陛下が下す罰

「――それからお前達は余の従者となり、今では城の各所で働いてくれている」


 ある者は庭師として、またある者は料理人として。クロエ同様にメイドや執事になった者もいる。

 時に敵国に潜伏し、民衆に溶け込むこともあった彼等にとって、仕事を覚えるのはそう難しくはなかった。並の職人並に手が回り、その上いざという時は剣を取りバルドの住まう御庭を守る存在にもなる。

 これほど頼りがいのある臣下は他にはいなかった。


「もっとも最初の頃は皆、口には出さずとも不満そうであったがな」


 懐かしい光景を思いだし、バルドの口から笑みが零れる。


「だが不思議と、生きるのが辛いと言い出す者は今日まで誰も出てこなかった」


 仏頂面だった顔達は、日々を重ねるうちに徐々に綻んだ。

 それはなにもバルドの力だけではない。周囲の環境と人々が彼等を支え、共に生きてきたから。


「クロエもそうだ。表情は変わらぬように見えて昔とは大きく変わったよ」


 少女はなにも答えなかった。

 そうですねとも、そんなことはないとも。

 正座のまま、バルドの言葉の一言一言に耳を傾けている。


「クロエ。余は、どんな時も間違わない者を傍に置こうとは思わぬ」

 

 にこやかだった表情を引き締め、バルドは語る。


「余が最も必要とするのは、間違いを起こしても受け止め、恥をかいてもなお、道を歩まんと努力しようとする者だ」


 誰だって間違いを起こすし、全てが正しい者もいない。

 だが、常に正解だけを良しとする世になれば間違いを認めず、時に隠そうともするような輩が必ず生まれる。

 それは不正の温床にもなり、果てには先日のポーションの時のように苦しむ人々を生むことにもなってしまう。


「だからこそ余はただのイエスマンを必要とはしない。たとえ相手が皇帝であっても、『それは違う』『間違っている』と諫言できる者をこそ欲している」


 なぜならば――皇帝も人間だ。自らの行いが必ずしも正しいとは限らないから。


「クロエ、お前に問う」


 だがこれからすることだけは、正しさだけで論じられるものではなかった。


「自らの行いを、恥じるか?」

「………………」

「そしてその恥は、お主が生きることを辛くするか?」

「………………」

「辛いと思うのならば……あの時の約束を今、ここで果たそう」


 バルドがゆっくりと剣を抜いていく。

 かつてクロエ達と出会った時の約束を守ろうと。

 彼女がそれを望むのならば是非も及ばず、一刀のもとに終わらせる。

その覚悟が剣を力強く握らせた。


「………………」


 構えたバルドの前でクロエは黙ったまま。静かに俯き無言を貫く。

 その姿勢がまるで、今にも首を斬ってくれ、と懇願するようにも見えてしまう。

 だが、無言を貫いていたその口が僅かに動きだした。


「……………………生きることは、恥をかくこと……」


 淡々と、いつものように。


「私は、大恥をかいたものです」

「………………」

「陛下のお側に仕えるどころか、生き続けることも許されぬような大罪にございます……」


 続く言葉を、バルドはあえて待った。


「ですが……この程度の恥で、陛下の剣を汚すわけに参りませぬ」

「………………」

「もし、叶うのならば……これからも、恥をかくことをどうかお許しください」

 

 それ以上の言葉はなかった。

 正座のままクロエは俯き続ける。

 時が止まったかのような彼女の姿勢に、バルドの手からも力が抜けた。 


「分かった。よいだろう……」

「はっ、感謝いたします」


 バルドの剣を納める音が、暗い部屋の中に僅かに響く。

 クロエも短い返事と共に、いつものように跪く姿勢へと切り替える。

 しかし、バルドの続く言葉がクロエを僅かに驚かせた。


「勘違いするでない。余は貴様を許すとは一言も言ってはおらぬ!」

「ッ!?」

「祭りの火事の時お前は言ったな『我が命など、陛下の御身に比べれば些細なもの』と」

「それは」

「黙れッ!」


 バルドの怒りが、クロエの言葉を遮る。


「誰であれ命の価値など比べられるものではない。余との約束を吐き捨てるかの如き物言い、まして自ら命を絶とうとするなど言語道断!」

「…………っ」

「普段ならばすぐにでも斬り捨てるところだが、殺しはせぬ。しかし――処罰は受けてもらう」


 その瞬間、彼女はようやくバルドの考えを理解した。

 これは当然のことだ。独断専行、命令無視。それほどのことをしでかしなんの沙汰も無しでは他の者達に示しがつかない。

 まして皇帝の特別な計らいを頂けたとしても、そのことで気に病むことのないよう、あえて処罰を下しその罪とその重みを洗い流す。

 そうこれは――禊ぎなのだ。


「ははっ!」


 クロエはその意図を理解し、目を閉じて静かに沙汰を待つ。

 皇帝による処罰がいかようなものなのかそれは分からない。

 鞭による百叩き、それとも焼き印や入れ墨をいれられるのか。はたまた女性としての辱めか。

 もっとも、自分に女性としての価値があるのかなどクロエには分からなかった。


「………………」


 それでも、これは自らが犯した罪。そして自らを戒める罰。

 全てを受け入れる心構えは既に整っている。

 後はただ、その時を待つだけ。


「………………」


 無限とも思える長い時間。

 クロエは待ち続けた。

 しかし、どれだけ待っても罰とやらが下されることはない。


「…………?」


 奇妙に思い、彼女は目を開き、小さな頭を僅かに上げる。


「――――」


 まるでそれを待っていたかのようだった。

 神妙な面持ちであったバルドは腰を屈め、クロエと目線を合わせる。

 そして――


「アイスを頬につけて歩いていたこと、誰にも話すでないぞ」


 子供のような笑顔で――罰を下した。

 体ではなく、彼女の心に永遠に残り続ける、重い重い罰を。


「ッ……!」


 影の者――それは帝国の闇を司る者。

 それ故に、常に冷静さを保ち、感情を押し殺す訓練を強いられてきた。


「ははっ。必ずや…………ッ必ずや、墓まで……ッ!」


 しかし若き皇帝の下した罰は、感情を見せぬクロエの目から、確かに一滴の涙を落とさせた。

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