陛下、怒る

 魔獣との大戦は終わった。しかし、絶滅に至ったわけではない。

 各地で生き残った個体や群れも少なくはなく、僻地での目撃は絶えることはない。

 だがそのほとんどは、人間ほどの体格の小型種から中型種がほとんど。

 そのなかにあって、大型種は目撃されること自体が珍しい。

 この魔獣、ワーウルフはそんな大型種の一種だ。


「ははっ! やれ、やってしまえ!」

 

 魔獣の主人たるボストロは、妙に興奮しながら叫ぶ。

 屋敷の地下から現れた以上、彼がこの魔獣を城下に持ち込んだのは明かだ。あのエイチゴが密輸してきたこともすぐに予想がついた。

 冷静に判断するバルドの頭とは別に、その体は怒りに震えていた。


(生きた魔獣を、城下に入れるなど……ッ!)


 大戦のなか、魔獣に苦しめられてきた人は大勢おり、いまだ恐怖を覚える者も少なくない。

 そんな人々を守り、慈しむためにバルドが作ってきたこの城下。そこに生きた魔獣を引き入れたなど、バルドの怒りがますます高まる。


「陛下!」


 屋根の上からクロエが叫ぶ。彼女の心配はもっともだ。

 仮に魔獣が街に解き放たれでもしたら、街中はパニックに陥り被害も果てしないものとなるだろう。

 かといってこのワーウルフに手を拱いていれば、ボストロ達を逃しかねない。


(この魔獣を相手に時間はかけられない――!)

「GOOOOOO――――ッ!!」


 バルドに向け、威嚇するように咆哮を上げるワーウルフ。 

 しかし、バルドはそんな獣に見向きもしない。目を閉じ意識を自身の内部に。 

 魔獣を前にして目を閉じるなど暴挙にも等しいなか、バルドの意識は魔力を練り上げることに注がれていく。


「天に溢れるその怒り、雲燿となりて地を焦がさん――」


 詠唱のように言葉を紡いで、魔力を一点に集中。

 剣を持たぬ左手の人差し指と中指が、天に突き出される。

 今まさにかぎ爪を振り下ろさんとするワーウルフに向け――バルドは叫ぶ。


「《雷光一閃》ッ!」


 叫ぶと同時振り下ろされた左の指達。

 その軌跡を辿るように、強烈な雷がワーウルフへと降り注ぐ。


「GUYAAAAAAAAAAAAAッッッ!?」


 悲痛な叫びと走る閃光。

 対魔獣の魔法は基本、大軍魔法。大挙して攻める魔獣を一掃するために使われる。

 そのなかにあって珍しい雷属性の単体魔法。

 強力な雷、光の如きスピードで飛来する魔法に防ぐ術はなく、稲光の熱量が、あらゆるモノを一瞬で焦がし尽くす。

 強烈な光、けたたましい音、強い衝撃。

 バルドの怒りが形となった雷は、ワーウルフの黒い体をさらに黒く焦がし、膝からガクリと崩れ落とす。

 ものの数秒――たったそれだけの時間で絶命したワーウルフ。

 その奥で唖然とするボストロを、バルドの鋭い目が――捉えた!


「――ッ!」


 中庭から廊下へ上がり、ボストロとエイチゴへとゆっくりと迫る。しかしその前に立ち塞がるボストロの私兵達。

 彼等とて、もはや目の前の相手が本物の皇帝と分っていた。

 そして、相手が皇帝ならば敵うわけがないとも。


「いやああっぐおっ……!?」


 だからといって、ここで逃げ出すことはできない。ここで逃げだしても待っているのは惨めな逃亡生活といずれ捕まり果てる末路のみ。


「で、でごっ!?」


 では降参すればどうか? 仕えていた主を捕らえ突き出せば、許してもらえるのではないか?


「はあぁっ! ぐぉッ⁉」


 いいやそんなわけがない。仕えた主人を簡単に突き出すような不義理な者を誰が許すと言うのか。仮に陛下がお許しになっても、世間はそう見てくれるはずもなし。一生、不忠者として見下され、詰られるだけ。


「で、でやあああああ――ぐはっ!?」


 彼等にもはや逃げ道はない。

 迫りくる皇帝の剣は、今も怒りを振りまいている。

 彼等に希望があるとするのなら――それは、目の前の皇帝と名乗る男を斬り、自ら道を切り開くほか無い。


「――っ!」

 

 しかし、そんな彼等をバルドは容赦なく斬り伏せる。

 一人、また一人。

 堂々と正面から来る者を、側面や背後から斬りかかる者を。物陰に隠れ不意打ちを試みる者を。

 それらを二合と斬り合うことなく打ち倒し、もはや立っているのはボストロとエイチゴのみ。追い回し、再び中庭に戻ってきた二人をついにバルドが追い詰める。

 

「うぅっ、いやああ!」


 エイチゴも懐の短剣を突き出し、皇帝へ迫る。

 しかし、バルドから見ればその稚拙な動きなど斬り合う必要もなく、突き出した手を軽く打ち払い、胴に強烈な一撃を叩き込む。


「くっ……」


 残るはもはやボストロのみ。

 彼もエイチゴ同様、腰に差した剣を抜く。


「こ、こうなれば……っお、お手迎え致す!!」


 反抗の意思を明確に示し、ボストロが駆けだす。

 エイチゴの稚拙な足取りと違い、巨体の迫力と合わさったボストロは意外にも勢いがあった。

 しかし、バルドは構えもみせない。

 それを好機と見たか、ボストロの駆ける勢いはさらに増し、威勢よく声を上げる。


「でやああああああっ!」

 

 突進するボストロ、無防備なバルド。

 だがその二人の間に、舞い降りる者がいた。

 黒猫のようにしなやかに、音もなく着地。

 突進し迫るボストロに立ち塞がったのは――クロエである。


「成敗――!」


 バルドが命ずる。

 その一言で、クロエは飛ぶようにボストロへ跳躍。

 すれ違いざまの煌めく一刀。それがボストロの巨体を切り裂いた。


「……ッ!?」


 勢いよく迫っていたボストロの足が止まる。

 一歩、二歩とよろめき、膝が崩れる。


「うぐっ…………な、なぜ……」


 その口からはうめき声と共に、嘆きの言葉が上がる。


「なぜ……っ陛下では、なく……貴様のような輩に、斬られねば……ッ」

「痴れ者が」


 答えたのは、クロエだった。  

 彼女はあくまでも淡々と言い放つ。


「貴様如き小悪党に『陛下に斬られた』などという栄誉を与えてなるものか」


 バルドが剣を振るい倒してきたのは人々の共通の敵、魔獣。

 そんな彼が悪党といえど斬ろうものならば、それは死してなお栄誉となってしまう。

 それはここまで倒してきた兵士達も同様だ。そのような栄誉を悪党如きに与える気などクロエには、そしてバルドにもない。


「くっ……む、無念……」


 ドスンと重い音が中庭に響く。

 巨体が地面に倒れ、そのまま命の灯は消え去った。


「そのような栄誉……」


 クロエは短剣を鞘へと収めながら、徐に呟く。

 

「そのような栄誉、我らとていまだ頂けぬのだからな……」


 クロエの呟きが静寂に包まれた中庭に木霊する。

 月夜に輝く、影無き漆黒の髪。

 夏の夜風に僅かに舞い上がる姿を、バルドは静かに眺めていた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る