陛下、炎の中へ
燃え盛る家の中は、息をするだけでも喉と肺が焼けそうだった。
「くっ……火の回りが早い……」
空気を求めて燃えさかる炎は既に天井にまで届き、焼け落ちている箇所すらある。
「思っていた以上に、マズいかもしれんな……」
見たところこの家は古い家屋で、焼け落ちるまでそう長くは保たないだろう。その上火の手が強すぎてバルドであっても中に進むのは至難を極める。
だがかかっているのは子供の命、手を拱いている暇はなかった。
「こうなれば、魔法を使おう」
大きく深呼吸し、焼けるような熱い空気を取り込みながら自らの内へと集中。
魔力を練り込み、体内に湧き上がる魔力を手の平へ。
唱えるのは、バルドの操れる魔法属性のうちの一つ――水属性の魔法。
「《アクア・ヴェール》」
詠唱と同時、なにもなかったバルドの手の平から水が湧き、全身を水泡のような泡が包み膜を生成する。
(《アクア・ヴェール》なら火事程度の火はなんとかなるだろう)
全身を水で作った膜を纏わせ、炎から身を守る《アクア・ヴェール》は、バルド自らが開発した魔法である。
大戦時、炎を吐く魔獣は大勢いた。ただ炎を遮るだけなら土属性の壁魔法で事足りたのだが、壁という性質上どうしてもその場に留まる必要がある。
常に一対多を強いられ、多角的に包囲される魔獣との大戦。そんな状況において足を止めるなど自殺行為にも等しい。
そこで炎から身を守り、かつ機動力を損なわない別な魔法が必要だったのだ。
この魔法で、ドラゴン達の炎のブレスから何度身を守ったことか。
(家が崩れる前に子供を探せねば……)
開発の思い出に浸る間もなく、バルドは民家の中を進んでいく。
魔法のおかげで火は遮られているが、熱までは完全に防ぐことは出来ない。外の暑さとは違う熱気が、バルドの額に熱さと焦りの汗を吹き出させる。
煙も酷く、視界も悪い。この状況から、小さな子供を探すのは困難だ。
「おーい! 助けに来たぞ。誰か、誰かいないかーッ!」
見つけるのが困難ならば、こちらから呼びかけるしかない。
喉が焼けそうな熱気の中、バルドが声を上げ続ける。
しかし、返事はなかった。
「頼む、いるなら答えてくれ!」
再び声を上げるが、燃える家の中から声は上がらない。
もう既に――などとは思いたくなかった。
「もし声が出せないなら、なんでもいい。なにか反応を返してくれ!」
バルドは耳を欹て、目をこらす。
家屋の焼ける音、もくもくと上がる黒煙。聞き漏らすことも見逃すこともないように必死に周囲を探り、あたりを見回す。その時だ。
「――!」
視界の端、炎と黒煙の隙間をなにかが横切った。
子供にしてはあまりに小さく、虫の類いにしては大きすぎるその影。その方向から一瞬遅れ、チャリンと僅かに鈴のような音が聞こえた。
「そこか!」
間違いない、そう確信したバルドは炎と瓦礫を飛び越え、音の鳴った付近へ。
そこには小さな鈴が床に落ちていた。そのすぐ傍に――
「おい、大丈夫か!?」
エルフの少女が焼け落ちた天井の一部の下敷きになっていた。身動きが取れず、近くにあった鈴を投げ飛ばし自分の位置を知らせたようだった。
「うっ、ぅぅ……ぉ、おかぁさん……」
瓦礫に埋もれてはいても、意識はある。
急いで運び出せばまだ助けられるはずだ。
「待ってろ、すぐ助ける!」
バルドはすぐさま少女を助けようと、瓦礫の傍へ。
しかし崩れ落ちた瓦礫は無数にあり、火が燃え移ってるものもある。なにより一人で持ち上げるのも動かすのも困難な大きさ。
かといって、人を呼びに戻る時間ももう残されてはいない。
「やむを得ん……少々強引だが、瓦礫を吹き飛ばそう」
バルドは再び魔法を使うことを決意する。
しかし、あまりに強い魔法では、この子にまで怪我をさせてしまう。かといって弱すぎても瓦礫をどかせず時間がかかるだけ。
無数にある選択肢。その中から、一番適した魔法を探しだす。
だがただ魔法を選んだだけでもダメだ。彼女と崩れかけのこの家屋、両者になるべくダメージを出さぬよう、小さく、そして一点に集中。
バルドは瓦礫に両手を添えて――その魔法を唱えた。
「《ガスト・ブロー》!」
《ガスト・ブロー》。強風の衝撃波で相手を吹き飛ばす風属性の初級魔法。
強風の衝撃波は通常以上に圧縮され放たれ、けたたましい音を響かせて少女にのしかかっていた瓦礫だけを綺麗に吹き飛ばした。
「…………ぇ……?」
なにが起こったか分からず、僅かに巻き起こったそよ風に混乱する少女。
そんな少女に、バルドは小さく微笑む。
「もう大丈夫だ」
若き皇帝の優しい笑顔に、事態を飲み込めていないながらも、僅かに安堵を覚えた少女も笑顔が零れた。
「さ、お母さんの所に行こう」
バルドは少女を両手で抱き抱え立ち上がる。
もはやここに残る理由はない。すぐにでもこの場を後にしようと足を踏み出した瞬間だ。
「ッ!?」
けたたましい音と瓦礫が、二人の頭上に降り注いだ。
※
家の外。
「……バルド様」
主の命を受け母親を介抱していたクロエはこの状況でも、表情が崩れることはない。この程度の火事ならばなんのことはない、そう思っていた。
それでも――
(あの御方はこの国の皇帝。万が一のことなどあってはならない)
表情に変化を見せないクロエでも、内心は今すぐにでも飛び出したいところである。しかし、その若き皇帝から直接命を受けた以上、このエルフの母親を放っておく訳にもいかない。
命を受けた以上、それを守るのは臣下としての義務なのだ。
「崩れるぞー!」
消火に当たっていた自警団員が叫ぶ。
それとほぼ同時に――家屋が崩れ始めた。
「い、いやああああああぁっ!」
ガラガラと音を立て崩れる家屋。泣き崩れるエルフの母親。
その横で、クロエも煙の奥へと眼差しを向ける。
「バルド様……!」
彼はいまだ戻ってこない。
やはり自分が向かうべきだった。そんな後悔と焦燥感が胸を締め付けていた時だ。
「おい、誰か出てきたぞ!?」
煙の中から、人影が現れる。
紛れもない、エルフの少女を抱え家から脱出してきたバルドだ。
「お母さん……お母さん!」
「ああ、よかったぁっ!」
バルドに抱えられた少女が、腕から離れ母親へと駆け寄る。
共に抱きしめ合い、煤だらけの顔を寄り添わせる二人。
「ありがとうございます! ありがとうございます!!」
「たすけてくれて、ありがとう!」
「ああ。無事でよかった」
その様子に、野次馬をしていた人々から拍手が鳴り響き、バルドを囲む。
「やるじゃねえか、旦那!」
「さすがだぜ!」
「ん? お前さんどっかで……!」
鼻息荒く興奮していた一人の男性が、バルドの顔をまじまじと見つめる。
やたらと鼻の穴が大きいのが印象的なその男性は、なにかを思い出したように手を叩いた。
「ああそうだ! この間、自警団の女の子と兵士との揉め事に割って入った旦那じゃないか!」
住民達からの歓声に、バルドは誇ることなく答える。
「なに、こういうのは見ていられない質でな。周りの者にはよく、お節介焼きと言われるよ」
などと返すバルドに、住民達が声を上げて賞賛する。
「いやー謙虚で立派な御方だねぇ!」
「ハハッ、よしてくれ。私はただの貧乏騎士の三男坊さ」
「なに言っちゃっ……ああっ、だ、旦那、背中背中!」
「えっ?」
「火、火ッ! 火がついたままだ!」
「水だ水!」
「お、おぉほれ!」
慌てて傍にあった桶の水をバルドへとかける人々。
「なっ!?」
その姿に、クロエは仰天した。
住民達から水をかけられバルドは全身ずぶ濡れ。
バルドの正体を知らずとは言え皇帝陛下に水をかけるなど、この場で処断されてもおかしくのない不敬な行い。
すぐにでも斬って捨てようかと懐に手が伸びるクロエであったが、当のバルドは。
「……ハハッ。ちょうど暑くてまいってたんだ。いい涼みになったよ」
などと、にこやかに微笑むのであった。
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