陛下とクロエと影の者達
――それは大戦を終え、間もなく。侵攻してきた魔獣達を倒したバルドが、正式に皇帝の座についた頃のこと。
傷ついた人々が、帝国が、徐々に復興の道を歩み始め誰もが明るい未来へと目を向ける一方、暗く淀んだ過去へと目を向けている者達がいた。
「お前達は、よく働いた……働いてくれた」
光あるところ影もある。アリエスト帝国という光が強大であればこそ、その影もまた色濃いもの。
夕暮れ時の川岸で、弓と矢を携える兵士達。
彼等の前に並べられたのは、手足を縛られ、目元を布で隠された子供達。
幼子にも近い彼等は今、処刑されようとしていた。
「復興を果たしつつある今、お前達のような存在はもう必要とはされない……いや、この帝国の汚点にすらなり得る」
彼等はただの子供達ではない。輝かしきアリエスト帝国の裏で暗躍する影の者。
情報収集、破壊工作、暗殺に拷問。あらゆるスパイ活動を幼少の頃から叩き込まれてきた、いわばアリエスト帝国の負の側面だ。
かつては他国との争いで。そして大戦時には魔獣との戦いでめざましい活躍をしてきた彼等。
だが魔獣という脅威が去り、世が平和の道を歩もうとするなか、それを主導する帝国が集めた孤児達をスパイに仕立てあげていた、などという事実は決していい評判を生むわけがない。
つまり、これからの平和な世に彼等の存在は不要なのだ。
「………………」
だが、そうと告げられた少年少女達は誰もなにも言わない。
助けてくれとも、死ぬのはイヤだとも。
泣き言も恨みの言葉も、何一つ。
「すまない……反論すら許さない教えを強要してきた我らを、今更許して欲しいなどとはあまりに身勝手だと思う……」
命令が全て。反抗することなど許されない教えを今もなお忠実に守っているのだろう。処刑を指揮する騎士と指示を出した文官はそう思っていた。だからこそ彼等の姿に嘆きもする。
だが、彼らは分かっていなかった、見誤っていた。
彼等の本当の願いを。
「本当に、本当にすまない……どうか、ここで死んで帝国の礎に」
「おーこんなところに皆集まって、なにをしているんだ?」
突然、渋くとも若い声が騎士達の背中を打つ。
何事かと振り返ると、思いもかけない若獅子がそこにいた。
「へ、陛下!?」
川の土手、白馬に乗って現れたのはアリエスト帝国皇帝、若き日のバルドだ。
にこやかな様子のまま馬を降りて、土手から駆け寄ってくる皇帝の姿はどこか少年が遊び仲間達に合流するかのように無邪気なもの。
しかし臣下である騎士や文官、兵達はすぐさまその場で跪き始める。
「なにやら物騒な言葉が聞こえてきた気がしたんだが……ん? その子達は?」
「はっ……か、彼等は影の者達でございます」
緊張し震える声で、騎士が答える。
「そうか彼等が! 聞いたぞ、影で我らを支えてくれていたと。余も礼を申さねばならぬな」
バルドの暢気ともとれるにこやかな様子に、兵達を指揮する騎士は気まずそうに答える。
「畏れながら陛下、彼等はこれより……処刑に処すところでございます」
「処刑だと? なぜだ、なにか悪いことでもしたのか?」
「な、なぜと申されましても……」
文官はこの件を、皇帝の座についたばかりのバルドに知らせていなかった。
彼等の存在はこの帝国の闇の面、新たな皇帝がわざわざ知る必要の無いこと。
仮に事が公になったとしても、新たに即位したバルドという皇帝が知らぬことであったなら『余の与り知らぬこと』で強引に有耶無耶にすることもできるのだ。
守るべきは帝国と皇帝の威厳。処刑の決行を決めた文官はそう判断し、あくまでも内密に処理しようとしていたのだった。
「今、この帝国は復興の道を歩んでおり、平和な世はもう目の前でございます」
しかし当のバルドに知られてしまった以上、誤魔化すこともできない。もはや素直に答えるほかなかった。
「あのような輩はこれからの世界には不要な者達故、この場で慈悲を与えることこそが、彼等のためかと……」
「ほう……不要とな」
そう言ってバルドは、考え込む仕草を見せる。
「確かに、不要なものならすぐに捨てるのは道理だ……」
若き皇帝は潔白だ。それ故にこの手の謀を良しとはしない、と文官達は思っていたが、意外にも理解のある返答で僅かに安堵した。
「ははっ左様でございますれば」
「だがそう申すのならば、まずは自身の不要なものを捨てるべきであろう。なぜお主らは不要なそれを捨てんのだ?」
「は…………そ、それ……?」
騎士はバルドの言葉の意味がまるで分からなかった。
騎士だけではない。その場にいた文官や兵士達もそれは同様。皆が顔を見合わせ困り果てる中、騎士が恐る恐る尋ねてみる。
「あの、陛下……一体、なんのことでしょうか……?」
「なにを申す、お主の足から伸びているそれのことよ」
そう言われ、全員が騎士の足下を注目する。
綺麗に磨き上げられた騎士のグリーヴ、そこから伸びていたのは――黒い影だ。
「そうだ、お主の影だ。影はお主の一部と言っても過言ではないがなんの役にも立たない、まったく不要なものであろう。なぜお主は影を捨てぬのだ?」
「いや、それは……その…………へ、陛下……」
言いがかりにも近いあまり突飛な物言い。
困りに困って、返答に困ってしまう騎士を尻目に、バルドはまるで今まさに思いついたように切り出した。
「そういえば……皇帝の座を拝してから余の侍従が足りず困っておったのだ。ちょうどいい、彼等を余の直属の者としよう」
「なっ!?」
突然の申し出に、騎士も文官も思わず声を上げる。
「陛下、突然なにを言い出すのです!?」
「お主等が不要だから処すと言うのだから、彼等を必要な存在と認めたのだ」
「そのようなことを、申されましても……」
「なんだ、不服か?」
「い、いや……不服だなどと、そのような……」
不服か、などと言われれば、臣下たる彼らはなにも言えなくなってしまう。
「畏れながら陛下、あえて申し上げます」
しかし、この処刑を秘密裏に行おうとしていた文官は、それでも口を開く。
「陛下はいわばこの帝国の希望の光。陛下直属の者であれば近衛がおりますれば、わざわざこのような……帝国の闇の部分をお側に置く必要などございません」
「……………………」
「従者が必要なのであれば、しかるべき者達をご用意致します。何卒ここは」
彼の提言は決して自己保身や影の者達を侮蔑してのものではない。
帝国を、新たな皇帝バルドを思ってのことだ。
無論、それはバルド自身も十分理解していること――しかし。
「帝国の光が余とするのならば、その影もまた余の一部。自らの一部とも言える存在を守らず、一体なにを守ると言うのだ」
バルドはその提言をも退けた。
穏やかでいながらも力強い目。その目に貫かれては、もはや騎士達はなにも言えず、ただその場で平伏するのみ。
バルドは彼等に目線を残しながら、集められた子達の元へ。
「さ、お前達。もう大丈夫だ」
バルド自らが、先頭に立つ子の目元を隠した布を解く。
薄汚い布で覆われていたその子は黒く艶のある髪をし、猫属の獣人の証たる、ピンと生えた耳が伸びている。そしてなにより年頃の実に可愛らしい少女だった。
しかし、彼女の目に喜びはない。
「なぜだ……」
かといって無感情でもない。
「なぜ、我らを殺してくれない!」
そこにあったのは――憎悪。
覆っていた布を暴かれ、どす黒い感情が吐き出される。
「戦いも終結し、世が平和になる中で我らの存在価値はない。それなのにお前達は、我らの死に場所すらも奪うのか……!」
彼女達は、この場で死ぬことを望んでいた。
戦うために育てられてきたその命。それは戦ってこそ意味がある。
まして彼女達は影の者。闇に生きる彼女達にとって、その命は散らしてこそ価値がある。そう教えられ、そう信じてきた。
しかし彼等は生き抜いてしまったのだ、魔獣という人類の共通の敵との戦いを。
戦いを生業とする者が、戦いの中で死ねず生きている。
戦いのなくなった世界のなかで、自らの誇りを貫くことすらできず。
「お前達はこれから、余の下で従者として生きよ」
「ふざけるな! 我らに、番犬以下の従者となれと?」
これは彼女達にとって最後の機会だったのだ。
影の者として死に、影の者として誇りを貫ける唯一のチャンス。
それを、この若き皇帝が奪い去った。誇りを踏みにじられた。
そう思えば、憎悪の一つも抱きもする。
「……生きることは、恥か?」
「ああそうだ。少なくとも我らには!」
「そうか……ならばあえて言おう。生きよ、と」
「それこそ身勝手な。我らに生き恥をさらせと言うのか!?」
「そうだ、恥を知れ!」
しかし若き皇帝は、その憎悪すらも受け止めた。
鋭い眼力が、彼女を貫く。
「生きることは恥だ。どれだけ惨めに努力をしても報われるとは限らない、まして世の中が変われば必要とされるものも変わる。お前達の積み重ねてきたものが無駄だと言われることもあるだろう」
「……………………」
「だがそれでも、簡単に命を絶つことなど許されぬ、絶対に。大戦で死んでいった者達のために、未来を我らに託した者達のために。惨めに足掻き、生きなければならぬ。それはお前達であっても同様だ」
あまりに堂々とした態度。臆することのない言葉。
これが皇帝か。最も光り輝く存在に、闇の住人である少女は言葉だけで圧倒されそうになっていた。
「お主、名はなんという?」
若き皇帝が少女に尋ねる。
あまりに優しい声色。圧倒されつつある存在から出たその声色に少女は一瞬戸惑ってしまう
しかし、まるでそうするのが当然のように、そしてそうしたくなる気持ちが溢れ出てくるように、自然と彼女は答えていた。
「………………クロエ……クロエと、申します」
「クロエか。いい名だ」
皇帝が微笑む。
まるで子供のような、だけどなにか包み込まれるような温かな笑顔に、クロエは目が離せなかった。
「クロエ、そして皆も聞け」
その場にいた誰もが聞こえる声で、バルドは語る。
「よいか、生きて恥を晒せ。晒して晒して、幾重にも恥を晒せ。そうして何度も何度も恥を晒して――そして死ね。堂々と、誰に恥じることなく!」
それが生きるということ。
そう語ったバルドの言葉に、臣下達は深く頭を下げていく。
しかし、縛られた子供達はいまだ立ち尽くしたまま。
「だがそれでもなお、生きることが辛いと思うのなら――」
バルドが懐に刺した剣を抜く。
素早い一太刀が風を生み、川岸を駆け抜ける。
その瞬間、子供達を縛り上げていた全ての拘束が斬り捨てられた。
「アリエスト帝国皇帝バルドロメオ・ヴァルドリア・アリエストの名の下に――余の剣でお主らの人生の幕を降ろしてやろう」
そう言って、若き皇帝は静かに剣を納めた。
静まり返る川岸に川を流れる水の音だけが響く。
そんななかで、バルドは拘束の解かれた少年少女達に――
「だから今は生きよ。そして――存分に恥をかけ」
ただ、優しく笑いかけるのだった。
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