシーが臨戦態勢に入る。
「君はそこで大人しくしててね。馬が落ち着くまで時間かかりそうだし。“多重結界”」
フェルシーはそう言って、手を御者のほうに向けた。
彼と恐慌状態の馬を守るように、幾重もの結界を展開する。
頷き合ってから、魔物に向かって三人で駆けだす。
幸い、まだ氾濫が起きたばかりなのか、最前列は目の前だ。
「“健脚”“刃尾”“鋭爪”」
使い勝手のいいスキルを三つ発動する。
魔物の群れまでは少し距離がある。全力で地面を蹴った。
しかし“健脚”を使ってもなお、一番足が速いのはポラリスだった。
「震えなさい。そして絶望なさい。今からここに――冬が来るわ」
先んじたポラリスがレイピアを抜き放ちながら、魔力を滾らせる。
魔法系と剣士系の複合ギフト“銀世界”……その、真骨頂。
「“冬将軍”」
ポラリスがレイピアを高く掲げた。
異変はすぐに訪れた。
魔物たちの群れを包み込むように、白い煙のような冷気が舞い降りた。
地面には霜が降り、空からは雪がぱらぱらと降り注ぐ。
「あなたたちの世界にはない寒さでしょう? もう二度と、春を迎えることはないわよ」
“冬将軍”に掴まること。それはすなわち、死を意味する。
それだけで魔物を倒すような魔法ではない。身体の体温を奪い、ゆっくりと身体を蝕む。そして、この範囲内において、ポラリスの身体能力が上昇する。
ポラリスは動きを止めた魔物の群れに飛び込み、次々とレイピアで屠り始めた。
【氷姫】の名に相応しい、惚れ惚れするほど美しい乱舞だ。
思わず、足を止めて見てしまう。
だが敵にとっては、氷よりも冷たい残虐者だろう。
「君たちが向かうべきはそっちじゃないよ」
背後から、フェルシーの声がした。
「“迷宮結界”」
彼女が手のひらを向けたのは、ポラリスが戦っている魔物とは別の一団。群れの後方にいるて、“冬将軍”を逃れた魔物たちだ。
巨大な結界が、群れを囲うように展開される。ただし、ただ閉じ込めるだけではない。それでは、破られるのも時間の問題だ。
だが、結界に囚われた魔物たちは、それぞれ違う方向に進み始めた。迷宮都市を目指していたはずなのに。
「この結界の中ではね、死ぬまで迷い続けることになるんだ。処刑よりも恐ろしいでしょ?」
嗜虐的な笑みを浮かべて、フェルシーが言った。
大量の魔物を閉じ込め、外に出さない。
まるで旅神の結界のような能力だ。いや、まさしく旅神の権能の一部を振るうことができる、規格外のギフト。
……これが上級神官の実力か。
フェルシーはポラリスと同じように、足止めした魔物を個別に倒しだした。
「二人とも強い……っ」
討伐よりもより多くの魔物を足止めすることを選ぶ判断力と、それを可能にする能力。
どちらも、俺にはないものだ。そんな大規模なスキル、俺には使えない。
「俺の仕事は遊撃だな」
実力差を嘆いても仕方がない。
悔しい気持ちは今は胸に仕舞って、俺にできることをしよう。
二人はほとんどの魔物を閉じ込めたが、どちらも逃れた魔物はまだまだいる。
それに、ダンジョンの方向からは、新たな群れの影も見える。
「まずはお前だ。……サバンナライアン」
「ガウウウ」
「要は、猫だろ? フォレストキャットとどっちが美味いかな」
身体はフォレストキャットよりも一回り大きいようだけど……。
ついでに牙も爪もタテガミも、物凄い威圧感だ。
だが……。
「止まっている暇はないんだよ」
俺の身の丈を超える巨大なライオンに、一歩踏み出した。
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