陛下、風呂で疲れを癒す

 結局その日は一日中執務漬けだった。

 時折、面会などもあったりしたが、ほとんどは山積みされた書類の処理に忙殺され続け、城からどころか執務室からも出ることは叶わなかったのだ。

 執務室の固い椅子に座りっぱなしで、凝り固まった筋肉達。疲れ切った体が求めたのは、栄養補給よりも入浴だった。


「あぁ~……」

 

 熱い湯に肩まで浸かった瞬間、溜まった疲労が口から吐き出されていく。

 少し熱めのお湯は凝り固まった筋肉を芯から暖め、骨ごと蕩けてしまいそうになる。


「ダメだぁ……いま皇帝として、ひとにみせられないかおになってる……」


 そこは浴場と名乗るにはあまりに心もとない大きさだ。

 バルド一人がちょうど足を伸ばして入れる程度の湯船と洗い場。観賞用に小さな壁絵や花が僅かに置いてあるだけで、それこそ一般的な風呂場よりも少し大きい程度。貴族達の屋敷にある浴場の方が広いほどだ。

 バルドは、何事も過剰に豪勢にすることを好まない。

 復興で城の浴場に手をつけるどころではなかったといのもあるが、それ以上にバルド自身が落ち着かないのだ。

 入浴というプライベートな時間くらい、一人で落ち着きたい。そんなバルドの要望から、入浴中の世話をする専用の従者なども置いていないほど。

 湯船に浸かった裸の皇帝は、ぼうっと天井を眺める。

 湯気で隠された天井からは、時折水滴がしたたってきた。


「今日は、城下には降りれなかったな……」


 マリーヤの兄の情報はいまだ掴めていない。

 兵士であることに間違いがないのなら、そう難しい調査ではないと思っていたが、クロエからの報告は今のところ何もない。もっとも、密輸の件も調べさせているので多少の後れは仕方がないとは分かっていた。


「そう、そのクロエだ……」


 先日の放火事件以来、僅かだが変化が見られる。

 以前は命令をこなすだけの、それこそ人形のような冷たい感じが強かった。

 しかし昼間見せたように、様々なことに興味を持ち、冗談を言ったり。今まで見せてこなかった一面が垣間見えつつある。

 それは、バルドにとっても嬉しい変化であった。


「そうか……あのクロエがな」

「お呼びでしょうか」

「うおぉっ!?」


 天井を眺めていた視界に、突如クロエの顔が現れた。

 いきなり現れたクロエの姿に驚き、バルドはまるで溺れるように湯船に顔を沈めてしまう。


「び、ビックリしたぞクロエ……」


 湯船から顔を出したバルドが驚きのまま答えた。


「失礼致しました。私をお呼びかと思いまして」

「だ、だからって……こんなところにまで」


 クロエを呼び出すことはよくあること。

 しかしここは、いつもの執務室や私室などではなく風呂場。バルドも皇帝である前に男である以上、入浴中に突然女性のクロエが現れれば驚きもする。


「お呼びとあらばいつでも参ります。浴場であろうと寝室であろうと」


 意味が分かっているのか、いないのか。彼女はいつものように淡々と冷ややかに答えるばかり。

 そんな時、ふとバルドはクロエの姿が気になった。


(ここは、風呂場……)


 彼女はいつも、その場に合わせた格好をしている。

 城ではメイドの姿を、城下では一般女性の服を、そして戦闘時には影追人の戦闘服を。

 そう、ここは風呂場なのである。

 風呂に入るには、誰しも服を着たままというわけにはいかない。


(ま、まさかクロエ……!)


 湯の温かさとは別な熱さが体中を駆け巡り、妙な興奮が頬を赤くさせていく。

 バルドの目線が、チラリとクロエの体へ向けられる。

 見てはいけない。そんなことはバルドも分っていた、分かっていても――抗えない。皇帝の力を持ってしても抗うことこの出来ない、年頃の男性特有のどうしても気になってしまうその本能は、容易に皇帝の力をねじ伏せてくる。


「――!」


 湯気の上がる風呂場。視界の端に彼女の姿が僅かに映る。

 細い指先が見えた。普段滅多に目にすることの無い小さな指達。

 足首も見えた。そしてしなやかで張りのある臑も。

 ゴクリと喉が鳴った。

 視線も徐々に上へと向いていく。膝、ふとももと目に入り――


「……………………」


 視界に映ったのは、縛り上げられたロングスカート。

 白と黒のエプロンに耳まで隠れるメイドキャップ。

 そう――彼女はいつものメイド服のままだった。


「なにか?」

「ああ、いや……なんでもない」


 冷ややかな目線と淡々と尋ねるクロエに、バルドも途端に冷静に。

 今までの興奮はどこへやら、情欲に振り回された自分が情けなく、罪悪感が一気に押し潰しにかかってきた。


「と、とにかく……用はないから」

「左様でございますか」


 一瞬、彼女の返事がどこか残念そうにも見えたが、様々な恥ずかしさで押し潰されそうになるバルドは気のせいだろうと思い込もうとする。

 そんなバルドの気持ちも知らず、彼女は言った。


「でしたら、せっかくですので」

「?」

「お背中でも流させてください」


 あくまでも、淡々と。

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