陛下、クロエに尋ねる

 そこは明かりもない、暗い部屋の中。

 音もなく静かで、冷たい空気だけが流れている。

 その部屋の真ん中で目を閉じ、正座をする少女がいた。


「……………………」


 クロエである。

 彼女は閉じていた目をゆっくりと目を開く。

 いつもの変化の乏しい表情。しかし、頑なな意志のある瞳が、自信の前に置かれた愛用の短刀を捉え、徐にそれを手に取る。

 丁寧に音もなく鞘から抜かれた刃は、月明かりに照らされ輝きを放つ。

 彼女は美しい輝きに惚れ惚れすることもなかった。ただ機械的なまでに淡々と刃を自らの首下へ。キラリと光る刃が彼女の首に押し当てられようとする――その時だ。


「なにをしている?」


 暗闇の奥から、渋い男性の声が上がる。

 バルドだ。

 若き皇帝は驚くことも悲しむ様子もなく、クロエ同様に無表情だった。


「……止めないでいただきたい」


 彼女の冷ややかな言葉を無視してバルドは無言で近寄る。

 そして、彼女が手にした短剣を無作法に払い落とした。

 甲高い音を奏でる床に落ちた短剣。しかしクロエは抵抗する素振りも見せなかった。


「一時の失敗程度、そう気にすることではあるまい」


 バルドの窘めるような言葉。

 それを返すように、クロエは言う。


「身勝手な行動をとり、御身を危険に晒したこと。犯人を捕まえることもできずおめおめ戻ってきたこと。そしてなにより、陛下の勅命を蔑ろにしたこと……自らを裁くには十分な理由です」


 いつものように、あくまでも淡々と。

 表情を変えることのない姿はいつものクロエそのものだ。

 

「確かに……そうかもしれんな」


 彼女の言葉は正論だ。

 しかし、それで納得するほどバルドも単純ではない。

 なにより、どうしても分からないことがあるのだ。


「だがせめて、その理由くらいは話してくれてもいいのではないか?」

「……………………」

「なぜなんだ、クロエ。なぜお前は無断で動こうなどとした?」


 クロエほど忠実な臣下は他にはいない。そんな彼女が何の断りもなく勝手に動くなど、バルドには信じられないことである。

 だが当のクロエは、まるで呆れるように大げさにため息をつく。


「まさか、普段から似た様なことをなさっている陛下に、そのようなことを問われるとは……考えもしませんでした」

「うん? ああ、言われてみればそうだな。ハハハッ」


 バルドの笑い声だけが、暗い部屋の中に響く。

 ひとしきりバルドが笑ったのを見計らうように、クロエの口からから端的なまでの回答が返ってきた。


「陛下のためでございます」

「余の?」

「陛下は一連の火事の件を聞き、また自ら動こうとなさったのではありませんか?」


 その通りだった。

 バルドも城下の火事を目にして、自ら城下に降りようかとも悩みもした。

 結果としてそうしなかっただけで、そうしようと思ったことを恥じることではないとも思う。


「陛下が再び立ち上がれば、事態はきっとよい方向へと動くでしょう。しかしその結果、御身に何かがあってはならないのです」

「先日の火事の時と同じ話だな」

「仰りたいことは重々承知しております」

  

 そう前置きしながらも、彼女は続ける。

 

「陛下に万が一などはない。私自身もそう確信しております。ですが……あの火事の時もそうでした」

 

 崩れ落ちる家屋に取り残された陛下達。

 絶対に無事だと信じていた存在が帰ってこないかもしれない。


「それは、言葉にできない感情でした」


 強いて言うならばそれは――


「不安、なのです。もし御身になにかあったらと思うと」

「………………」

「陛下は必ず動く。それが帝国の、この国に住まう人々のためなら必ず……ですが危険と分かる場に陛下を行かせるなど私にはできません」

「だから、余が動く前に原因を突き止め犯人を捕らえよう、と」


 クロエは小さく頷く。

 どこかその姿が、いつも以上に彼女を小さく見せていた。


「なるほど……そういうことであったか」


 納得するようにバルドは頷く。

 クロエの独断は、バルドの身を案じてのこと。後先考えずに問題に頭を突っ込む主に変わり、主よりも先んじて臣下が手を下す。そうすれば問題は解決するし、主にも危険が及ばない。そう考えたのだ。


「その気持ちは、余もよく分かる……」 


 それは決して、彼女のことを思い量って出た言葉などではない、バルドの本心だ。

 クロエがそう思い行動に至ったように、バルドも臣下や臣民を守ろうとして、自ら立ち上がったのだから。

 二人の行動原理は全く同じである。

 違っている部分があるとするならば、それはただの主従の関係性だけでしかない。

 バルドは、払い落としたクロエの短剣を拾う。


(使い込まれている……だが、手入れの行き届いたよい短剣だ)

 

 彼女がどういった思いでその短剣を手入れしているのかが、輝きによく現れている気がした。


「ですが結果はこのざま……どうかその剣をお返しください、せめて自ら処断をせねば、気が済みません」


 彼女の無表情の裏には確固たる意思がある。

 このまま短剣を返せば彼女はなんの躊躇いもなく自害するだろう。

 だが、このような状況の中でもバルドの口からは笑みが零れた。


「なあクロエよ、覚えているか」


 彼女の姿は、どこか懐かしくもあったのだ。


「余とお主達が、初めて会った時のことだ」


 そして、二人は思い出す。

 かつての出会いを――

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