陛下は庶民の苦しみを知る

「昔のじっちゃん? ああ、正式な兵士じゃないけど、義勇兵として魔獣との大戦にも参加してたよ」


 アカネはそう答えると、テーブルに座るバルドの前に茶を置いた。


「そうであったか。では、アカネのご両親も?」

「両親は参加しなかったけれど、それでも戦禍に巻き込まれてね……」

「それは……すまないことを聞いてしまった」

「ああ、ワタシは気にしてないよ」


 対面に座ろうとするアカネが、暗い雰囲気を吹き飛ばすように大げさに手を振る。


「そういうのはここじゃ珍しくないしね。それにワタシはじっちゃんが引き取ってくれて親のように育ててくれたから、寂しくなかったさ」

「先程の武術はおじいさんから?」


 昼間の兵士とのいざこざは、随分と戦い慣れた動きであった。

 街の防犯や災害時の消火活動など自警団には様々な活動があるが、自警団に所属しているというだけで、あれほどの動きはできないものだ。


「武術ってほど大したものじゃないよ。じっちゃんが護身用に教えてくれたのさ。教わったのは基本だけだけど、独学で磨いたり、鍛えていたりしているうちになんか楽しくなっちゃって」


 えへへ、とアカネが照れる。


「それにな」

「それに?」

「じっちゃんが義勇兵として立ち上がったように、ワタシも困ってる人のために、役に立ちたいんだ」


 かつての魔獣との大戦は熾烈を極め、騎士や兵士達だけでは戦力が足りないことも幾度となくあった。義勇兵は騎士や兵士といった軍属ではない自ら戦おうと立ち上がった者達だ。そんな祖父の勇気を真似て、彼女も自警団に入っているのだろう。


「おじいさんのこと、好きなんだな」


 アカネの顔から笑顔が零れる。

 今まで見た中で最も優しく、そして女性らしい笑顔だ。 


「じっちゃんはもっと女らしくしろ、って言うんだけどね。もっともこんなガサツな女じゃ誰ももらってくれやしないだろうよ」

「なにを言う。そなたは十分美人であろう」

 

 へ? とアカネが目を大きくして驚く。


「明朗快活として、なにより気立てもいい。いい嫁さんになるだろう」

「な、なに言うのさ、バルドの旦那! もう、悪ふざけはやめとくれ」


 顔を真っ赤にしてアカネはバルドの肩をバンバンと叩く。

 照れ隠しには意外と強い彼女の叩き方に苦笑しながらも、ふと目線がテーブルの端に置かれた小瓶へ向けられた。


「それは、おじいさんの薬か」

「ああそうだよ」


 テーブルの上に並べられた三本のポーションがある。

 小瓶の蓋の上には小さな紙が貼り付けられていた。

 

「そのポーション、帝国製であろう。それなりの値段がするのでは無いか?」

「確かにお店で買うと結構な値段になるんだけど、実は少しばかり安く売ってくれるもぐりのバイヤーがいてね」

「それは……言うのもなんだが、大丈夫なのか?」

 

 正規のお店の裏で勝手な商売をする者は度々現れる。店で買った商品を法外な値段で売りつける転売屋はもちろん、中には偽物や粗悪品を扱う者まで。

 人々や市場を混乱させるそういった輩にはバルドも容赦はせず、締め上げを日々行っていたが、どうしても土竜叩きになってしまうのが現状だ。

 それだけに彼女も偽物を掴まされていないかと内心心配だったのだが――アカネはそれを物の見事に笑い飛ばしてきた。


「心配しすぎだって。そりゃ偽物を売りつける悪徳ヤローはいるけどさ、ワタシが買ってるところは大丈夫だって。だってほら、この瓶と封を見てごらんよ」


 そう言って彼女は、バルドにポーションの小瓶を見せてきた。

 小瓶にはきめ細やかな装飾が掘られ、封にも国の発行した正式な判子が見られる。


「これは国が作った正式な物って、証だろ」

「うむ……確かにそうだな」 

「こうやって国が物の証明をしてくれることには、さすがに皇帝に感謝だな」

 

 バルドも小瓶をよく見回してみたが、小瓶も封も偽造の形跡は見受けられない。

 そもそも転売をしているのなら値段は通常より高くなるし、安くなることはないはず。かといって偽造品かといえば小瓶も封も似せるには非常に難しい。

 アカネの言うとおり、心配しすぎなのだろうか。

 そう思っていた時、アカネは一瞬複雑な表情を見せた。


「まあ、安く買えることはいいことなんだけど……それでも支払いが溜まりに溜まっててね……」

「ちゃんと返すアテはあるのか?」

「ん? ああ、まあ……」


 アカネにしては随分と歯切れの悪い返事である。

 恐らく返済の目途がないのだろう。 

 

「それならば、余が――」


 言いかけて、バルドの口は止まった。

 自分が借金を肩代わりすれば、彼女の問題は解決するかもしれない。

 だがここで彼女一人を救うことが、必ずしも良い事なのだろうか、と。


(余は、皇帝だ……皇帝は為政者である)


 為政者ならば――国民に対しては常に平等でなければならない。

 皇帝という立場の自分が、個人的感情で彼女を救えば他の国民に不公平が生まれてしまう。もし彼女を救うのなら、他の同じ境遇の者全てを同様に救わなければならないのだ。

 国民に対して平等ではない行いはどんなものであれ、ただ権力をかざすだけの偽善であり、愚かな自己満足。

 なにより、彼女自身にもその責を背負わせることにもなりかねないのだ。


「どうしたんだい、バルドの旦那?」

「ああ、いや……」


 それは、バルドに少なからずショックを与えた。

 どれだけ無数に迫る魔獣達を倒せても、どれだけ権力を持っていたとしても、目の前で苦しむ家族すら救えない。

 なにかできることはないのだろうか。

 バルドは頭の中で必死に考えを巡らせる。

 それでも――答えはすぐに出なかった。


「さっ、暗い話は終わり終わり!」


 そんなバルドの心情を分からずとも、アカネは暗い雰囲気を吹き飛ばすように、パンと手を叩く。

 一際明るく声を上げる姿に、バルドもどこか気が楽になる思いであった。


「すぐに晩飯を作るから旦那はそこで――」

 

 立ち上がった彼女がキッチンへ向かおうとした時、玄関の扉が勢いよく開かれた。

 驚きながらも目を向けると、ガラの悪そうな男達が三人、笑みを浮かべて家へと入ってくる。

 昼間の兵達が復讐にやってきた。一瞬そう思い身構えるバルドだが、三人の顔は昼間の兵士達のものではなく見覚えのない人物達だ。


「おう、邪魔するぜ~」

「邪魔するんだったら帰りな!」


 アカネが声を荒らげて男達に投げかける


「はいよ~って訳にはいかねぇんだよ、アカネちゃん」

「ハッ! 借金の返済期日がまだ先だってこと忘れてないなら、わざわざ何の用だ? 城壁の外までケツを蹴り飛ばされたくなけりゃ、とっとと帰りな!」


 威勢のいい言葉だった。並の男なら彼女の言葉に怯んでもおかしくないだろう。

 だが、やってきた男達は怯むことはない。むしろ、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべたまま。


「ああもちろんその通り、期日はまだ先さ。だが払えなかったらどうなるか、それをちゃーんと確認しなきゃならんからな」

「そ、そうなったら娼館に売り飛ばすって話だろ……でもそれは払えなかった時の話だ」

「ああ。だから今日は確認をしにきたんだよ~アカネちゃん」


 三人がそれぞれ、卑猥な笑みを浮かべはじめる。


「大事な売り物が傷物で、借金に見合わなかったら大変だからなぁ」

「そうそう。お前さんのデカい胸とそのケツを、ちゃーんと確認してやるよ」


 ケラケラと笑いながら手をワシワシと卑猥に動かす男達。

 そんな彼等に、ついにアカネは怒りを露わにした。

 男達に殴りかかろうと、拳を放つ。


「て、テメーラッ!」

「おおっといいのかい、そんな乱暴なことをして」


 そんなアカネの蛮行を、男の一人が止める。


「なあなあ。こっちは正式な手続きで金を貸しているんだぜ」

「そうそう。そんな相手に暴力を振るうなんざ、まるで――」

「おいおい。借金を踏み倒そうとしてるみてーじゃねぇか!?」


 男達の芝居がかった話し方に苛立つアカネ。

 しかし一方でその内容も事実であり、握った拳は徐々に力が抜けていく。


「俺達がお上に駆け込んだら、どうなるかねぇ」

「さあさあ大人しくしてろって」

「悪いようにはしねぇからよぉ」 


 男達が家へと押し入り、アカネへと迫ろうとする。

 ――その時だ。


「貴様等、いい加減にしないか」


 バルドが立ち上がり、男達に立ち塞がる。

 凛とした立ち姿は水面のように静かなもの。だがその目には、明確な怒りの炎が揺らめいていた。


「なんだオメーは?」

「余計なお世話なんだよ」

「人様の事情に口を挟むんじゃねぇよ!」


 そう言ってバルドに掴みかかろうとする男。その腕が、若き皇帝の手によって瞬時に捻り上げられる。


「ア、アァイタタタタタタッ!?」

「借金の弱みにつけ込んで、不埒な真似をしようとするなど……そのような者に、お上が耳を貸すわけなかろう」

「こ、このヤローッ」


 縛り上げた男が、バルドの手から抜け出し殴りかかる。

 バルドは体をそらし躱しながら、僅かに足を伸ばす。足に引っかかり勢い余って男は転倒、奥にあったテーブルへとぶつかりけたたましい音を奏でる。


「こ、コイツッ!」


 別な一人がすぐさま殴りかかってくる。だがバルドはその腕と胸を掴むと、残る男めがけ外へと突き飛ばす。


「ふ、ふざけやがってッ!」


 最初に転ばされた男が立ち上がる。その手には懐から抜いた短剣が。

 そして、バルドの背後へめがけ勢いよく迫る。


「危ないっ!」


 アカネの悲痛な呼び声。

 しかし、それよりも早くバルドは動いていた。

 背後から迫る相手に素早く振り向き、短剣を握る腕めがけ手刀を叩き込む。

 甲高い音を立てて落ちる短剣。それと同時に掴みあげ外へと投げ飛ばすバルド。


「どわっ!?」

「て、テメーッ」

「チョーシ乗って――!?」


 外へと突き飛ばされた二人と、投げ飛ばされた男。三人が立ち上がり再び襲いかかろうとするが――それが出来ない。

 玄関でギロリと睨むバルドの目が、三人の男達を突き刺さしていた。

 彼等も目の前にいる男が皇帝とは知らない。だが彼等は若き皇帝の前で知らずにお上の名を利用しようとしてしまったのだ。そのことに怒りを見せぬほど、バルドは寛大ではない。

 なにより、彼のなかに燻る二人を救えぬ無力感。その苛立ちがより重々しい威圧感を放ち、男達の足を止めていた。


「うっ……へ、へんっ! どうせ支払いの期限はもうすぐだ、覚悟しておけよ!」

 

 そう言い残し逃げ去る三人。

 情けなく走り去る背中を睨み、息も切らしていないバルドは家へと戻る。


「連中の遠吠えは、三流といったところか……ああしまった!」

 

 男達が暴れたことで、テーブルは倒され、皿などの食器も割れており、狭い家の中はぐちゃぐちゃになってしまった。


「か、加減はしたつもりだったんだが……」

「いいよいいよ、気にしないで」

「ゴホッゴホッ」


 その時、奥でアカネの祖父が再び苦しそうな咳をしていた。


「はやく、おじいさんの方へ。こっちは私が片付けておく」


 頷きアカネは、家の奥へと走り祖父の下へ。

 バルドは倒れたテーブルを元に戻し、割れた食器などの破片を片付け始める。


(情けないな……)


 ならず者を退治しても他人の家を荒らしてしまい、彼女達を救うどころかこの家を掃除することしか出来ない。それが若き皇帝により無力感を味合わせてくる。

 ため息をつきながら食器の破片を拾っていると、テーブルの上にあったポーションの小瓶を床の端で見つけた。


(………………なんてことだ……)


 見つけた小瓶は割れていた。どうやらテーブルが倒れた時に床へと落ちたようだ。

 三本あったポーションの内一本は無事だったが、残る二本は割れ、中身の澄んだ水色の液体が床にぶちまけられていた。

 自分の行いが余計にアカネ達に迷惑をかけたことに、ますます嫌悪感が押しつぶしてきて、ため息が漏れてしまう。


(ん……?)


 だが、床にぶちまけられた水色のポーションを見て、バルドは違和感を覚えた。

 小瓶の底にあたる破片をおもむろに拾い上げる。そしてゆっくりと鼻を近づけてみると――その違和感が確信へと変わった。


(香りが、薄い……)

 

 このポーションは効果が強く、それだけに誤って子供が飲まないようにかなり強い香りがつけられていたはずだった。

 だが床にこぼれたポーション、それも二本分ともなればかなりの香りがこの狭い家に充満するはず。それなのに、ほとんどその香りを感じない。


「これは、どういうことだ……?」

「ゴメンよ、バルドの旦那にこんなことまでさせちゃって」


 戻ってくるアカネ。

 バルドはとっさに、無事だったポーションを懐へ忍ばせた。


「いやいや。ここで私が暴れてしまったせいでもあるから気にしないでくれ」

「ああ、そんな……じっちゃんの薬が……」

 

 床にぶちまけられたポーションと割れた小瓶を見て、アカネが酷くショックを受けていた。


「どうやら全部割れてしまったようでな、本当に申し訳ない……私がひとっ走り行って新しい薬を買ってくるよ」

「待って。それなら、今お金を」

「いやここは私に出させてくれ。割ってしまったのは私にも責任がある」

「でも……」

「いいから」


 財布を取るアカネの手を抑え、バルドは笑顔で言い聞かせるように告げる。


「ただでさえやりくりも苦しいんだろ? もしよければ戻ってきた時にアカネの手料理を食べさせてくれ。私はそれで十分だから、な?」

「旦那……」


 困ったような表情が、綻んでいくアカネ。

 彼女を家に残し、バルドは走り出した。


          ※

 

 長屋の路地を小走りで駆けていくバルド。

 夕焼けも落ちはじめ周囲もだいぶ暗くなり、住民達の姿もほとんどない。近場の薬屋も間もなく閉まってしまう時間なだけに、バルトの足も早くなる。

 そうしてしばらく走っていると、細い裏路地の近くでバルドはふと立ち止まる。

 急いでいる最中というのにも関わらず、なぜか周りを注意深く見渡し人気が無いのを確認。そして――

 

「いるな、クロエ」


 顔も向けず、裏路地に向けて声をかけた。

 そこは日が射すことも無く、闇に閉ざされて真っ暗だ。当然人の姿など見受けられない。だが――


「はっ、ここに」


 路地の暗闇の中から、声が返ってきた。

 若い女の声だ。淡々としながらも凛とした声だが、やはり姿は見えない。

 バルドは懐から先程アカネの家から持ち出したポーションを取り出す。そして腕を伸ばし、路地の闇の中へ。

 そして腕を戻した時、手にしていたはずのポーションだけが消えていた。


「すまんが、そのポーションを薬学院で早急に調べてもらってくれ」

「かしこまりました」


 短い返事だけが闇の中から返ってくる。

 そうして、まるで元からなにもいなかったかのように、音もなく気配は消え、影すら残さなかった。


「さて、早く戻らんとな」

 

 既に夕焼けが落ちつつあり、薬屋もすぐ閉まってしまう。 

 薬を買うため、再びバルドは走り出した。

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