執務に忙しい陛下

 翌日、バルドの執務室は実に忙しかった。


「最近、妙に忙しい気がするんだがな……」


 机の上に山のように積まれた書類の中で、バルドがぼやく。

 若き皇帝は城下に降りて遊び回っていたわけではない。

 その日の仕事はその日のうちに片付け極力仕事を残さず、だが決して手を抜かない。そうして日々の政務に勤しんでいた。

 それなのにここ最近、不思議と処理すべき仕事が増えている。そんな気がしてならなかったのだ。


「当然でございます、陛下」


 爺が新たな書類を重そうに運んでくると、ようやく処理した書類の山の跡に、新たな山を作っていく。


「どなた様かのおかげで、帝国の様々な諸問題が浮き彫りになられたのですから」


 この短い期間のバルドの活躍はめざましいものだった。

 人々の生活を脅かす小さな問題から、国を揺るがす大きな問題まで。バルドの活躍は確実に帝国に住まう人々を救うものである。

 だがそれは同時に、帝国の抱える多くの諸問題も表面化されてきたのだ。


「せっかく城下に行ってもいいと、爺の許可が下りたというのに……」

「許可などしておりませぬ。大目に見ているだけです」


 やってもやっても終わらず、どんどん積み上がっていく書類の山を前に、バルドもため息を溢してしまう。


「まあ政務を先送りにせず、早め早めにこなしていたことが幸いしましたな」


 爺のどこか楽しげな一言が、今日ばかりは憎らしかった。

 今日は城下に降りれないな。そんなことを考えながら、次の書類に手をつけようとした時だ。


「失礼いたします陛下」


 執務室の扉の前で、メイド姿のクロエが丁寧にお辞儀をしていた。


「今し方、ロマーリオ将軍がお目見えになられました」

「お、ちょうどいいところに。かまわん通してくれ」

「陛下、執務がまだ」

「いいではないか、ちょっとした休憩みたいなものだ。それに、将軍が玉座での正式な面会ではなく、わざわざ執務室に来たのも気になるだろ」

「まあ、そうでございますが……」

「そうと決まれば早い。クロエ、お茶の用意を。ついでになにか甘い物も食べたいな」


かしこまりました。と丁寧にお辞儀をし、クロエは執務室を出た。


          ※


 クロエが用意したお茶菓子はカステラだった。

 紅茶の香りと良く合う程よい甘さに、いつもであればバルドも舌鼓を打つところ。

 しかし、もたらされた話の内容は、口に残る甘さを吹き飛ばすに十分なものだった。


「武器の密輸だと?」


 応接用のソファに席を移したバルドが聞き返すと、正面に座る岩のように彫りの深い顔が神妙な面持ちでゆっくり頷いた。

 ロマーリオ将軍は、このアリエスト帝国の城と城下の防衛を任された軍の最高指揮官だ。大戦時から軍を率い、今では爺に次ぐ老齢の臣下。

 しかし歳老いたと言っても軍の采配には定評があり、手堅い手腕と隙の見せぬ統率力は、バルドであっても敵わぬと言わしめるほどである。


「はい。船舶の積み荷を臨検していた兵の一人が、偶然申請にない積み荷を発見。中を確認致しましたところ、大量の武器が積み込まれていたとのことです」


 厳格そうな見た目からは想像しにくい、柔らかな物腰と言葉遣いで、ロマーリオは粛々と報告をしてきた。


「密輸はゆゆしきことじゃが……偶然とはいえ摘発できたのならば、わざわざ陛下にご報告するようなことでもあるまい」

「ごもっともございます……ですが、実は少々奇妙なことがありまして失礼ながら玉直接執務室に参った次第です」

「奇妙とは?」


 バルドの疑問に、ロマーリオは端的に答えた。


「実は、その密輸された武器なのですが……本来どこに運び込まれる予定だったのかが、まるで分からないのです」


 将軍の報告に、爺の頭の上には疑問符が浮かぶ。


「どういうことじゃ? 船に積載されていたならば、どこかに運び込まれるのは当然。それが分からんとは、一体どういうことじゃ?」


 ロマーリオのもとに上げられた報告によると、密輸品を運んできた船の船員、船長、ならびに船の所有者全てに尋問した結果、その全員が関与を否定。

 しかも、船員からは荷を運び入れたことも把握しておらず、どこから運び込まれたのか、また誰が運び込んだのかも不明だという。


「実は、似た様な件は既に何件か起こっておりまして……そのどれもが、運び込まれたものは武器で、行き先も不明なものばかりなのです」

「ううむ……」


 奇妙な報告に、バルドも思わずうなる。

 ロマーリオ将軍は付け加えるように、自らの考えを話した。


「どこへ運ばれるのかが不明である以上、恐らくは売買が目的、というのは考えにくいと思われます」

「うむ。そうであろうな」

「ですので、これはあくまでも可能性の話にはなりますが……この帝国に反旗を翻そうとしている者がいるのかもしれません」

「まさか……反乱とな!?」


 思わず飛び出てしまった言葉に、爺もとっさに口を抑えてしまう。


「確たる証拠もなく、いまだハッキリとはしておりません。しかし事が事なため、勝手ながら正式な場ではなく、こうして内密にお話をさせていただいた次第です」


 申し訳ございません、と将軍は皇帝陛下へと頭を下げる。


「いやそのことは構わない。それで密輸した武器は今どこに?」

「現在は臨検を行った第一師団の衛兵隊の屯所にて保管を。あそこならば奪われるということもまずないでしょう」


 何かしらの目的で運び込んだ者がいる以上、それを取り返そうとする者は必ずいる。しかし、衛兵の屯所が管理しているとなれば、おいそれと手は出せないはずだ。


「現状では推移を見守るしかないか……とりあえず明日、衛兵の師団長を呼び出し、話を聞くとしよう」

「ありがとうございます、陛下」

「しかし陛下。反乱を、それもこの城下で起こすなど、ありえるのでしょうか」


 そんな疑問を抱く爺に、将軍が答える。


「昨今、兵の募集で城下には人が大勢集まってきています。よからぬ事を企む輩が紛れてもおかしくはないでしょう」

「ふうむ……」

「それに、兵達の中には剣を持って戦えるものと思っていたのに、田畑の開墾や街道整備ばかりで不満が溜まる者も多く、そういった者が扇動されないとも限りません」

 

 そうだな、とバルドも頷く。


「最近兵達の素行の悪さが目立つと、余の耳にもよく聞こえてくる」


 その件についても詳しく話を聞こうと、バルドも思っていたところだ。


「ともかくこの件は非常にデリケートな問題になるだろう。皆、気を引き締めて対応に当たって欲しい」


 はは、と短く返事をする爺と将軍。

 すると、爺からすすり泣くような声が上がる。


「陛下……本当にご立派になられましたな」

「なんだ爺、突然」

「いやいや爺殿の言うことももっともかと。昔の陛下をご存じであれば誰もそう思いましょう」

「おいおい将軍まで……」

「それほど、昔の陛下と今は違うのですか?」


 尋ねたのは、紅茶のお替わりを持ってきたクロエだ。


「おお、陛下のことにご興味をもたれるとは、クロエ殿には珍しいことですな」

「とんでもございません。かつての名残で情報収集は癖になっておりまして」


 ロマーリオ将軍も、クロエの出自を知っている数少ない人物の一人だ。

 かつてのクロエならば話を耳にしても、興味も示さず表情も変えず、ただ淡々と職務を全うするだけのどこか人形じみた感じがあった。


「そのような冗談を言うとは。クロエ殿も少し変わられましたかな」

「畏れ多いことです」


 丁寧に頭を下げるクロエに、かつての冷たい感じは残ってはいたが、それでも僅かに覗き見える人間味に、ロマーリオも孫の成長を見るように、微笑ましい目で眺めている。

 火事の一件以来、明かな変化がある。そんな彼女の変化にバルドもどこか嬉しく思っていた。

 

「子供の頃の陛下は、それはそれはもう、やんちゃもやんちゃよ」

 

 まるで懐かしい思い出を語るように、爺は語り出す。


「陛下は五分と同じ場所に座っていられず、勉強もそっちのけで人一倍駆け回って……この老体はいつも手を焼かされておりましたとも」

「大戦の時もそうでしたね」


 今度はロマーリオ将軍が昔を思いながら話し出す。


「魔獣が現れると知るや誰よりも早く駆けつけ、なにも考えずに敵の真っただ中に飛び込んでいって。帝国の至宝の大剣を持ち出して振り回すは、覚えたての魔法をバカスカ打つは……勇猛果敢というか暴れん坊と言うべきか。見ているこっちはハラハラさせられたものです」

「そうそう。あの頃の陛下ときたら、帝国の皇太子とは思えぬほど、口も態度も悪くて、まるでヤクザ者のようでしたとも」


 思わず爺が涙ぐむ。


「それがまさか、このようにどっしりと構え、風格と威厳を兼ね備えた立派な方になられるとは……」

「……爺、いくらなんでも言い過ぎだろ」

「そうでございましたか。ですが、城を飛び出す癖は治ってはいないようですが」

「クロエ、お前までな……」

「なーに。そうさせないために、儂が日々、政務を持ってきておるのじゃよ」

「んん……? ちょっと待て爺」


 バルドが声を上げた。


「まさか最近やたら忙しかったのは、お前……!」

「はて、何のことでございましょうか? 歳のせいかどーも物忘れが激しくて」 


 とぼける素振りを見せて、ロマーリオとクロエも笑い出す。


「まったく……」


 呆れ果てたバルドは、目の前にあった食べかけのカステラをフォークも使わず手づかみで口へと運び、豪快に頬張る。

 ほのかな甘みは、口の中に優しく広がっていった。

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