第56話 ”静謐の淡湖”

 “静謐の淡湖”は水中ダンジョンだ。


 Dランクからは、魔物の強さに加えて環境が過酷になっていく。


 下級のダンジョンは、多少戦いづらいフィールドもあったものの、あくまで魔物との戦いに集中できる環境だった。


 しかし、今回は水中。

 魔法付与がなければ呼吸することすらできないし、ただ移動するだけでも困難だ。自由に動くこともできない。


「これが水中ダンジョンか……広いな」


 ユアがかけてくれた魔法のおかげで、声は問題なく出せた。呼吸もできる。顔の周りだけ空気の塊が残っているような状況だ。


 顔以外の全身が水に包まれているため、やや寒い。

 視界いっぱいに青色が広がり、かなり下のほうに湖底が見えた。魚影や人影もちらほら見える。


 外套や荷物はほぼ置いてきたので、今の格好はインナーと、腰に収納袋があるだけだ。リュウカに作って貰った自動修復機能付きのインナーは、水中でも動きやすい。


「“ウェランドフロッグの水かき”」


 序盤で手に入れた割に使用機会のなかったスキルを発動する。


 手の指の間に膜が張った。カエルのように、水を掻いて泳ぐことができる。


「“刃尾”“鳥脚”」


 両手を泳ぐために使用するため、攻撃手段としてスキルを二つ使用する。


 “鱗甲”は使わない。あれは体力の消耗が大きすぎるため、緊急時以外使わない予定だ。


「さて、魔物を探すか。あとは水草がポーション系の素材になるんだったよな」


 このダンジョンでも、稼ぎ方は魔物討伐と素材採取が主だ。

 魔物の素材も売り物になるようなので、ぜひ取っていきたい。馬車と宿で、既に相当の金額を使っているのだ。取り返さないと。


「おお、結構スムーズに泳げる」


 まだぎこちないけど、“水かき”のおかげで行きたい方向に進むことはできた。

 泳ぐのなんて、故郷の川で遊んだ時以来だ。もちろん、こんなに深くなかった。


 どんどん潜水していき、魔物を探す。


「ごくごく」


 すると、人間大の魔物が一体、近くに寄ってきた。


「たしか……レイクシール!」


 アザラシの魔物だ。

 丸まると太った身体に、灰色の身体。犬のような顔をしているが、手足はヒレのようになっていて、泳ぐのに適した身体付きだ。

 サイズは俺よりも大きく、まるで牛のようである。


 愛らしい瞳とは対照的に、口元からは二本の長い牙が生えていて、獰猛に笑っている。


「ごくごく!」


 レイクシールは俺を標的に定めると、少し離れた位置からまっすぐ突進してきた。

 尾びれが高速で動き、レイクシールに推進力を与える。


「見た目通り遅い……けどっ」


 水中だからか、決して速くはない。

 しかし、同様に俺も速く動けない。目では追えているのに、身体が追いつかない。


「……っ」


 “水かき”で懸命に水を押し出し、身体を捻った。藁にも縋る思いで“刃尾”も活用するが細すぎて効果は薄い。


「ごくっ」


 なんとか牙は回避したが、軌道を修正したレイクシールの巨体が衝突し、弾き飛ばされた。


 咄嗟に腕でガードし、水中で体勢を立て直す。


「戦いづらいな!」


 魔物自体の強さはそれほどではない。

 だが、環境が悪い。これがDランクダンジョンか……!


 ただ強いだけではダメだ。

 ダンジョンに合わせて、工夫して戦う必要がある。


「ごくごく」


 レイクシールが旋回し、再び突進してくる。


 地上や空中とも違う、自由な軌道。上下左右どこからでも攻撃が飛んでくる、不思議な感覚だ。


「“邪眼”」


 気休めに、石化の光線を放ってみる。


 顔の表面を石化することに成功し、勢いが若干弱まる。しかし、止まらない。


「“鋭爪”……くっ、ダメだ」


 長く鋭い爪で切りつけようとしたが、水の中では思うように振れない。速度が出なければ、斬撃も意味がない。


 失敗ばかりではない。

 二度目は動きをよく見ることで綺麗に回避することができた。


「少しずつ慣れてきたぞ……」


 どうすれば勝てる?

 もし地上なら、こんな動きの遅い魔物、敵ではない。攻撃手段だって、牙を用いた突進だけだ。


 だが、水中というフィールドが、レイクシールの危険度を上げている。


 “刃尾”も“鋭爪”も、水の中では速度が出ない。“鳥脚”で掴むには、レイクシールは巨体すぎる。


「やっぱこれだよな。一応、海の魔物だし……“リーフシュリンプの空砲”」


 シュリンプはボス戦の時は地上に出てくるが、普段は海の中で暮らす魔物だ。

 この衝撃波を発生させるハサミだって、本来は水中で使用されるもののはず。


「ごくごく」


 三度目の突進。単調な攻撃だが、水中に適した肉体を持たない人間にとっては、回避するだけで精一杯の攻撃だ。

 俺はそれを正面から見据えて、ハサミを構えた。


 “水かき”を片方解除してしまったから、完全に回避することは難しい。

 これで仕留めるしかない。


「喰らえ!」


 がちゃん、と水中でも変わらぬ膂力で、ハサミが閉じられた。

 ハサミの先からプラズマが発射させる。水中だから空気ではない。水を伝って、衝撃が飛んでいく。


 レイクシールの頭に直撃した。


「ごく……」

「よし! “大鋏”」


 レイクシールは口から血を吐きだして、動きを止めた。

 即座に近づいて、“大鋏”で挟み込む。


「この状態で噛みつくのは難しそうだな……。“星口”」


 頭を使った攻撃で、この空気の塊が割れでもしたら最悪だ。

 “リーフアーチンの星口”は手のひらに小さな口を作り出すスキルで、そこから捕食することができる。


「いただきマスッ」


 味は感じないが、“魔物喰らい”の効果は発動する。

 右手を“大鋏”によって作り出した傷の中に突っ込み、中身を喰らう。


 ところで、“星口”から食べた肉ってどこにいくんだろうな……? 腕を通って胃に入るのか……?

 気になるけど、リュウカに言ったら解剖されそうなので黙っておくことにしよう。


『“レイクシールの鰭脚”を取得しました』


 今回も無事、新しいスキルを取得できた。


 今までの傾向的に、Dランクだから強いスキルというわけではないだろう。

 でも、スキルの数が増えれば戦略の幅が広がり、結果的に強くなれる。


「さっそく使ってみるか。“鰭脚”」


 まず“鳥脚”が解除された。


 そして、膝から下がアザラシのヒレのようになった。いや、名前からすると、あれは脚なのかな。

 足先が平べったくなり、“水かき”と同じように膜が張っている。


「おお! 泳ぎやすい!」


 “水かき”と合わせることで、移動速度がかなり上がった。


 それだけじゃなく、静止も方向転換も圧倒的にやりやすい。


「すげー、楽しい」


 こんなに自由に泳げる日が来るとは思わなかった。

 楽しくなって、泳ぎまわる。


「よし、これで“淡湖”での戦闘がやりやすくなるな」


 どんどん倒そう。

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