陛下と助け合う人々

 その後、火災が燃え広がることはなかった。

 自警団の人々の活躍は素晴らしく、素早く的確に鎮火にあたったことで被害を最小限に食い止めたのだ。

 あれほどの火の勢いならば街へと燃え広がってもおかしくなかっただろう。そうなれば、近くの祭りに来ていた人々もパニックを起こし、被害はより広範囲に大規模になっていたに違いない。


「あのエルフの親子、家がなくなっちまって……」

「これからどうするんだか」


 ずぶ濡れになって着替えを貸してもらったバルドは、火事の跡を眺める人々からそんな会話を耳にした。

 火は消え親子も無事である。しかし家屋は全焼、住む家も財産も全て炎に消えた。

 燃え尽きた家をただ呆然と眺めている親子二人がこれから先、どう生きていくのか同情の声は止むことはない。

 そんな二人を哀れに思い、バルドが声をかけようとする。しかし――


「ま、とにもかくにも、親子二人無事でよかったじゃねぇか、なあ?」

「そうそう。生きていることが何よりってもんよ!」


 街の人々が、次々に親子二人を励ますように囲んでいく。


「二人とも、なんだったら住む家が見つかるまで、うちの飯屋で面倒見てやるよ」

 

 言い出したのは、先日バルドを見かけたという鼻の穴が大きい男性だった。

 しかし親子は、彼の提案を申し訳なさそうに断る。


「助けていただいただけでも十分なのに……そのような施しを受けるわけには」

「施しなんて大層なもんじゃないって、困った時はお互い様。親子二人ぐらいうちの店なら面倒見てやるさ」

「店主よぉ、またそんなこと言い出して……女将さんにどやされても知らねぇぞ」

「うるせぇ! いいか、困ってる親子を放り出すような嫁さんならな、こっちからお断りってもんよ」

「そう言ってるわりに、家では尻に敷かれてんだろ」

「う、うるせぇ……」

 

 声が小さくなる飯屋の店主に、人々から笑い声が上がる。


「ねえ奥さんや、今は甘えておきな」

「そうそう。子供もいて、これからもっと大変になるんだから」

「いつか元気になったらその時の礼を倍にして叩きつけてやりゃあいいんだよ」 

「…………あ、ありがとうございます……ッ」


 人々に励まされ、エルフの親子も涙ながらに礼を言う。

 たとえバルドが手を差し伸べなくとも、こうして人々が互いに手を取りあい、助け合っていく。

 その光景は実に美しいものだった。


「おうバルドの旦那。旦那もいつでも俺んとこの飯屋に寄ってくれよな」

「ああ、そうさせてもらう」


 若き皇帝は実に嬉しそうに返事を返すのだった。


「しかし、被害をここまで抑えられたのは、やっぱり皇帝陛下のおかげだな」


 突然そんな話を切り出され、皇帝本人であるバルドも驚く。


「皇帝陛下のおかげって、どういうことだい?」

 

 女性の一人が、飯屋の店主に尋ねた。


「昔はよ、火事ってなったら燃え広がらないように周囲の家を壊してただろ」

「ああ、そういえばそうだったね。大戦のせいで忘れかけてたけど、火事の後は住む家がなくなっちまった人が溢れて大変だったわ」

 

 彼等が話すように昔は消火よりも、広がるのを食い止めることが優先であった。

 バルドのように魔法が使えれば消火もできるが、魔法が使える者はそう多くはない。まして消火に適した魔法を持っている者となればそれこそ数が限られる。


「そこでだよ。陛下は大戦後の復興の時に、各地区に大小いくつもの水路を張り巡らせたんだ」

「あれって、私達の飲み水や洗濯なんかに使うためじゃなかったの?」

「普段はそうさ。だけどな、水路で区画を細かく区切ってるから燃え広がるのを最小限に抑えられるし、さらにいざって時は消火用の水にも使えちまう。まさに一石二鳥、いや三鳥の手だな、これが先見の妙ってやつよ」


 お~、と周囲から感嘆の声が上がる。


「さらにさらにだ、簡単に使える消火用の道具を開発して街の各所にいくつも設置してくれたりと、まさに至れり尽くせり。皇帝陛下万々歳! よっ! 天下の大英雄、なんちってな」


 人々から、再び笑い声が湧き上がる。


「フフフッ」

「お、バルドの旦那もそんなにおかしかったかい?」

「ん? ああ、いやな」


 思わず笑っていたバルドも、まるで他人事のようにこう切り出した。


「皇帝陛下も、そう皆に持ち上げられればきっと喜ぶだろうなと思ってな」

「またまた~畏れ多いったらないよ」


 人々が笑い合っている。

 先程までの暗い雰囲気から一転、いつもの賑やかな様子が戻ってきたようだった。

 やがて火事の後始末の邪魔になるから、と野次馬をしていた人々もそれぞれ退散を始め、エルフの親子も店主の厚意に甘えてその後へとついて行く。

 そんな中だ。 


「バルド様」


 クロエが静かにバルドの傍へとやってきた。


「おお、クロエ。母親のことよく見ていてくれたな」


 彼女の表情は喜ぶ様子も見せず、いつものように変わらなかった。

 しかし――


「バルド様、いえ……陛下。お話がございます」


 まるで説教でもするような、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。

 決してその雰囲気に押されたわけではない。だが有耶無耶にしてもならないとバルドも感じ、近くにあったベンチへと腰を降ろす。


「ああ、聞こう」

  

 そう告げて、傅くクロエに発言を許す。

 許可を得たクロエは、前置きもせず淡々と告げ始めた。


「陛下、あのような危険な行為はおやめください」

「………………」

「万が一御身に何かあったら、どうするのです?」

「先も言ったであろう。この程度でどうになかるほど」

「今は大戦の時とは違います。陛下に傷一つでもつけば、帝国が揺らぎます」


 クロエの目は、決して冗談を言っているものではなかった。


「そこまでこの国は軟弱ではないだろう」

「おっしゃる通りです。ですが陛下が怪我一つすれば、臣下や民達に不安が広がります。陛下の御身は帝国の安寧と同じ尺度で計られるべきものです」

「そんな大げさとはな」

「先日のポーションの一件もそうです。陛下自らが出向かずとも、我らにお任せいただければ済んだ話でございます」


 クロエの言い分はもっともだった。

 わざわざバルド自身が向かわずとも、近衛やクロエ達に事件を任せることもできただろう。

 バルドが駆けつけたことで、アカネが彼等に嬲られずにすんだといえど、それは結果論にすぎないのかもしれない。


「……それほど我らに信用がございませんか?」

「そんなことはない」

「であれば」

「お前達のことは信頼しているし、頼りにもしている。そしてなにより、余にとって大切な存在だ」


 それでも、バルドは自分自身が出向いたことは間違っていないと思っていた。


「いいかクロエ。お前や爺を始め、将軍に文官、騎士に兵達。それだけじゃない、商人に各種職人や農民に至るまで、この帝国の臣民全てが余にとって大切な存在だ。余はそんな大切な人々に傷ついて欲しくないのだ」


 伯爵の館に自分以外の誰かを向かわせたとしても、斬り合いになったことは疑いようもない。そうなれば臣下の誰か傷つき、死ぬことだってあったはずだ。


「ポーションの一件では、確かに余は先走った。それは認める」

「……………………」

「しかしこの火事は魔法で身を守らねばならぬほどの火の手で、なにより時間も無かった。お前が行っても……残念だがあの子を助け出すどころか、お前の身も危うかっただろう」


 バルドにとっても、クロエの自分を思う気持ちも十分に分かっている。それだけにお前では無理だった、と告げるのはあまりに酷なことだった。

 

「……我が命など、陛下の御身に比べれば些細なものです」

「……………………」

 

 傅くクロエの口から、零れ落ちた小さな呟き。

 その一言はあまりに悲しすぎる一言だった。

 

「クロエ、どうか聞いて欲しい」

「…………………………」

「余には力がある。帝国という国の力と、バルドロメオという個人の力だ」

「心得ております」

「力を持つ者であるならば――その力は世のために使わねばならん」


 かつては魔獣との戦いにその力を使ってきた。そして今はこの国のために、余すことなく自身の力を振るっている。

 それは皇帝という立場の義務ではない。力ある者の義務なのだ。

 持て余す力をただ私利私欲のために使う。そういうことも出来るし、許される地位にもあるだろう。しかしそれをバルドはできない。

 それを行えば――アカネを苦しめたあの男爵達となにも変わらなくなってしまう。


「余が力ある者ならば、この国の主ならば――人々のため、身を投げ出すのは当然のことだ」


 助けられる者を助けず、力を持て余すのは怠惰である。

 そして、時にそれは大きな罪にもなるのだ。


「クロエ、余が身を挺してでも守りたいと願うのは、お前を含めた全ての臣下達に対しても同じこと。それをどうか分かって欲しい」

「ハッ……」


 クロエが短く返事を返す。

 だがバルドには分からなかった。

 短く返したその返事がイエスとノー、どちらの意味を含んだものだったのか。

 かといって追求することも、まして強制するわけにもいかず、バルドも仕方なく立ち上がる。


「そろそろ城に戻るか。爺の血圧も心配だしな」


 話を終え城への帰路へとつきはじめるバルド。

 その一歩後ろを、クロエは無表情のまま付き従う。

 

「………………納得できません」


 彼女の小さな呟きが零れ落ちる。

 しかしそれは木々のざわめきにかき消され、皇帝の耳には入ることはなかった。


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