絶影のクロエ

 夜。

 月も雲に隠れ、暗闇の支配する倉庫街。

 いくつもの倉庫が建ち並ぶそこは、昼間は搬送などで人や馬車が行き交い、一際活気ある場所だ。

 だが今はそんな人気もどこかへと消えてひっそり静まりかえり、大きく開け放たれていた倉庫の扉達も固く閉ざされている。

 そんな倉庫の一つで、扉が僅かに開かれようとしていた。


「……いいぞ」


 扉から顔を出し、人気も無いのに周囲を注意深く確認。そして一台の馬車を出していく男達。その数五人。

 ゆっくりと走る馬車の左右と後ろを守るように、それぞれ一人ずつ。

 そして馬の手綱をとる御者と、その隣を歩く一同を取り仕切る男。

 

「あーあ、もったいねぇ……」


 手綱を取る御者の男から、ため息交じりのぼやきが零れる。

 そんな御者の男に呆れる、隣で偉そうに肩で風を切るリーダー格の男。


「まだ言ってんのかオメーは」

「だってよ~」


 御者の男は倉庫を出る前から、ずっと不満を漏らしていた。


「せっかくなんだし、少しくらい味見したっていいじゃないですか」


 馬車の中に積まれていたのは、三つの大きな樽。

 多少の揺れがあっても、微塵も動くことなく不気味に鎮座している。


「これは商品だってなんべんも言ってんだろ。そんなことしてみろ、上に殺されんぞ」


 そんな説明を一体何度したことか。

 リーダー格の男は飽き飽きとするほどだ。


「酒や食いもんとは違って、少しでも手をつけようもんなら価値がガクッと下がるもんなんだよ、エルフってやつはよ」


 男達の運ぶ樽の中身はエルフ達。

 睡眠薬で眠らし偽装のため樽の中に押し込め、今まさに運ばれていくところであった。


「分かってますよ……」

「だったら黙ってろ。商品のエルフ共が起きる前に、船まで運んでさっさと積み込まねぇと」


 あまり時間をかけるわけにはいかない。

 荷が荷だけに昼間に運び込むことはできないし、かといって寝静まった夜に運び入れているところを目撃されても厄介だ。


「ま、船に乗せて出航しちまえば、後はこっちのもんよ」

 

 リーダー格の男が、どこか楽しげだった。

 

「港に着くまで誰も手出しできねぇし、向こうに着けば報酬はたんまり。あっちで楽しめばいいじゃねぇか」

「それもそうっすね」


 ぐひひ、と御者の男も意地汚い笑みを見せ、不満もいくらか和らいだようだ。


「でも、今回は危なかったっすね~」


 いつものように家に火をつけて、エルフ達を炙り出し捕らえる。そして兵士や自警団達が来るまでに素早く撤収。まさにいつも通りの手際である。

 そう、そこまではよかったのだが。

 

「あの変な女……いきなり襲いかかってきやがって……」


 細い路地を何度も通り、追跡を免れホッと胸をなで下ろしたその時だった。

 突然、謎の女に襲われたのだ。


「なんだったんでしょう、あれ……」

「さあな……とはいえ運が良かったぜ。まさか兵士と自警団連中に助けられるとはな」

「悪徳商人の手下を守ってくれるとは、さぞかし立派な兵士様達ですこと」

「違う違う。俺達の日頃の行いが良いおかげだよ、へへッ」


 奇妙な相手に目をつけられたのは確かに厄介である。しかしそんな用心もこのエルフの搬送が終われば片がつく。

 船に乗って隣の国へ姿を消せば、そんな心配すらも必要ないのだ。

 男達の笑い声が闇の中に木霊する。

 風だ――風が吹きぬけた。

 海が近いのに、妙に乾いた風だった。


「……? 今、なにか聞こえませんでした?」


 御者の男が不思議そうに尋ねる。


「なにか、ってなんだよ」

「いえ……なんていうか、風切り音みたいな気がしたんですけど……なんか人の声、みたいな……?」

「なんだよハッキリしねぇな」

「いや、なんていうか……女の声で『…………つけた』とかなんとか……ッ」

  

 御者が言いかけた瞬間、突然馬車が動きを止めた。


「お、おい! なに止まってんだよ?」

「え? お、俺じゃないっすよ。馬が急に……はいよっ! ほらっ!」 


 御者の男が、動け動けと必死に手綱を振るう。

 しかし馬はまるで動こうとせず、ただ悲痛な嘶きを上げるだけ。

 なぜだかそれが、見えぬなにかに怯えているようにも見えた。


「荷物は、無事だろうな……?」 


 樽の中に押し込めたエルフは睡眠薬で眠らせている。しかし、今の衝撃で目覚められたら厄介だ。樽の中で縛り上げているとはいえ、暴れて騒がれては人目についてしまう。リーダー格の男は、後ろを警護していた仲間に尋ねる。


「おい、荷物は大丈夫か?」


 返事がなかった。

 横を護衛していた男達も不思議そうに振り返り、馬車の背後を気にし始める。

 しかし、それでもなんの返答も返ってこない


「ったく、なにやってんだよ……オメーは馬を何とかしとけ」


 苛立ちをぶつけるように御者の男に命じると、リーダー格の男は確認しに馬車の後方へ向かう。

 こんなところで時間を潰している暇はないのだ。急いで積み荷を運び船に乗せなければ、上からまたなにを言われるか。

 舌打ちしながら、側面を護衛していた仲間を通り過ぎ、そして馬車の後ろへ。


「………………?」


 しかし、そこには誰もいなかった。

 荷の確認のため馬車の中に乗り込んだのか。そう思い馬車の中も確認する。


「おい、荷物は無事なのかって聞いてんだろ? 返事しろよ……」


 しかし、そこにいると思われた人物の姿はなかった。

 馬車の中は運び入れた時と変わらず、樽の位置も動いていない。


「アイツ、どこ行った……ん?」


 不審に思いながら、男は振り返る。

 馬車の通った後に作られた轍が目に入った。

 おもむろにその先を目線で追う。

 闇に隠れた地面。その奥に――人の手が見えた。


「え……っ」


 男は一瞬驚く。まるで、人間の手首だけが落ちているように見えたのだ。

 しかし改めて目をこらしよく見てみる。

 目が闇に慣れ、徐々に見えてくる轍の先。

 そこには、馬車の背後を守っていたはずの仲間が倒れていた。


「なん、で……?」


 生きているのか死んでいるのか。それは分からないが、動こうとする様子は全くない。

 彼がいつの間に倒れていたのか、男は全く気づかなかった。


「おいアイツ、倒れ……っ!?」

 

 振り返った時、再び男に驚きが襲い掛かる。

 先程すれ違った側面を守っていた仲間。彼もまたいつの間にか倒れていたのだ。

 すれ違い、馬車の背後と荷を確認したのは僅かな時間。

 その間に声も音も上げず、倒れた。その間一体なにがあったのか。

 男の背筋に、不気味な汗が湧き上がる。


「た、大変……」


 うまく動かない口をなんとか動かし、反対側にいるはずの仲間を呼び出そうとする。

 しかしというか、やはりというか。


「――――ッ!」


その彼もまた、地面に伏していた。


「い、一体なにが……」

 

 早くなる胸の鼓動、吹き出す汗。

 不気味な怪現象から離れようと馬車から一歩ずつ後ずさる。

 しかし、事態を把握できない頭の中はさらに混乱し続ける。


「ッ!?」

 

 だが混乱する頭が、更に混迷を増す。

 ふと目にした馬車の下から、また一人倒れていく瞬間が目に映ったのだ。

 さっきまで話していた御者の男。まるでクッションの上にでも落ちたかのように倒れた瞬間も音もなく、声すら上げず。

 なにが起きているのか、まるで分からない。

 夏だというのに、やたら冷たい風だけが男の頬を撫でる。


「ま、マズい……」


 男の全身が告げていた。ここにいてはいけない、と。

 今すぐ逃げよう。攫ったエルフ、口うるさい上の存在、そんなことなどどうでもいい。今すぐここから離れなければ危険だ!

 理性でなく本能がそう告げている。

 さあ走り出せ、今すぐ! そうして振り返った瞬間――!


「――――ッ!?」


 突然視界がぐるりと回転。全身がフワリと浮く感触と同時、夜空を見上げていた。

雲に隠れた月と星々。そんな夜空が、なぜだかひどく勿体ない気がした。

 そう思ったのも一瞬。首筋に強烈な痛みが貫き、全身が地面に叩きつけられたような衝撃が襲い、途端に意識が濁っていく。


「う……ぁ……」

 

 薄れいく意識。歪む視界。

 なにが起きたのか。それすらも理解ができず、言葉も出ない。

 ただただ首筋と、全身が痛く、意識を保とうとするのがやっと。


「………………ぁ、ぁ……」

 

 そんな時、視界の端に人の姿が映った――そんな気がした。

 少女のような背丈、体に張り付くような見慣れぬタイトな服。

 そして、まるで闇と同化しそうな黒い艶のある髪。

 見覚えがあった。ごく最近見た覚えがある。だがなぜだか思い出せない、いや――思い出したくなかった。


「………………」


 代わりに思い出したのは、大戦帰りの祖父の話。

 この帝国に仇為す者を伐つ、闇に潜み闇に生きる者の逸話。

 その者は音も残さず、姿も残さず、そして――影すら残さぬ者。


 ――絶影のクロエ。

 

 その名を思い出した時、男の意識はぷつりと途切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る