陛下、祭りを楽しむ

「おお、すごい活気だな」


 バルドが驚くほどに祭りの賑わいはすさまじく、わいわいガヤガヤと人がひしめき合っていた。


「ハハ、見ろクロエ。お面を売っているぞ」


 立ち並ぶ屋台達を前にしてはしゃぐバルド、そんな主の後ろを行くクロエが表情を変えず淡々と窘めようとする。


「陛下、お待ちください」

「おいクロエ、アイスだアイス! アイスクリームを販売しておるぞ!」


 アイスの屋台を見つけたバルドはさらに興奮を増し、騒ぎ出す。

 その姿はまるで祭りにはしゃぐ子供のようだ。


「アイスであれば、城の料理人達がいくらでも作ります」

「バカを言うな。こうして暑い中を外で、それも立って食べるからこそ風情があるのではないか」


 人混みをかき分けるように進み、アイスの屋台へ駆け寄るバルド。


「へいらっしゃい!」

「二つだ。とびきり美味いのを頼む」

「あいよ!」

 

 店主が元気のいい返事を飛ばすと、屋台に設置した冷たく冷えた釜から、ミルクで作られた真っ白なアイスをすくい、丁寧にコーンの上へ乗せていく。そして仕上げに、青々とした小さなミントがちょこんと乗せられた。


「ハイよお待たせ!」 

「おおぉ!」


 目を輝かせているバルドに二つのアイスが渡される。

 冷たく丸いアイス。バルドはすぐにでもかぶりつきたいところであったが、以前の失敗を思い出し一旦堪える。

 そして今度はちゃんと店主にお金を渡してから改めてアイスを頬張った。


「ほらクロエ、お前の分だ」


 バルドは、自分のアイスを口にしながら、残りの一本をクロエへと差し出す。

 しかし、彼女はそれをは受け取ろうとしない。


「私には警護の役目がございます」

「固いことを言うな、ほら」

「ですが」

「せっかく買ったんだ。帝国の貴重な資源を無駄にするつもりか?」


 そう言われては、彼女も断るわけにもいかなかった。


「……まったく」


 ぼやきながらアイスを受け取るクロエ。

 渋々冷えたアイスに小さな舌を伸ばし、猫のように一舐め――すると。


「んっ」

 

 僅かに声を漏らした。

 そして再びアイスを舐め、頬張っていく。


「どうだ、美味いだろ?」


 彼女の表情は変わることはなかった。しかし。


「嫌いでは、ありません」


 彼女の纏っていた空気感がほのかに柔らかくなったのをバルドも気づいていた。


「ハハッ。かわらぬな、クロエは」


 無表情のままアイスを頬張る様子に、バルドは大きく笑う。

 そんなバルドに、クロエはなぜか睨むように見上げてきた。


「な、なんだ急に?」

「……………………」


 クロエはなにも言葉にしなかった。

 ただバルドの顔を無表情のまま、まじまじと見つめ、妙な威圧感を放ち続ける。


「そ、そう睨むな。私の顔になにかついているとでも言いたいのか……?」


 困り果てたバルドの様子にクロエは、分かりやすいほどの大げさにため息を漏らす。それはまさに呆れるように。


「……そうお思いなら、ご自身で頬を触ってみてはいかがですか?」

「んん? …………あっ」


 言われて頬を触ってみたバルドはすぐに気がついた。

 自分の頬にアイスがついていたのだ。

 バルドは慌てて手で頬を拭いだす。


「貴方様ともあろう御方が、頬にアイスをつけて外を闊歩しているなど……」

「ま、まあよいではないか。ハハハッ」

「このことが爺や様のお耳に入ったら」

「考えたくもないことを言うな」

「また爺や様の血圧が上がるでしょう」

「それは、ちと心配だな」


 ふざけるバルドにクロエは再びため息を漏らす。


「やはり城にお戻りください。このような人混み、危険でございます」


 クロエが改めてバルドに苦言を呈する。

 しかし当の本人は、暢気に笑って誤魔化すだけ。


「固いな、クロエは。たとえ襲われたとしても私なら」

「襲撃の心配などしておりません」


 それに対し、淡々とした口調でハッキリと答えるクロエ。


「むしろ、陛下の存在が公になることを危惧しております。もしこんな人混みの中に陛下がいると知れたら」

「ならば、陛下呼びはよせ」

「……失礼致しました、バルド様」


 バルドの正体が公になることを恐れているのに、自身の言動がそれを誘発しかねない行いと気づき、クロエはその場ですぐさま言葉を訂正し頭を下げる。


「まあそう心配するな。ほら、見てみろ」


 そんな彼女に、バルドは周囲の様子を見るように促した。

 クロエがゆっくりと頭を上げる。そこには人間だけではなくエルフやドワーフ、獣人達と、人種にかかわらず一様に笑顔を作り、祭りを楽しんでいる姿があった。


「皆、祭りに夢中で私が皇帝と気づくどころか興味すら示さん」

「……………………」

「そう固く考えるな。今は祭りを楽しめ。な?」


 そう言って、小さき従者に微笑みかける。

 それでもクロエは納得する様子を見せなかった。


「ですがバルド様……!」


 その時、彼女の視線の端をなにかが横切った。

 咄嗟に言葉を止め、横切ったものへと素早く警戒を示す。

 彼女の視線の先、そこには一つのボールが転がっていた。


「……………………」


 地面を弾み、転がっていく小さなボール。それだけ見れば、当たり障りのない、日常的な風景だ。しかしどういうわけか彼女は転がっていくボールを見つめ続けている。


「………………なんのご冗談ですか?」


 目だけでボールを追っていたクロエが、ジロリと睨み主に尋ねる。

 ボールを転がしたのは、バルドであった。

 

「さっきアイスを用意してもらっている時に見つけてな。買っておいたんだ」

「私がそんなものに、興味を示すとでも?」


 表情がなかなか出ない彼女には珍しく、フッと嘲笑うかのような笑みを見せた。

 

「いくら猫属の獣人といえど、猫と同じにされては困ります」

「ほう、そうであったか」

「そもそもですね、私は……そもそも…………」


 今度は蝶が彼女の前に現れた。

 ひらひらと優雅に、猫属の獣人であるクロエの前を行ったり来たり。

 ボールの時同様に、彼女の視線が蝶を追ってしまう。


「どうしたクロエ。なにか話があるのであろう?」

「え、ええ……」

 

 注意が蝶に集中していたクロエがゴホンと一つ咳払い、気を取り直す。


「いいですか。そもそもバルド様、は…………そう、そもそも……そも、そも……」


 蝶がいまだにクロエの目の前を舞い続ける。

 彼女の視線は釘付けであった。それこそ猫のように。

 そんな様子がおかしくて、バルドは笑いを堪えるのに必死だった。


「バ、バルド様!」

「ああ、すまない。話を続けてくれ」

「そもそも貴方は…………ッ!!」


 それでも蝶はクロエの目の前を行ったり来たり。

 フワフワと舞い続ける蝶。それが気になって仕方のないクロエ。

 必死に我慢していたクロエだが、ついに我慢の限界が来てしまった。

 

「フーッ! フーッ!!」


 まさに猫そのもの。

 目の前を飛ぶ蝶を猫のような手つきでひっかくように追い回す。だが勢いよく振り下ろされた猫の手を、蝶はフワリフワリと躱し、宙を舞い続ける。

 再びクロエの手が蝶を狙う。しかし蝶は捕らわれず空を舞い、それを追い回すクロエ。

 さながらそれは、興奮した子猫と蝶がじゃれ合っているようである。


「フフッ」


 バルドもついに笑いが漏れる。

 そんな主を気にすることもやめ、クロエは本気で蝶を追い回す。

 その様子を微笑ましく眺めていた、そんな時だ。


「キャーッ!」


 遠くで悲鳴が上がった。

 バルドはもちろん、蝶とじゃれていたクロエもハッとなり、二人は顔を見合わせ悲鳴の元へと走り出す。


          ※


「火事だー! 火事だぞー!!」


 二人が駆けつけた先は祭りの会場から少し離れた民家。そこから黒い煙が立ち上っていた。

 火消しの自警団達が火を消そうと必死に消火活動を行っているが、火の勢いは強く、なかなか消える様子がない。

 野次馬達を押しのけ、民家へと近寄るバルドとクロエ。

 そんな時、民家の中から一人のエルフの女性が飛び出してきた。

 倒れ込む彼女を、慌てて抱きとめるバルドとクロエ。


「もう大丈夫だ、しっかり」

「……………………」


 バルドの呼び声に返事も返さず、エルフの女性はよろよろと立ち上がって再び火の勢いが増す家へと戻ろうとする。


「なにやってる、戻っては危ない!」

「離して! む、娘が、娘がまだ中に!?」

「なんだと」


 全身煤だらけのエルフの母親は、火の手が上がる家へと苦しそうに手を伸ばす。

 バルドに迷う時間はなかった。


「分かった、娘さんのことは任せろ。クロエ、この方を頼む」

「お待ちください危険です! 中には私が……バルド様!」


 クロエの制止も聞かず、バルドは燃え盛る家の中へと飛び込んでいった。

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