陛下登場

 そこは、どこかの貴族の屋敷だった。

 見たこともない煌びやかな絨毯や調度品がアカネの目を奪うが、縛り上げられた彼女にはそれをゆっくりと鑑賞する間もない。

 バイヤーとその部下の男達連れられ、彼女は屋敷の一室に突き出された。


「ったく、散々暴れやがって」

「へっ、テメーらが弱すぎるんだよ」

「なんだと!?」

「だいたい返済はまだ先だろうが。こんなことしてタダで済むと思ってんのかい?」

「ふっ、それはこっちのセリフだ」


 男達の中でも一番の強面の顔をした男が前に出る。いつもアカネにポーションを売っているリーダー格のバイヤーだ。


「返済の目途がないことは、こっちも分りきってるんだよ」

「……………………クッ」

「フッフッフ。威勢がいいのぉ」

 

 そこへ、一人の男性が数名の共を連れて入ってくる。

 バイヤー達も一斉に頭を下げる相手、どうやらこの屋敷の持ち主のようだった。


「これはこれは。マグルート様」


 腹の突き出た体で、重々しい足取りでアカネの前に立つマグルート。


「ほう、この娘か」

「ハハ。御眼鏡にかなえば」


 バイヤーと腹の出た貴族がなにやら意味深な会話を交わす。


「お主が連れてくる女子はいつもよい娘ばかりじゃよ」

「そう言っていただけて、光栄でございます」


 気持ちの悪いねちっこい喋りに嫌気が差しながらも、アカネが尋ねた


「娼館に売り飛ばされるんじゃなかったのか?」

「なに、似たようなものよ。ワシがお主を買ってやるのじゃ」


 買ってやる。つまるところ、娼館でする仕事をこの腹の出た中年貴族相手に、それも一生の間やれということだ。


「はぁ……」


 アカネはため息を漏らした。

 借金を返すアテがないのは事実だ。いずれこうなることは分かっていたし、覚悟もしていた。


(これはこれで、いいのかもしれないな……)


 娼館では、変な奴を何人も相手にさせられたり、まともに飯を食べさせてくれるかも分からない場所だってある。そう考えればヘタな所に売られるよりも、貴族相手の方が幾分かはマシかもしれない。

 

「……ああ、分かったよ。アンタに買われてやるよ」


 彼女はさっぱりとした態度で、覚悟を決めた。

 だが、その目がバイヤーの男を睨む。


「だけど、あの約束だけは守ってもらうよ」

「あの約束ぅ?」

「とぼけんじゃないよ! ワタシが売られても、薬は買ってやるからじっちゃんに届けろって約束だ」

「ああ、なんだそのことか」

「売られたとしても薬は買い続けてやるんだ、感謝するんだな!」


 威勢よく吐き出したアカネの言葉が、屋敷に響く。

 だが、彼女の言葉に男達は怯まない。

 クックック、と男達の間から笑いを堪える声が湧き上がる。


「……なにがおかしいんだい? 約束なんざ守る気がないとでも言いたいのか?」

「いやいや。約束はこのワシがちゃーんと守らせるさ」


 マグルートが、気味の悪い笑みを浮かべるが、アカネは疑うように睨み付ける。


「そう心配するでない、なあ?」

「ええ。もちろんですとも」


 マグルートとバイヤーが互いに目線を合わせ頷き合う。

 約束は守らせると語るマグルート、そしてそれを了承するバイヤー。

 だが二人の口元からは、いまだ薄ら笑いは収まらない。


「必ず届けてやるよ。あの薬でいいのなら、だがな」


 奇妙な言い回しに、アカネは怪訝を浮かべる。


「まだ気づいておらんとは、哀れな小娘よのぉ」


 バイヤーがわざわざ腰を下ろし、縛り上げられたアカネに目線を合わせた。

 

「あの薬はな、水で薄められてるんだよ」

「な、なんだと……!?」


 驚愕するアカネ。


「で、でも、あのポーションは国の」

「ああ、瓶も封も国が作ったものに違いはない。それはちゃんと証明してくれるさ、ポーションの流通を担当するお役人様、このマグルート男爵様がな」


 マグルートの脂ぎった唇がニヤリと笑っていた。


「簡単な事よ。国が製造したポーションを受領後、いくつかを不良品と称して拝借、中身を抽出し水で嵩ましをして格安で流す」

「抜き取って残ったポーションも、廃棄された瓶や封で同じように薄めたり、別な容器で偽物として売り出せば、丸儲けよ」


 驚き言葉の出ないアカネに、マグルートは続ける。


「薄められた薬とは知らず、安値と聞いて群がる病人達。それを知らず借金をしてまで買う者達の哀れなこと……同じように差し出された娘はお前でもう何人めか」

「マグルート様もお好きですねぇ」

「フヘヘヘ」

「て……テメーッ!?」

 

 縛られた体で立ち上がろうとするも、即座に周囲の男達に押さえつけられてしまう。 


「よいのか、お前がここで暴れれば、二度とあのポーションは祖父の元には届かぬ」

「そんな薄められた薬なんざ」

「ほう、いらぬと申すか?」

「なに……?」

「薄められていたとはいえ、ポーションはポーション。祖父の命があの薬で長らえていたのは間違いない」


 暴れていたアカネの体が、ピタリと止まる。

 

「もし、その薬が絶たれるとなれば――お前の祖父は、果たしてどうなるのか……クックック」


 薄ら笑いが部屋に益々木霊し、アカネも怒りを顕わにする。


「……げ、外道が!」


 しかし、合図を出されたバイヤーの部下達がアカネを押し出し、マーグルトの前に倒されてしまう。


「薬が絶たれれば祖父は死ぬ。お前は黙って体を差し出すほかないのだよ」


 倒れたアカネの顎を掴みあげるマグルート。

 脂ぎった手がアカネに嫌悪感をもたらしていく。


「どうやら腕っ節に少しは自信があるようだが……」


 もう片方の手が、アカネの衣服の胸部を破り捨てる。

 ビリビリと無残な音と共に、アカネの張りのある胸が露わになってしまう。


「これからは、その胸と尻の使い方を自慢するのだな」

 

 いくら男勝りなアカネといえど、年頃の女性。人前に胸を晒せば羞恥心で顔を赤くもする。

 しかし、露わになった胸を隠そうとしても、腕は縛り上げられたまま。殴り掛かろうにも、ただ相手を睨み付けることしか出来ない。


(騙されてた……ッ)

 

 アカネの悔しさが涙となり、頬を伝いこぼれ落ちていく。

 このことを国に訴え出てたとしても、相手は貴族でアカネはただの一般市民。どちらにより言葉に信があるか、彼女の話を信じてもらえるかも分からない。

 仮に訴えが通ったとしても、そのあとは?

 正規の薬を買うことになれば、今よりもっと金がかかる。借金をしなければならぬほどの懐事情では、薬を満足に買うことも出来ない。


(じっちゃん……ッ)


 脳裏に浮かぶ祖父の顔。

 優しくも、力強い祖父の笑顔。


(薄められた薬でも、生きながらえる可能性はある。それなら……ッ)

 

 そんな考えが頭を過った瞬間、ハッとなる。

 アカネを囲む周囲の男達が気持ちの悪い下卑た笑みを浮かべ、彼女を見下ろしている。その時、ようやく気がついた。


(コイツら……楽しんでいやがる!)

 

 悪事に抗ってより苦しい地獄の道を選ぶか。それともこれも運命と諦め、全てを受け入れるか。その苦悶する様子を、酒の肴にでもするように男達は楽しんでいる。

 連中がなぜこの悪巧みをわざわざ説明したのか。それは詳細を知った人々の苦しみ悶える姿を眺め、楽しむためだとここにきてようやく気がついた。


(く、悔しい……!)


 たとえ彼等の思惑が分かっても、抵抗することすら出来ない。

 床に押し倒され、体を弄られながら覆い被さろうとする気持ちの悪い貴族。そんな相手に嬲られ、それを一生享受し続けるしかないのか。


(誰か……助けて……!)


 歯を食いしばり、心のなかで声なき声を上げる。

 まるでそんな想いが届いたかのようだった。


「――ゲスの根性、ここに極まれり」


 どこからか声が響いた――そんな気がした。

 だが心の声が誰かに届くなどありない。まして屋敷中に響くかのように妙に反響する声など、魔法でもなければできやしない。

 気のせいだ。絶望に打ちひしがれ、幻聴が聞こえてきただけだ。

 そう、アカネも思っていた。


「だ、誰だ!?」


 しかし、周囲の男達が妙に慌てていた。

 警戒し、血走った目であたりを何度も見渡している。


「えっ……?」


 その声は幻聴ではない――本当にこの屋敷に響いていたのだ!

 

「どこだ、出てきやがれ!」

  

 声を荒らげる男達が、カーテンを振り払って人の高さほどもある窓を開け放ち、中庭へと飛び出す。

 アカネも縛られた体をなんとか持ち上げ、外を見る。

 そこには、凜々しく立つ一人の男性がいた。

 歳のわり妙に威厳のある佇まいと力強い目。その男は――。


「バルドの、旦那……」


 アカネは思わず言葉を漏らす。

 見間違いと思った。なぜ彼が今ここに現れたのかも分からない。それでも、その姿は他の誰でもない、あの男性なのだ。


「あのヤロー、家にいた奴じゃねぇか。なんでここに……!?」


 彼は中庭の真ん中に悠々と立ち、渋い声で男達に語る。


「たった一人の家族のため、身を粉にした娘。そして病に冒され弱った体でなお、たった一人の孫を強く思う祖父。二人の想いを踏みにじる悪党を成敗しに参った」

「な、なにぃ……!?」 


 バイヤー達を押しのけて、屋敷の主マグルートが前に出る。


「貴様ぁ……ここをマグルート男爵の屋敷と知ってのことか!」

「黙れッ!」


 バルドの一喝が、男爵の苛立ちを吹き飛ばす。


「流通官、マグルート男爵」


 バルドの真っ直ぐで落ち着き払った声がマグルートに突き刺さる。


「貴公――余の顔を見忘れたか?」


 問われた男爵がバルドの顔をまじまじと見る。

 その時、彼の表情が幾重にも変化した。

 最初は疑いの眼差しから、一瞬何かに気づきハッとなる。

 そして再び疑い、青ざめて、目を丸くして驚愕していく。


「――ッ!?」


 彼の脳裏に浮かんだのは城の玉座。

 厳かで威厳ある玉座に座る、唯一の存在。

 若くとも凜々しく、魔法のように澄んだ眼差し。

 それはまさに――英雄たる姿。


「ぅっ、え…………ッ」

 

 思わず出てしまったうめき声を男爵は突き出た腹になんとか呑みこむ。

 そして口に出すのも憚られる神の如きその名を口にした。


「へ、陛下…………バルドロメオ陛下ッ!!」


 喉が潰れた様な擦れた声が放たれた瞬間、その場の全員がギョッとなった。

 薬を売っていたバイヤーが、その部下が。

 そして、囚われていたアカネまでも。

 男爵は驚いたのも束の間、すぐさま中庭に降りて頭を垂れ跪く。

 それに続き、バイヤーと部下達も、恭しくひれ伏していく。 


「旦那が……こ、皇帝陛下!?」


 驚くアカネの声を受け、バルドが渋くよく通る声で告げていく。


「流通官、マグルート男爵。自らの立場を悪用し、人々を救うポーションであろうことか人々を苦しめ、その暴利を貪るなど言語道断」

「……………………」

「また、その薬で作らせた借金の片に、若い娘を自らの欲望の捌け口にするなど断じて許せぬ。臣下の誇りが僅かでも残っているのなら、この場で自らを断じよ!」

 

 その一言一言はまるで刃の如く、ひれ伏す男爵と男達に突き刺さる。

 言葉の刃は彼等を断罪するには十分な迫力と威力があった。

 だが――


「お、おのれぇ……」

 

 男爵とバイヤー達が、悔しそうに顔を上げ始める。


「こうなっては致し方ない。陛下とて我が屋敷内で死ねばただの狼藉者よ。者どもであえ、であえーっ!」


 屋敷中からバタバタと騒がしい走り回る音が響く。


「であえーッ!」


 バルドの視線が右を睨む。廊下の端から荒くれ者達が駆け込んできた。


「であえ、こやつを斬り捨てよッ!」


 バルドの視線が左を睨む。部屋の各所から、傭兵のような者達が現れる。

 相手が若き皇帝と知ってか知らずか。皆、血気盛んな眼をしてバルドを取り囲む。


(やむを得ぬか……)


 これで大人しく捕まるとはさすがのバルドも思っていなかった。それでも、このようなことにはならないで欲しい。そう願ってもいた。

 だが、抵抗するのならば致し方ない。

 臣下が罪を犯したのならば、それを罰するのは皇帝の役目。

 バルドは腰の剣へと手を伸ばし、ゆっくりと引き抜く。

 それは、かつて魔獣を相手に戦った大剣とは違い、皇帝が手にするには決して豪奢とは言えぬ片手剣。

 しかし放つ剣先の輝きは闇を照らし、悪を捉えて離さない。


「…………ッ!」


 剣を立てて顔に寄せる。その構えは大戦時からの基本の構え。

 バルドの鋭い目が、悪を睨む。

 そして――戦いの曲が鳴り響く。

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