陛下再び立ち上がる
「伯爵様の手腕、まさに見事にございます」
雲に隠れる月夜の中、自らの屋敷にて酒をあおるボストロ伯爵に、貿易商エイチゴがさらに酒をついでいく。
グビグビと景気よく酒を流し込むボストロは、愉快痛快と言わんばかり。
「なんのなんの。お主の協力あってこそよ」
「予算が止められ頓挫しかけた再開発計画。よもやそれを、あのような形で推し進めようとは」
注がれた酒を一口飲むと、ボストロは上機嫌に言った。
「なーに、昔からエルフの森は焼かれるのが常。ならば城下の住処も、燃やされるのは宿命であろう。ふふふっ」
ボストロの小汚い口がニヤリと笑った。
「火事を起こして……いえ、偶然起きた火事で住んでいた人々を追いやり、立ち退き料を払う必要もなく再開発に着手できる。少ない予算で再開発を成功させたその功績ならば、いずれは辺境伯、いや侯爵とお呼びする日も近いかもしれませんな」
「なにを言う。お主の商才ほど恐ろしいものもあるまい」
そう言ってボストロの太い腕が、エイチゴの乾いたグラスへと酒を注ごうとする。
エイチゴも腰を低くしてありがたそうにグラスを差し出す。
「燃やしたエルフの家から行く当てのないエルフ達を攫い、余所で売りさばこうと提案してくるのだから」
「それこそ『エルフを燃やせば、我らが儲かる』というものですよ」
二人の口から下卑た笑い声が零れ、部屋の中に響き渡る。
エイチゴは注がれた酒を一口、大げさなまでに美味そうな様子を見せた。
「とはいえ、それもまた伯爵の倉庫の一部をお借りできたからこそ進められたこと。どうか今後とも、末永くお付き合いをよろしくお願いいたします」
そこで話を切ると、声を僅かに潜めてエイチゴは尋ねた。
「ところで……再開発の工事の発注先はもうお決まりで?」
一際意味ありげなエイチゴの細い目にボストロはなにかを察する。
「んん? なに、まだまだ先のこと。果たしてどこに頼めばよいものか……」
「なるほど……実は手前もよい大工衆に心当たりがございまして」
「ほう……」
ボストロはまるでとぼけるように語る。
「しかしのぉ、この再開発はアリエスト帝国の行う公共事業。決定はよーく考えて、そして、こーへーに決めねばならん」
「もちろん心得ておりますとも」
エイチゴの狐顔が、醜悪に笑った。
「それだけ考え抜かねばならぬとあれば……甘いものなど必要でございましょ」
彼は傍に置いていた荷物を取り出す。
片手で持つには少々大きい紫の包みに包まれたそれを、手慣れた様子でボストロの前へと差し出した。
「こちら世にも珍しき、山吹色の菓子にございます。伯爵もお好きでは?」
「これこれはご丁寧に。儂もこの菓子に目がなくてのぉ」
ボストロは、丁寧に包みの一部を開く。
中から出てきたのは、無論菓子などではない。
たんまりと重ねられた金貨の山にボストロの口角が醜く吊り上がる。
「見事なものよ。この菓子ならば、しっかりと考えもまとまろう」
「ははっ」
「エイチゴや」
ボストロが、ほくそ笑みながら顔を近づける。
「お主も悪よのぉ」
「伯爵様に比べれば」
二人が同時に笑い声を上げた。
実に醜悪で、得意げに。他に聞く者などいもしない、二人のせせら笑いは部屋中に響く。
「――ハハハハッ。ハッハッハッハ!!
そこに、三つ目の別な笑いが木霊した。
「んん? なんだ!? なんだ一体!?」
「だ、誰だ!?」
ボストロとエイチゴが声を上げる。しかし返事はなく笑い声が続くだけ。
姿の見えぬ笑い声はその部屋だけではない、屋敷中に響いていた。
「――金の亡者達の笑い声ほど醜いものはないな」
金で雇われた私兵達も屋敷中に響き渡る笑い声を警戒してやってくるなか、ボストロは中庭へ飛び出す。
「ッ!?」
そこには若い精悍な男がいた。
見た目の年齢にそぐわない風格、立ち姿にも異様なまでの切れと威厳がある。
「だ、誰だ貴様ぁ!」
ボストロが声を荒らげ尋ねると、男は僅かに笑みを見せた。
「ふっ。ボストロ伯爵――勅命の内容は覚えていても、余の顔は見忘れたか?」
そう問われたボストロが目をこらす。
暗い中庭に立つおぼろげな姿に、彼は一瞬見覚えを感じた。
記憶を手繰り寄せて脳裏に浮かんだ一人の姿。
それは城へと出頭を命じられ、お目通りした時のこと。
この国の玉座に座り、全てを見通すかのような鋭い眼差しが深く脳裏に焼き付いて離れない。そう、その御方こそ――
「へ、陛下……!」
ボストロの上げた一言に、驚くエイチゴと私兵達。
一同はすぐさま中庭に降り、その場で跪く。
「城下再開発担当、ボストロ伯爵。ならびに貿易商エイチゴ。貴様達の悪行、既に余が暴いたぞ」
頭を上げることのできぬボストロの額から、汗が噴き出てくる。
「城下の再開発のためと住居に火を放ち、あまつさえ逃げおおせたエルフ達の身柄を売り飛ばして私腹を肥やす、人を人とも思わぬその所業、許すわけにはいかぬ」
「く、くぅ……」
皇帝自らが動いたとなれば、もはや言い逃れもできない。
悔しそうに歯ぎしりをするボストロとエイチゴ。
「こ、こんなところに……」
二人は徐に頭を上げていく。
もはやこうなってしまえば後の祭り。
逃げる道がないのなら、一縷の望みをかけて切り開く以外にない。
「こんなところに陛下がいるわけがない。皆の者、であえッ!」
ボストロの合図で、お抱えの私兵達が現れ始める。
バルドの右からゾロゾロと。
バルドの左からウヨウヨと。
あっという間にボストロの私兵達がバルドの周囲を囲う。
「こ、こやつは陛下の名を語る不届き者よ、斬れ、斬れーっ!」
「でやあああああっ!」
先頭に立つ若い男が、威勢よくバルドに斬り掛かる。だがその剣がバルドを捉えることなく、また空も切ることはない。
振り下ろされる前の腕はバルドに掴まれ、腹に拳の一撃。くの字に曲がる体をバルドが投げ飛ばす。
「――ッ!」
睨みを利かせていたバルドが、ついに剣を抜く。
雲から姿を現した月明かりが、悪を裁けと輝き光る。
バルドは慣れた構えで剣を縦にし、悪を睨む。
そして――再び断罪の曲が鳴り響く。
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