氾濫
第65話 帰りの馬車
「おはよう。よく逃げなかったね」
「逃げたらなにされるかわからないからな……。あんたこそ、先に帰っていてもよかったのに」
「エッセン様が死んでくれたら帰るよ」
こいつの処刑宣言にも慣れてきたな。
宿では、隣の部屋でフェルシーが聞き耳を立てているのだと思うと、安心して眠ることもできなかった。
おかげで寝不足だ。
「さっさと帰るか」
「うん。断頭台が待ってるもんね」
「もう何も言うまい」
ニコニコと笑いながら、フェルシーが恐ろしいことを言う。ちなみに、目は一切笑っていない。
行きと同じように、迷宮都市までは馬車がある。
今回の馬車はやや大きく、いくつかの宿場町を回ってから帰るらしい。
「馬車ぁ、出発しまぁす」
御者の気の抜けるような声とともに、馬車が動き出した。
“静謐の淡湖”から乗るのは俺たち二人だけのようだ。
こうなると暇である。
迷宮都市までは半日以上かかるので、なにもすることがない。フェルシーとは雑談をするような間柄でもないし。
「……なんでそんな近くに座るんだ?」
ふと、気になっていたことを口に出した。
密着しているというほどではないが、肩や膝が当たる程度には近い。馬車はそれなりにスペースが空いているのに、謎だ。
「この距離なら、いつでも殺せるからだよ」
「物騒だな……。俺の攻撃も届きそうだけど」
「やってみる?」
「……やめとく」
攻守ともに隙の無い、彼女の結界術。
破れる気がしない。まあ、破る必要もないんだけど。
「そもそも、そんな監視する必要あるのか……? いやたしかに、俺のギフトが怪しいのはわかるけど」
「エッセン様は、ヴォルケーノドラゴンが偶然下級地区に飛んできたとでも思っているの?」
「いや、あれはウェルネスの部下が、変な玉を使って……」
言いかけて、気が付いた。
「まさか、あれの出どころがわかってないのか?」
「そうだよ。ううん、ちょっと違うかも。出どころはわかってる。でも、その正体は不明」
迂遠な言い方だ。
フェルシーは怒りを堪えたような笑みで続ける。
「魔神教会」
「……なんだ、それ」
「魔神を信仰して、魔物こそ支配者に相応しいと考える奴らだよ。昔から歴史の裏にいて、旅神教会とずっと争ってる。でも、未だ明確に姿を捉えたことはないんだ。だから、正体不明」
魔神。それは、神話の時代にいたとされる、魔物たちの創造主。
神々によって討伐され、旅神によって魔物と一緒に封印されている……。しかし、ダンジョン内の魔物が定期的に増えることからわかるように、その力はまだ残っているという。
ここまで、おとぎ話だ。現にダンジョンはあるが、神話が本当かなんて誰にもわからない。
「ヴォルケーノドラゴンは、魔神教会の仕業だって言うのか?」
「うん、そう睨んでいる。そして、あなたが魔神教会の手掛かりだとも、ね」
なぜ上級神官がわざわざ俺の監視をするのかと思っていたが……そんな敵がいたとは。
本来ダンジョンを出られないはずのヴォルケーノドラゴンが街で暴れる事件があったことで、魔神教会の関与を疑ったのだという。
さらに、その場にいてなおかつ魔物を宿す俺に、疑いの目が向いた、と。
「待ってくれ。それなら、ウェルネスはなにか知らなかったのか? 元はと言えば、あいつがヴォルケーノドラゴンを連れてきたんだろ」
「残念ながら、彼はただ利用されただけだったよ」
「そうなのか……」
ウェルネスが知らないのなら、俺が知っているはずがない。
フェルシーがこくりと頷いて、そのまま俯く。
元から悪い顔色が、さらに青白くなった。
「魔神教会は許してはいけないの。旅神の敵は滅ぼさないと……。それだけがボクの……」
少し、彼女の指が震えている。
どうした、と聞こうとした時、御者の声が響いた。
驚いて、御者のほうを向く。
「馬車ぁ、止まりまぁす」
経由地に到着したようだ。
フェルシーに視線を戻した時、彼女は飄々とした表情に戻っていた。「うん?」と俺に小首を傾げる。
「いや、なんでも」
気のせいか?
いや、俺がフェルシーを気にする理由なんてないんだけど。
再び、沈黙が訪れる。
馬車の外で御者が誰かと話す声がする。よく聞こえないが、誰か乗ってくるらしい。
助かる。フェルシーと二人はしんどかったところだ。
少し待っていると、馬車に上がってきたのはよく知った顔だった。
「えっ、エッセン?」
「おお、ポラリスか。偶然だな」
「ええ。そうね」
冒険者ランキング9位。十傑の一人に名を連ねる、【氷姫】ポラリスだ。
俺の幼馴染であり、目標でもある。
ポラリスは動きやすさ重視のぴっちりとした白い服を身につけ、腰にはレイピアを携えていた。いつもの装備だ。
白銀の髪は比喩でなくキラキラと輝いていて、よくみると周囲を氷の結晶が舞っている。
「この馬車……そう。さっそく、中級ダンジョンに行ったのね」
俺がどこからの帰り道なのか察したのか、ポラリスが少しだけ微笑む。
ポラリスの前で中級を威張るのは恥ずかしいので、軽く頷くだけに留めた。
すぐ追いつく。そんな気持ちを込めて。
「馬車ぁ、出発しまぁす」
他に客はいなかったのか、ポラリスが乗ってすぐに馬車が動き出した。
「ところで」
ポラリスの視線が、隣にいるフェルシーに向く。
彼女の全身から、冷気が噴き出して煙のように白く漂った。
「神官がエッセンに何の用? 返答次第では容赦しないけれど」
「あはっ。エッセン様と交友があるあなたも、もちろん容疑者だよ。ポラリス様」
対抗するように、フェルシーも結界の鞭を触手のようにうねらせた。
あの、ここ馬車の中なので大人しくしてもらえませんかね……。
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