陛下は爺の小言を報告書で聞き流す
翌日。
行く先々で家臣達が頭を下げるなか、城の廊下を皇帝として歩くバルド。だが彼の表情は普段の優しい面持ちとは些か違っていた。どこか窮屈そうな、困ったような顔で、ピリピリとした雰囲気が漂い家臣達も思わず緊張が走ってしまう。
「まったく……城を抜け出して一人で城下に赴くなど……」
その原因は皇帝の後ろをついて歩く一人の老人だ。
白髪が多く、腰の曲がった老体ながら足取りは決して重くはなく、むしろバルド以上の力強さすらある。
「爺、その話はもうよいではないか」
「よくなどありません!」
爺と呼ばれた老体の口から、さきほどからずっと小言が漏れていた。それを聞かされ続ける若き皇帝からは、ため息が漏れる。
「皇帝ともあろう御方が、一人で城を抜け出すなど……もっての外です!」
「こうして戻ってきて、やるべきこともしておるではないか」
「当たり前です!」
心労が心配になりそうなほど彼はカンカンになって怒っていた。
だがその必死な姿があまりに滑稽で、バルドは思わず笑ってしまう
「しかし、爺はよく余の身代わりを見抜いたな」
城下へと抜け出している間、影には身代わりを任せていた。影武者を務めるだけに顔や身なりだけではなく、一挙手一投足に至るまで同じ行動に同じ癖。
皇帝バルドの姿そのままで、誰も身代わりとは気づくことはなかったのだが、たった一人、爺だけが気づいたのだ。
「なにを仰います。何年お側にお仕えしているとお思いですか」
この爺は先代の皇帝の頃から仕えており、バルドの生まれた姿からその成長まで、全てをその目に焼き付けてきた。そんな彼からすれば、本物か偽物かなど簡単に見分けがつくのかもしれない。
「かといっておおっぴらにもできぬ故、捜索隊を出すわけにも行かず、困りに困りましたとも。陛下はこの老体の心臓を止めるおつもりですか」
「これはまいったな。ハハハっ」
そんなやりとりをしながら、二人はバルドの私室へと入っていく。
「お帰りなさいませ」
モップを片手に掃除をしていたメイドが淡々とした返事で頭を下げ、二人を出迎える。どうやら掃除を終えたらしく、入れ替わるようにメイドは部屋を出て行った。
「陛下、そうお暇なのであれば私めに良い提案がございます」
「ほう。爺の提案ならさぞよい案なのであろう。だが詩の朗読会と古典バレエの鑑賞会はもう勘弁してくれよ」
「あれはあれで、よいものなのですがね……」
ハッハッハ、と爺が笑いながら改めて提案を話し出す。
「陛下、どうかこの機にご結婚相手をお探しになられてはいかがでしょう」
机の椅子に座ろうとしたバルドの動きが一瞬止まる。そしてため息が漏れた。
「またその話か……」
アリエスト帝国の若き皇帝はいまだ独身だ。
無論そういう縁談話は過去何度もあったが当人はどうにも気が乗らなかった。
望めば幾人もの見目麗しい女性達を侍らしハーレムを作ることなど彼には簡単なこと。だが――。
「それはいつも言っているだろう。国のことが先だと」
今は自分のことよりも、国と臣民のことを考えるべき。
それはまだ独り身でいたい、という体のいい言い訳でもなんでもなく、バルドの本心である。しかし同じ答えを何度伝えても、この爺は納得しなかった。
「なにを仰います。国を預かる皇帝にとって、その妻を決めるのと世継ぎを残すことは一番の国事でございます」
「だが今は国の安定こそが最優先で」
「そう言って陛下はいつもはぐらかされますが、妻を迎え世継ぎの子を迎えれば後生も安泰、国をより安定させることに繋がりましょう」
「いや、しかしだな……ん?」
爺の話に耳を傾けながら椅子に座った時、机の上に目が行った。
部屋を出た時にはなにもなかった机の上に、見慣れぬ紙が一枚。
どうやら報告書らしい。
「よいですか。そもそも先代であるお父上も――」
爺の長話を右から左へと受け流しながら、その報告書に手に取ってみる。
中身は昨日預けたポーションの調査結果だった。
(さすが、仕事が早くて助かる)
後で薬学院の者達になにか礼の品を持っていこう。そう考えながらも、その目は報告書の内容に注目が行っていた。
『調査報告書――。
提出されたポーションを調査の結果、使用されていた小瓶とその封は、間違いなく国の製造したものであり、偽造された形跡などは特に認められず』
小瓶や封は間違いなく正式なもの。
国の薬学院が調べたのだ、その報告に間違いはないはずだ。
考えすぎだったか。そう思った矢先、続く報告にバルドは驚かされた。
『しかしながらその中身であるポーションは、色合いなど見た目は従来のポーションとそっくりであるが、その成分の八割が水によって薄められている。そのため誤飲対策の香りも薄れ、従来の薬の効果も十分どころか、まともに発揮すらできないものであると推測できる』
やはり、と静かにバルドは膝を打つ。
あのポーションは薄められていた物だった。だから二本ものポーションが割れても、香りが家に充満しなかったのだ。
だが、そうなると謎が一つ残る。
(瓶や封そのものは偽造されてはいなかった……国が作ったものであるのなら、一般の者達が簡単には手をつけられるはずはないのだが……)
「聞いておりますか、陛下!」
「あ、ああ。もちろん聞いているさ、爺」
「よいですかな。つまり先代のお父上も……」
爺の小言が続く中、バルドは窓から城下を見下ろした。
高々と昇る陽が、街を明るく照らしだす。
だが、光が照らせば照らすほど影は伸び――闇はより濃くなる。
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