中学校給食殺人事件
@iwasakitukuru
中学校給食殺人事件
柳千春は長崎大学附属小学校の正門の手前の道路を全速力で駆け抜けた。
道の先に見えるところに立っている男子生徒が手持ちの鐘をブンブン振って耳障りな音を奏でる。
千春は自分が飼われている牛のように思えた。
実に滑稽。
そのままスピードを落とすことなく走り切った。
ギリギリ午前八時十分までに浦上中学校の正門を通るという校則を守ることができた。
ルールを破ったら遅刻扱いとなる。
内申書に響くのでそれは避けたかった。
千春は浦上中学校の三年生だ。
今日の千春はどうしても心が浮ついていた。
でもしょうがないと思った。
今日は一学期の終業式。
つまり、明日から待ちに待った夏休みだ。
千春はうだるような暑さと校長の長話にはだいぶくたびれたが、どうにか乗り切った。
千春は自分のクラスの教室で席についていた。
給食の係りが分担しておかずをつぎ分けている。
生徒の分の給食の準備が整うと、クラス担任の白川哲也が最後に自分でおかずをつぎ分けた。
白川は生徒のつぎ分ける量に不満があるのかいつも最後に自分の給食を自分自身で用意する。
しばらくして全員の席に給食が行き渡った。
日直が「いただきます」の号令をかけて全員が食べ始めた。
今日は一学期最終日ということもあり、大きいおかずは人気メニューの皿うどんだった。
給食は六人で机を向かい合わせて食べる。
千春の左斜め前に座っている佐野美咲が、千春の左隣に座っている徳島茜に話しかけた
「ほら、皿うどん人気だからなくなっちゃうよ。今日はあんまり余らなかったんだから。おかわりするなら早く行かないと」
佐野は今週は大きいおかずのつぎ分けの係りだった。今日は皿うどんのつぎ分けを担当した。
「それもそうだね。美咲も行こう」
徳島は答えて佐野と二人でおかわりの列に並んだ。
千春はおかわりの列の先頭に並ぶ佐野とそれに続く徳島を見てさすがは運動部の食欲だと思った。
どちらもこんがりと焼けた肌がよく似合っている。
ソフトテニス部だ。
おかわりの列から二人が帰ってくると、また六人で談笑しながら給食を食べ進めた。
夏休み前だけに全員テンションが高く話は大いに盛り上がった。
するとその時だった。「ガタガタ、バタン!」左側で大きな音がした。
千春は慌てて左に目を向けると徳島が口から泡を吹いて倒れている。目は白目を向いている。
しばらく苦しそうにのたうち回って動きが止まった。
千春は呆然とした。
保健の授業で救急救護は習っていたが、いざ目の前にその状況があると体は動かない。
それどころか言葉も出なかった。
担任の白川が叫びながら徳島のところに駆けつける。
「どうしたんだ!?」
佐野が泣きそうな震え声で答える。
「茜が倒れました」
白川は自分のスマホで119とタップした。
そして千春に向かって言った。
「急いで職員室に知らせろ!」
千春は職員室に向かって廊下を全速力で走った。
その日、千春が帰宅して家にいるとインターホンが鳴った。
家にいるのは千春だけだったので、千春は玄関の扉にチェーンをしてから少し玄関の扉を開けて訪問者の顔を見た。
すると訪問者が言った。
「実の兄にそこまで警戒する必要ないだろう。まあ用心するに越したことはないが」
訪問者は兄の柳振一郎だった。
「お兄ちゃん帰ってきたの?それならそうと連絡してくれたらいいじゃん」
「ああ確かに。連絡し忘れていた。まあ夏休みは毎年帰省しているから別にいいだろう。もう8回目だ。」
千春は振一郎にあきれた。
振一郎は大阪にある西帝大学理工学部の博士学生だ。
博士というのは、4年間大学に行って学士の資格を取り、さらに大学院で2年間研究して修士の資格を取り、さらに3年間研究することで得られる資格らしい。
振一郎は博士課程2年生の大学8年目だ。
振一郎は昔から普通の人とは違って頭が良かったが、逆に普通の人に備わっている気遣いのようなものが欠けていると千春は思っている。
「それで殺人事件の方はどうだったんだ?」
千春は驚いた。
「なんで知ってるの?まだニュースにはなってないと思うけど」
「中学の同級生に大澤という刑事がいる。その大澤が今回の事件を担当するらしい」
実家に帰った次の日の夕方、振一郎は浦上中学校近くのしゃぶしゃぶ屋に来ていた。
大澤と久しぶりに連絡をとったついでに飯に行こうということになった。
わざわざ帰省したのに全国チェーンの店を選ぶのもどうかと思うが振一郎と大澤にとっては思い出のある店だ。
「いや、久しぶりに来たがこの店は何も変わらんな。しかし大澤が長崎県警の捜査一課とは驚いた」
「まあ、中学の時の俺からは想像つかんだろうね」
「全くだ。サッカー部で一番のいじられキャラといえば大澤だったからな。凶悪犯罪者担当の捜査一課は似合わん」
「まあ振一郎の方が天然でいじりどころは多いんだけどな。でもサッカー部のエースだけにいじりずらかった」
振一郎と大澤は浦上中学校で同じサッカー部に所属していた。
「しかし、今思えば大澤には刑事になる予兆はあったかもしれん。大澤はとにかく度胸があった」
「度胸なんてあったか?」
「中学の時に大澤は好きな女子に思い切って告白しただろ。そのセリフが『俺様と付き合ってくれ。YesかNoか。YesかNoか。』だったな。こんな告白は並の男にはできん」
「昔のことを掘り起こしてバカにするな」
二人は昔話で大いに盛り上がった。しばらく続いた後で振一郎は大澤に事件の話を切り出した。
「浦上中の殺人は死因はなんだったんだ?」
「亜ヒ酸だ。和歌山毒物カレー事件なんかでも使われた薬品だ。被害者の給食の皿うどんから亜ヒ酸が検出されたんだ。苦しかっただろうな。亜ヒ酸の急性中毒らしいから相当の量だよ」
「亜ヒ酸なんて劇薬がよく手に入ったもんだ」
「いや、亜ヒ酸は古い農薬なんかによく使われていた。だから入手自体は一般人でも可能なんだよ」
「じゃあ亜ヒ酸が使われていたからといって容疑者を絞り込むことはできないわけか」
「そういうことだ。まだまだ詳しい捜査が必要だよ」
「まあ母校のためにも頼んだよ。刑事さん」
「任せとけ」
二人は店を出た。
実家住まいの大澤と振一郎はそれぞれの家の方向に昭和町通りを歩き出した。
夜の9時ごろに振一郎が家に帰ってきた。
千春は趣味のお菓子作りをしている最中だった。
振一郎がキッチンを覗き込みながら千春に聞いた。
「何を作ってるんだ?」
「ゼリーだよ。ゼラチンを溶かして冷やすと固まるの。だから溶かしたゼラチンに砂糖やジュースを入れて固めると甘いゼリーになるの。簡単でしょ」
「そうか、じゃあ完成したら一つ頂こう」
「うん、いいわよ。一時間くらい冷やしたらできると思うから待ってて」
ゼリーができるのを待つ一時間に振一郎が研究の話をしてくれた。いつもは感情がなさそうな振一郎が研究のことを話すと別人のように熱く雄弁になる。そんな振一郎の話を聞くのが千春は楽しかった。千春は高校生になったら理系に進みたいと思っている。無論、振一郎に憧れてのことだ。振一郎の話を聞いているとあっという間に一時間が過ぎた。
「そろそろできたかも」
「それは楽しみだ。さあ食べさせてもらおう」
千春は二つのゼリーを冷蔵庫から取り出した。よく固まっている。一つを振一郎の前のテーブルに置いた。振一郎はすぐに食べ始めた。
「どう?」
「うまいな。程よい甘みだ」
「それはよかった」
千春は振一郎に褒められて少し口角を上げた。
お世辞を言うタイプではない兄の褒め言葉はストレートに受け取れる。
「次は何を作って欲しい?リクエストしてくれたら今度作ってあげる」
千春は得意になって言った。
「千春の好きにしてくれ。別に好みの菓子なんかない」
急にぶっきらぼうな態度になって振一郎は言った。
千春は振一郎のことを改めて気が使えない兄だと認識した。
大澤は上司の横井と二人で捜査の方針を話し合っていた。
「亜ヒ酸がいつどこでいれられたかを絞り込む必要がありますね」
「そうだな。どのタイミングで毒が入れられたかわかるだけで容疑者は絞り込める」
「つぎ分ける前に入れられていたなら全員の皿うどんから亜ヒ酸が出るでしょうね」
「逆に被害者の皿うどんからしか亜ヒ酸が出ないならつぎ分けた後ということになる。まあ亡くなったのは被害者だけだから前者の可能性は限りなく低いだろうがな」
「いずれにしても今日、鑑識の成分分析の結果が出ますから。すぐにわかりますよ」
二時間後、成分分析の結果が大澤たちの元に届いた。
それは被害者以外にも同じクラスの7人の生徒の皿うどんから微量の亜ヒ酸が検出されたという意外なものだった。
「これは一体どういうことでしょうか」
「皿うどんから亜ヒ酸が検出された生徒のリストを持って聞き込みしてこい!」
「わかりました!」
大澤は浦上署を急いで駆け出した。
大澤は生徒を学校に集めて、皿うどんから亜ヒ酸が検出された一人一人に事情を聞いた。
そしてその七人にはある共通点があることがわかった。
七人全員が皿うどんをおかわりしていたのだ。
そしてさらに事件の日に体調を崩したり激しい嘔吐をしたという生徒が七人中に五人いた。
次に皿うどんから亜ヒ酸が検出されなかった生徒を集めて事情を聞くと誰一人としておかわりしていなかった。
最後に大澤は被害者と同じ班で給食を食べていた五人からも当時の様子を聞いた。
すると被害者はおかわりをする前に少し皿うどんを食べていたという証言が取れた。
班員の五人のうちの一人は覚えていなかったが、他四人からは間違いなく食べていたと証言した。
大澤は浦上署に戻り横井に捜査結果を報告した。
「ということは亜ヒ酸が入れられたのは皿うどんをつぎ分けた後から一人目がおかわりするまでということか」
「そういうことになります。被害者がおかわりをする前に皿うどんを口にしたときは異常はなかったみたいなので」
「一人目におかわりをしたのは誰だ」
「はい。佐野美咲という女子生徒です。被害者と同じソフトテニス部に所属していました。話を聞いているときに終始泣いていましから余程仲が良かったのでしょう」
「それはかわいそうにな。それと他につぎ分けた後に皿うどんの大容器に近づいた人間はいないのか?」
「もう一人います。白川哲也というクラス担任です。白川は給食の時は生徒の分がつぎ分けられた後に、最後に自分の分を自分でつぎ分けるそうです。そのことについて白川は食べ盛りの生徒につぎ分ける量は自分にとって多すぎるからだと言っていました」
「確かにうちの中学生の息子もめちゃくちゃに食べるからな。わからなくはない。ということで亜ヒ酸を混入させるのが可能なのはその佐野という女子生徒と白川という担任ということだな」
「はい。一気に容疑者を二人に絞り込めました」
すると横井がニヤリと笑っていった。
「いや、もう容疑者は一人に絞れてるんじゃないか」
「それはどういうことですか」
「亜ヒ酸を使った毒殺だぞ。現実的に中学3年の女子のやり方ではない」
「といいましても入手するのは不可能では無いですから」
「まあ白川が限りなく黒に近いグレーということだよ」
そのとき、横井の携帯が鳴った。
横井は電話に出て二言三言だけ会話をして電話を切り大澤の方を向いて言った。
「被害者の検死が終わったらしい。死因は亜ヒ酸で間違いなかった。そうなんだが…」
「どうしたんですか」
「被害者が妊娠していたらしい。妊娠3ヶ月だ」
大澤は唖然とした。
千春は最近の警察の聞き込みの変化が気になっていた。
今までは当時の状況や周りの様子の質問が中心だったのに、最近では人間関係の質問がものすごく増えた。
「徳島茜が付き合っている男子はいなかったか」なんてことまで聞いてくるようになった。
そのことを振一郎に話すと、振一郎は見解を述べた。
「それは被害者と近しい関係にあった人物が事件に深く関わっているの可能性が高いという事実が出てきたってことだろう」
「たとえば?」
振一郎は少し間を開けていった。
「被害者が妊娠していたとか」
「妊娠!?」
「いや、たとえばの話だ。忘れてくれ」
千春は予想だにしていなかった答えにたじろいだが、あながち間違いでも無いような気もしていた。
大澤は被害者の徳島茜の家を訪ねた。
それは住吉の森という閑静な住宅街の一角にあった。
徳島茜の母親の徳島紀子が大沢を迎えた。
紀子はいかにも品のある家庭の貴婦人という感じであった。
大澤は居間に通された。
「この度はお気の毒でした」
「まだ茜がいない実感がないんです。どうしてうちの子がこんなことに」
紀子は涙を流し震えた声で言った。
「今日はお母様にお聞きしたいことがあってきました」
「なんでしょうか」
「覚悟してお聞きください。検死の結果、茜さんは妊娠していました。お心当たりはありますか」
「妊娠!?」
紀子の目は見開いていた。
「はい。妊娠3ヶ月目でした。そのご様子では心当たりはなさそうですね」
「そのようなことは全く聞いておりません」
「そこで今日はお願いがあるのですが、茜さんの携帯電話の中身を確認させてもらいたいのです。通話履歴やトーク履歴から茜さんの相手の男を見つけ出せれば犯人の特定に大きく前進できます。未だに茜さんを妊娠させたという男は現れていません。ですから警察としてはその男が事件に深く関わっている可能性が高いと踏んでいるのです。どうかお願いできませんか」
紀子は目を閉じて数秒間沈黙してから目を開き言った。
「わかりました。よろしくお願いします」
大澤は徳島茜の携帯を浦上署に持ち帰り通話履歴やトーク履歴を調べた。
すると驚くべきとも言えるが何となく予想していた結果がそこにあった。
徳島茜と担任の白川が恋人関係にあったことが濃厚だと思われるトーク履歴が見つかったのである。
振一郎は大澤と相変わらず全国チェーンのしゃぶしゃぶ屋で夕飯を食べていた。
大澤から容疑者を逮捕して事件が片付いたことを祝おうと連絡が入ったのだ。
強めの酒の入った大澤は振一郎に捜査内容を洗いざらい話した。
振一郎は刑事に守秘義務はないのかと心配になったが、これも友達として信頼してくれているのだろうと捉えた。
大澤は続けた。
「そしてだな。その後にその教師のDNAを調べると、被害者の腹の中にいた胎児のDNAと一致したんだ。これでこの事件の動機は見えてきたんだ」
「警察は動機をどう考えたんだ?」
「女子生徒との関係がバレたらクビになる男性教師、子供を産みたい女子生徒、その間の関係がこじれたみたいなことだ」
「しかし毒は被害者の他におかわりをした生徒全員の皿うどんに入っていたんだろ。徳島茜だけを狙ったとは考えにくいだろ」
「白川は被害者の徳島茜が死ぬかどうかはどうでもよかったんじゃないのか。もしかしたら最初から誰一人として殺すつもりはなかったという線もあるな。ちょっと脅かすくらいで。現に徳島茜の他におかわりした数人は体調を崩したくらいで済んでるわけだし」
「そうすると、警察は無差別な犯行で偶然にも容疑者の恋人の徳島茜が死んだと考えているわけだ」
「まあ、そういう見解だ」
「ちょっとした脅しに亜ヒ酸なんて正気じゃねーぞ」
「暴力犯罪するような奴にまともな奴なんてなんいねーよ」
「それでその教師は犯行を認めているのか?」
「いや。真っ向から否認してる。否認(ひにん)の前に避妊(ひにん)しろってんだよ」
「その冗談は笑えないな」
「まあいくら否定してもこれだけ状況証拠が出てくれば言い逃れはできないだろうな。裁判で白川に勝ち目はないよ」
「そうか…」
大澤に聞いた警察の捜査の流れは非常に論理的だった。
しかし、振一郎は何か違和感を感じていた。
警察の捜査は白川という獲物の首を着実に絞めていくかのように見えた。
しかし、それはまるで何者かに首を絞めさせられているようでもあった。
千春は出来上がったケーキを見て思わず笑みが溢れた。自分のお菓子作り史上で最高の出来だ。
振一郎に早く食べさせたい。
あの無愛想な兄も思わず溶けたような表情をするだろうと思った。
すると振一郎が帰ってきた。
「おかえり。今日ケーキ作ったんだよ。食べて」
「では一つ頂戴しようか」
振一郎は帰ってくるなり真っ先にダイニングテーブルの前の椅子に座った。
千春は振一郎の前に渾身の手作りケーキを用意した。
振一郎は理科の実験で何かを観察するかのようにケーキをまじまじと見つめて言った。
「この見た目は100点だな。まあ肝心は味だがな」
そしてケーキをフォークで切り分けて口に運んだ。
振一郎はケーキを噛み締めながらまさに溶けたソフトクリームのような顔をしていた。
「この前のゼリーの10倍は手間がかかったんだから」
「カシャン」
千春がそう言った時、急に振一郎が手からフォークを落とした。
さっきまでの表情は完全に鉛のように固まっている。
振一郎は言った。
「そんなはずはない*
「どうしたのお兄ちゃん」
「いや、そんなことできるはずがないんだ」
振一郎は携帯電話を取り出して誰かに電話をかけ始めた。
「もしもし大澤か。柳だ。被害者の皿うどんの成分分析はどのように行われたんだ…やはりそうか。だったらもう一度詳しく成分分析して皿うどんに含まれている成分を一つ一つ洗い出すんだ。そして他の生徒の皿うどんと比べてみろ。僕の仮説では被害者の皿うどんのみからある物質が出てくる…ゼラチンだ」
千春には振一郎の電話相手の声は聞こえなかったが、振一郎の血相を変えた表情からただごとではないことだけは分かった。
翌日の昼ごろ、振一郎の携帯電話がなった。
電話に出ると大澤からだった。
「もしもし振一郎か。お前のいう通りだ。被害者の皿うどんからゼラチンが検出された。しかしいったいゼラチンが今回の犯行どう関係するんだ?関係があるんだったら教えてくれよ」
振一郎は少し間をおいて言った。
「今日の夕方、いつものしゃぶしゃぶ屋に来てくれ」
大澤がしゃぶしゃぶ屋に着くとすでに振一郎は席につき神妙な顔をしていた。
大澤は振一郎と向き合うように座った。
「さあ振一郎、教えてくれよ」
「この話は捜査を一から振り返る必要がある。まず警察はなぜ容疑者を白川と佐野に絞り込むことができたんだ?」
「それは被害者の徳島茜の給食がつぎ分けられてから食べ始めるまでの間、徳島茜は給食から離れていない。よってその間は何者かが亜ヒ酸を被害者の給食に入れることができない。さらに徳島茜はおかわりをする前に少し皿うどんを口にしているが異常はなかった。またおかわりをした全員の皿うどんに亜ヒ酸が含まれていたのでつぎ分けが終わってからおかわりをするまでの間にクラスの大容器に亜ヒ酸を混入させたと考えたんだ。徳島茜は2番目におかわりをした。そうすると亜ヒ酸を大容器に入れることができるのは最後に大容器から自分の分をつぎ分けた白川と最初に大容器からおかわりをした佐野ということになる」
「そうだな。じゃあこう考えてみよう。徳島茜の皿うどんには、はじめに大容器からつぎ分けられた時点で致死量の亜ヒ酸が含まれていたとしたら」
「だからそれは不可能だろ。つぎ分けられてからおかわりするまでの間に被害者は皿うどんを口にしている」
「いや、その時に亜ヒ酸は確かに皿うどんの中にあったんだ。だが被害者がその亜ヒ酸を口にすることはなかった」
「そんなことが可能なのか?」
「ゼラチンがあればな」
「どういうことだ」
「ゼラチンで亜ヒ酸を包むんだよ。それを皿うどんの底に沈めておく。ゼラチンは50~60度でゆっくりと溶ける。だから皿うどんを食べ進めるにつれて亜ヒ酸が皿うどんの中に溶け出してくる。溶ける時間はゼラチンの量で調節可能だ。さらにゼラチンは無味無臭だから気づくことは困難だ」
「じゃあ被害者の他におかわりした全員の皿うどんに入っていた亜ヒ酸はどうなるんだ」
「それは犯人のカムフラージュだろうな。徳島茜の皿うどんにだけ致死量の亜ヒ酸を仕込んだことを隠蔽する役割だ」
「とすると…」
「そう。それができるのは佐野美咲だけだ。ゼラチンで包んだ亜ヒ酸を徳島茜の皿うどんを大容器からつぎ分けるときに入れたのも皿うどんのつぎ分け係の佐野だ。カムフラージュ用の微量の亜ヒ酸を皿うどんの大容器に入れたのもおかわりを一番目にした佐野だよ。徳島茜の皿うどんからしかゼラチンは検出されていない。徳島茜の皿うどんにだけに異物を入れることができるのは佐野だけだ」
「確かに完璧な論理だ。しかしまさか女子中学生があんなことを」
「先入観の沼にハマった時点で警察は負けだ。この犯行は明らかに白川に罪を被せようと計画が練りに練られている。僕の仮定だけど白川と佐野の間を調べてみれば何か出てくると思う」
大澤ら捜査一課の取り調べで白川と佐野は1年前、交際関係にあったことを自供した。
佐野の供述は次のようなものだった。
佐野はある日、親友だと思っていた被害者の徳島に白川の子供を妊娠したことを明かされた。
佐野は自分を捨てて別の女を妊娠させた白川と
佐野と白川の関係を知らず嬉しそうに妊娠のことを語ってくる徳島のことを激しく憎悪した。
そして祖父の畑の小屋で亜ヒ酸を見つけた時、これでどうにか殺してやろうと考えた。
最初は二人とも殺すつもりだったが、佐野は完璧な犯行を思いついた。
それは徳島を肉体的に殺し、白川を社会的に殺すものだった。
佐野は残酷なゼラチンのトリックは、同じクラスのお菓子作りが好きな友達にゼリーの作り方を教わった時に思いついたと供述した。
大澤は佐野の取り調べをしながら中学生を相手にしているとは思えなかった。
佐野は残酷な魔女のようだった。
彼女は取り調べ中ずっとうっすらと笑っていたのだ。
それはとても満足そうな笑みだった。
振一郎は大澤から佐野美咲の取り調べのことを聞いた。
目の前では嬉しそうに千春がお菓子を作っている。
千春は知らないのだろう。
自分が作ったがお菓子が振一郎が真相に導いたことを。
そしてまた千春は知らないのだ。
自分の教えたゼリーの作り方が殺人鬼をつくってしまったことを。
このことを知れば、きっと千春は大好きなお菓子作りを心から楽しめなくなだろう。
振一郎はこのことを千春に絶対に話さないと決めた。
振一郎は「ゼラチンだ」と電話で言っていた。
千春はゼリーの作り方を教えた時、佐野が狂気に満ちた表情でうっすらと笑ったことを思い出した。
千春は悟った。
自分の教えたゼリーの作り方が佐野に何かしらのヒントを与えてしまった。それはおそらくこの事件に繋がっている。
振一郎は自分が解決に導いたこの事件のことを一切千春に話さなかった。謎解きや難しい物理の問題が解けた時はあんなに自慢してきたくせに。
事件が解決して振一郎は早々と家を出て大阪へ戻った
千春は悟った。
振一郎は意外と気の遣える兄なのだ。
END
中学校給食殺人事件 @iwasakitukuru
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